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稲田豊史の「さよならシネマ 〜この映画のココだけ言いたい〜」

『アフターサン』を観て憂う、超少子化社会ニッポン

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©Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

回想録なのに回想主がいない

 11歳の少女ソフィ(フランキー・コリオ)が、今は離れて暮らす31歳の父親カラム(ポール・メスカル)と、トルコのリゾート地で数日間まったりと過ごす。『aftersun/アフターサン』はただそれだけの、シンプルな物語だ。長尺化が進む昨今の映画の中でも珍しく、本編は101分しかない。

 本作の宣伝文句には「11歳の娘ソフィが父親とふたりきりで過ごした夏休みを、その20年後、父と同じ年齢になった彼女の視点で綴る」とある。実際、都合2回登場する現在時点でのソフィは、2回目の登場時、トルコ滞在中にビデオカメラで撮った父親の姿を再生して思いに耽っている。この映画はソフィの回想録なのだ。

 ところが、映画を観始めるとおかしなことに気づく。ソフィ不在で父カラムだけが登場するシーンがいくつもあるのだ。ソフィが部屋で寝ている時にバルコニーでタバコを吸うカラム。ひとりで絨毯を買うカラム。単身、夜の海に消えて行くカラム。ソフィの回想であるはずなのに、なぜソフィのいない場面が存在するのか?

 その理由は、カラムだけが登場するシーンはすべてソフィの「脳内補完」、あるいは「思い出補正」パートだからだ。

 父は、私のいない所でこんなことをしていたのではないだろうか。こう悩んでいたのではないだろうか。そんなふうに、大人になったソフィが父の姿を想像によって描き直したのが『aftersun/アフターサン』という映画の真骨頂である。ソフィは記憶をそのまま再生したのではない。足りない箇所を自分なりの想像で補ったのだ。

 11歳の少女には察知できていなかった父の胸の内を、20年越しに理解しようとする。それが、「父と同じ年齢になった彼女の視点で綴る」の意味だ。本作は、口当たりの良いノスタルジーを売りにした、単なる思い出の記録集ではない。

子供をもつとQOLが下がる?

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©Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

 と、ここまでは観客がソフィ側に立って物語を追いかける場合の考察である。しかし一方で、ある種の――たとえば子供がいる――観客は、むしろ親であるカラム側に立ちながら物語を追いかけるのではないか。

 カラムが登場するいくつかのシーンでは、彼の人生がそれほど順風満帆ではないであろうことが示唆されている。ソフィからの無邪気な愛情表現に時折「乗れない」「十分に応えられない」様子も描かれる。だが、応えられないのは彼がソフィを愛していないからではない。自分自身の人生をいまだに制御しきれていない、余裕がないからだ。現代社会における31歳は、まだまだ成熟しきっていない年齢だ。妻子と別居している男なら、なおのこと「色々」あって当然である。

 そんなふうに、個人として人生の諸問題を抱えながらも、精いっぱいの愛情で我が子に接する「親」としてのカラム視点で本作を捉えようとした途端、ここ数年ちらちらと視界に入ってくる、ある言説が思い浮かぶ。「子供をもつと幸福度が下がる」といった類いの、それなりに厚い支持層を擁する一連の主張だ。

 子供をもてば、趣味や交際のための金や時間は真っ先に削られる。妊娠・出産・育児によって体力や精神力は消耗し、生活全般に余裕がなくなる。場合によっては夫婦仲が悪くなる。子育てがキャリアアップの邪魔をする。そんなふうにQOL(Quality Of Life/人生の質)をみすみす下げるようなことを、あえてしたくない――。

 よくわかる。一理あるし、筋も通っている。一歳半の子の親である筆者としても、心当たりがないとは言えない。実際、QOLの低下を必死の思いで耐え忍んでいる親たちは多い。

「あの時の親の気持ちがわかった」

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©Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

 日本の出生数は2022年度、統計開始以来最低の80万人割れとなった。加速する少子化の要因は様々あるだろうが、「子供をつくった結果QOLが低下する」という大きなコストに見合う「リターン」を多くの人が見いだせていないことも、原因のひとつではないか。

 要は、子供をもつことは「コスパが悪い」と思われているわけだ。

 では、そもそも「大きなコストに見合うリターン」とは何だろうか。優等生的な答えとしては、「子供の成長を間近で見られる」「子供から無条件に愛される」「親として人間的に成長できる」「家がにぎやかで楽しい」あたりが定番か。やや打算的な答えとしては、「老いたときに寂しくない」「将来、介護してくれる(かもしれない)」といったものもあるだろう。

 しかし『aftersun/アフターサン』という映画は、もっと別のリターンに気づかせてくれる。そのヒントとなるのが、31歳になったソフィには産まれて間もない子供がいる、という劇中の描写だ。

 子をもった親は必ずと言っていいほど「子供を育てて初めて、あの時の親の気持ちがわかった」と口にする。人は子供をもつと、自分が我が子の年齢だった頃の親のことを考える。我々は、そう考えるようにプログラムされている(としか思えない)。

 かつて人生のある時期に、人知れず必死で何かと戦っていた状況を、どうにかして理解しようとしてくれる他者がこの世に存在するという実感は、それ以上因数分解することのできない、プレミティブな幸せそのものだ。人はいつだって、頑張っている自分を、自分以外の誰かに認めてもらいたい。

20年後のボーナス

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©Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

 人間にとってもっとも――なんなら死よりも――恐怖なのは、自分のことが誰の話題にも上らない、世界中の誰も自分の存在について考えてくれなくなることではないだろうか。「愛情の反対は嫌悪ではなく無関心」とはよく言ったもの。

 もちろん、伴侶や親しい友人だって自分を理解しようとしてくれる。ただ伴侶や友人にできるのは「現在の自分」を現在時点から理解しようとする行為に限る。一方、我が子は「過去の自分」を理解しようとしてくれる。そこに意味を見出そうと、解釈を試みようとしてくれる。自分の過去に、自分の子供が時間差・後追いで価値を付け加えてくれるわけだ。

 31歳になった現在時点でのソフィは、父カラムにそれをした。現在時点でのカラムの状況は語られないが、とにかくカラムは20年という時間差で、あのときの苦悩が報われた。親として、これほどの喜びはない。

 かつて死ぬ思いをして頑張った分のボーナスが、20年後にドカンと振り込まれるようなもの。これこそが、「一時的なQOLの低下を引き受けてでも親が子に注いだ愛情」という投資の、実は最大のリターンではないか。利回りで言うなら、つみたてNISAなんぞよりずっと割がいい。コスパに引き寄せて言うなら、実に「コスパがいい」

資金がなければ投資はできない

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©Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

 しかし、いくら利回りが良かろうが、元本保証されていようが、20年後の利益は確実だと言われようが、現時点で手元にそれなりの原資がなければ、投資などできるわけがない。つまり子供を作って育てるだけの「経済的・時間的・精神的余裕」という名の原資が不足していれば、子作りなど検討の俎上にものぼらない。QOL以前の問題だ。

 時間と精神はともかく、子づくりや子育ての可・不可を金銭の問題にすることに抵抗がある方もおられよう。しかし綺麗事を抜きにして言えば、「精神的余裕」はおおむね「時間的余裕」に比例し、ある種の「時間的余裕」は「経済的余裕」から生み出される。

『aftersun/アフターサン』のカラムに万全の「精神的余裕」があったとは言えないが、残りのふたつ「時間的余裕」と「経済的余裕」は、トルコのリゾート地で数日間のバカンスを実行できる程度にはあった。それすらどうあがいても捻出できないのが、我が国が直面している超少子化社会だ。

『aftersun/アフターサン』は、美しさと瑞々しさと切なさをたたえた傑作である。しかし、その傑作を観終わって頭をもたげたのは、「原資がなければ投資を検討することすらできない」という、美しくも瑞々しくも切なくもない、審美のかけらも身も蓋もない、悲しいほど余裕なき日本社会の現実なのだった。

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©Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

『aftersun/アフターサン』

監督・ 脚本:シャーロット・ウェルズ
出演:ポール・メスカル、フランキー・コリオ、セリア・ロールソン・ホール
2022年、イギリス・アメリカ/101分
配給:ハピネットファントム・スタジオ
5月26日公開
©Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

稲田豊史(編集者・ライター)

編集者/ライター。キネマ旬報社を経てフリー。『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)が大ヒット。他の著書に『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の誕生』(朝日新書)、『オトメゴコロスタディーズ フィクションから学ぶ現代女子事情』(サイゾー)、『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』(イースト・プレス)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)などがある。

いなだとよし

最終更新:2023/05/29 11:33
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