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週刊誌スクープ大賞

下積み時代と今と、どっちが幸せなのか……松本人志とダウンタウンのルーツ

松本VS文春、裁判の行方

 今週の最後もやはり松本人志問題。

 松本人志が文春を訴えた裁判は、3月28日に東京地裁で口頭弁論が行われるそうだ。
5億5千万円の慰謝料を求める話題の裁判は、多くの耳目を集め、傍聴券を手に入れようと多くの人間が押し掛けメディアも集結するから、オウム真理教の麻原彰晃の時を超える騒ぎになるのだろう。

 松本人志側は、「客観的証拠は存在しない」と訴状で主張しているそうだ。これだけではよく分からないが、文春が報じているような女性に対して「性加害」はしていないというだけではなく、後輩芸人たちが松本のために女性たちを集め、上納するようなシステムの存在まで「なかった」と主張するのだろうか。

 何をもって「客観的証拠」というのだろう。女性たちとの性行為そのものがなかった、すべて文春が報じたことは夢幻であったというのだろうか。

 名誉棄損は、事実であったとしても、報道がその人間の社会的地位や名声を貶め、多大な被害を与えたと裁判所が認めれば成立する。したがって、女性たちとの性行為の事実を認めてもいいと思うのだが、松本人志側は、あくまでも報道の全てを否定するつもりなのか。

 2月16日に訴状が届いた文春側は、「これまでの報道内容には十分に自信を持っております。訴状の中身を精査し、次号の週刊文春でこちらの主張をしっかりとお伝えします」というコメントを発表した。

 しかし、心配なのは、法廷で証言してもいいといっている女性たちである。

 松本人志のファンたちからの文春報道に対するバッシングが激しく、中には誹謗中傷に近いコメントがXなどでまき散らされ、心が折れないか。

 彼女たちを特定しようという動きまであるというから、彼女たちに対する文春側の手厚い保護が必要であるこというまでもない。

 ジャニー喜多川のときと同じように、被害を受けたと名乗り出てきた勇気ある証言者に対して、聞くに堪えない中傷やバッシングをするジャニーズファンたちのやり方と同じようなことが、“松本事件”でも起こっているようである。

 当然ながらそうしたバッシングは文春にも向けられ、文春は日本の恥、どうせ金儲けのためといった声がSNSでまき散らされてもいるようだ。

 それぐらいのことでめげる文春編集部ではあるまいが、そうした事態を招いたのは、第一報を掲載した号が完売になった時の竹田聖編集長のコメントにもあったと思う。

「今回の完売、本当に嬉しく思います。ご愛読、誠にありがとうございます。紙の雑誌よりもスマホで情報を得るのが益々当たり前となっている昨今ですが、それでも、『スクープの力』は実に大きいのだと改めて実感しています」

 他人の隠しておきたい恥部を暴いておいて、完売して嬉しいというのかと、熱狂的な松本ファンだけでなく、普段から週刊誌を毛嫌いしている連中の神経も逆撫でしてしまったのではないか。

 編集長の嬉しい気持ちもわかるが、それを外へ向かっていうべきではなかったはずである。

 前からいっているように、今回の裁判は文春側には厳しいものになるとは思うが、「週刊誌の興廃この一戦にあり」の気持ちで臨んでほしいものである。

 さて、今週の松本人志は、彼の生い立ちから漫才、お笑い界で名を成すまでを辿っている。

 松本は兵庫県尼崎市で3人きょうだいの末っ子として生まれたそうである。無口でいじめられ子だった彼が熱中したのは、お笑いだった。

 小学校時代、舞台装置の仕事をしていた父が招待券を入手し、家族で「うめだ花月」に通い始めたというのだ。

「小学五年生の頃、当時流行っていたお笑いトリオ『レッツゴー三匹』を真似して、松本は同級生と三人で『コマ第三支部』を結成して、お楽しみ会で漫才を披露しとった。毎回ネタを作っていたのは松本ですわ」(小中学校時代の同級生)

 その頃、松本は1人の同級生と出会う。パーマ頭にパンタロンという風変わりな出で立ちの少年こそ、後にコンビを組む浜田雅功であった。

 だが、中学を卒業すると2人は別々の道に進んだ。浜田は三重県の全寮制高校に進学、松本は兵庫県立尼崎工業高校に進学した。その3年間は暗黒時代だったという。当時の同級生はこう語る。

「校内は荒れ果て、イジメが横行。数人の生徒をターゲットにして、焚き火と称して、椅子にグルグル巻きにして火をつけたりしていた。松本は三、四人のやんちゃなグループに属していたけど、大人しくて目立たへんかったわ」(当時の同級生)

 高校卒業後、松本は印刷会社から内定を受ける。初任給18万円という好待遇だったという。ところが、松本は断りの連絡を入れたそうだ。

 内定辞退のきっかけは浜田のひと声だった。高校卒業後、浜田は競艇選手になるための試験を受けたが、あえなく合格切符を逃した。そんな彼の心に留まったのは、「新人タレント募集」というNSC吉本総合芸術学院)の一期生を募るポスターだった。

「浜田は専門学校に行くつもりでNSCを選び、松本はまともに就職する人生に疑問を持って浜田の誘いに乗ったと語っていました。

 当時、NSCの入会金は三万円。月謝は一万五千円。彼らは三カ月分を前払いしていたが、四カ月目からは払わなくなった」(2人を知る吉本関係者)

 そこで初代校長・冨井善則は、アルバイトを2人に紹介したという。大阪ミナミの八幡筋にある雑居ビルの2階のスナック「P」。夕刻、出勤したママは、1階にまで響き渡る浜田のカラオケの歌声に苦笑したそうだ。

「鍵を渡してたんやけど、お客さんがいないのに、カラオケを歌うてんのよ。浜ちゃんは松ちゃんに比べたら音程はマシで、演歌の『氷雨』なんかを歌ってた」(Pのママ)

 時給は800円程度だったという。皿洗いの合間、彼らはカウンターの下にしゃがみ込み、まかないのカレーを食べ、最終電車に乗り遅れると、ママは彼らに1万円を握らせ、タクシーに乗せたという。

 だが、2人は角を曲がるとこっそり降車し、お釣りを握ったまま、コーヒー牛乳を片手に朝まで徘徊したそうだ。

「次の日もバイトに来るんだけど、服も一緒で風呂に入っていないから、どうしようもなく臭いのよ。私の家がNSCと近かったから、よく遊びに来たわ。うちでは録画した『オレたちひょうきん族』を笑いながら見るわけ。研究してたんかな。お金がないから、朝は出前をとってあげて、それを食べてぱっと学校に行きよった。私は、売れると思ったから一緒にいた。あの頃は楽しかったし、今でも誇りに思ってる」

 松本人志たちの最初の萌芽は1982年7月、今宮戎神社で催された新人漫才コンクール。「松本・浜田」のコンビ名で出演した2人は、参加した25組の中で勝ち抜き「福笑い大賞」を受賞する。

 彼らの不遇の時代について明かすのは、吉本興業元常務取締役の木村政雄である。

「横山やすしさんが司会を務める番組でダウンタウンがネタをやったんです。それを見た横山さんが『お前らのは芸やない。チンピラの立ち話や』って。その言葉で彼らはすごくショックを受けているようでした」

 さすが横山やすし、いいことをいう。

 しかし、小劇場から燃え盛った人気は関西を席巻し、1987年4月、ダウンタウンはレギュラー番組『4時ですよ~だ』(毎日放送)を獲得し、全国区へと広がりを見せていく。

 東京進出の足がかりとなったのは、1988年にスタートした『夢で逢えたら』フジテレビ系)。ウッチャンナンチャンと共演し、今や伝説と化しているバラエティー番組である。

 当時、松本は東京に居を構えたが、プライベートは大阪にも軸足を置いた。

 後輩芸人たちによる松本への上納システムの原点は、この大阪時代に遡るという。

 1990年の夏、松本や後輩芸人たちのたまり場になっていたのは、東大阪市内のラブホテル「S」だったという。

 そして、ダウンタウンが栄華を極める一方で、マネージャーの大崎洋も歩調を合わせるかのように出世を果たす。2001年に役員となると、専務、副社長を経て、2009年には社長に就任する。

「映画撮影など、松本の希望は何でも通り、彼に異を唱える芸人、社員はますます減っていった」(元社員)

「一方、松本の女性関係はより淡白で刹那的になっていった。言い換えれば、より効率的に多数の女性と関係を持とうとしたのだ。

『松本さんを頂点とする上納システムが構築されたのは二十年以上前。当時、私は売れるために松本さんに女性を調達していました。ところが、それは簡単なことではない。後輩芸人たちは、『女の子が集まらなくて、しんどい』と愚痴を言い合っていました』(元芸人) 」(文春)

 松本を知る元吉本社員は次のように喝破した。

「モテモテだった2丁目劇場の時代から時が止まっているのではないか。齢五十を超え、システマチックに二十代の一般女性を相手にしていれば、トラブルは必然でしょう。彼らはダウンタウンの全盛期を知らないわけだから。お笑いのキングが聞いて呆れる。芸人なら、まずはその場で笑わせろよって話ですよ」

 たしかに、文春の報道によれば、被害女性たちはほとんどが、松本から恐怖感や圧迫感は覚えたが、笑わせてもらったことはないと証言している。

 先の木村は、吉本興業の構造的な歪みを指摘し、「ダウンタウン株式会社」と表現する。

「今の社長、副社長は、松本の元マネージャーであり、力関係で言えば松本のほうが上です。彼らは松本に意見なんてできません。今回の問題にしても『やめたほうがいいんじゃないか』と苦言を呈する人がいなかった。それが不幸ですね」

 下積み時代を支えたママは、
「あの頃と今と、どっちが幸せなんやろうね……」

 そういって、松本の芸人人生に思いを馳せたという。

 裁判が始まっても、松本人志が出廷するのは来年になるとスポーツ紙が報じている。(文中敬称略)

【巻末付録】
 まずは現代からいこう。
「橋本環奈 地中海の風に誘われて」「教育番組の元ジュニアアイドル 紫藤るい」
「上田操『マッチ』したかも…」。少しグラビアページが増えたな。

 お次はポスト。
「ときちゃん旋風到来! 限界に挑んだ初セミヌードをアンコール掲載」「甘美な濡れバストの舞姫 もも」
 袋とじ「赤い逃避行 新藤まなみ」

 私の好みは上田操だな。ときちゃんもいいな!

 

元木昌彦(編集者)

「週刊現代」「FRIDAY」の編集長を歴任した"伝説の編集者"。

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もときまさひこ

最終更新:2024/02/20 15:00
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