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<追悼>山本美香さんが伝えたかった思いとは?『戦争を取材する』

mikayamamoto.jpg『戦争を取材する――子どもたちは
何を体験したのか』(講談社)

 先月20日、内戦が続くシリア北部の主要都市・アレッポを取材中のジャーナリスト山本美香さんが、銃撃戦に巻き込まれ、死亡した。

 山本さんが銃で撃たれる前、武装していない一般人のように見える男が「ヤバーニー!(日本人だ)」と叫び、その直後に銃撃が始まったことから、その男が銃撃を指示したのではないかなど、テレビや新聞ではさまざまな臆測が飛び交っているが、真相はいまだにわかっていない。

 そのニュースを見るまで、恐縮ながら、わたしは山本さんのことをよく知らなかったので、テレビに映し出された彼女の生前の姿を見て驚いた。色白で、華奢で、美しく、日本で働いているOLとなんら変わらない。背丈もたった154センチだという。そんな彼女が、なぜ危険な戦地へ飛び込み、取材をしようと思ったのか? その思いを知りたいと、『戦争を取材する――子どもたちは何を体験したのか』(講談社)を読み始めた。

 はじめの章「戦争ジャーナリストという仕事」に、こんなことが書かれていた。

「まだ戦場取材をはじめたばかりのころ、自分の仕事について悩んだことがあります。けっして仕事がいやになったのでも、つらくてやめたくなったわけでもありません。自分のしている仕事がどれほど意味のあることなのか。ふと自信がなくなったのです」(本文より)

 そんな心境のまま、2000年、山本さんはアフガニスタンの移動診療所の取材を行っていた。その診療所では、アフガニスタン人の医師や看護師が働き、診療所の前には、山を越え、谷を越えてはるばる遠くの村からやってきた人々が、長い列を作っていた。

 朝から何時間も待っていた女性は、肩でぜいぜい息をして、とても具合が悪そうにしていた。けれど、医師が診察しアドバイスを与えると、とたんに安心したような表情になった。それを見て、医師はなんて素晴らしい仕事だろう。患者にしてみれば、まさに神様のよう。それにひきかえ、ジャーナリストである自分は……本当にちっぽけな存在だ。そんなふうに感じていた。

 そんな気持ちを抱えながら取材を続ける中、ある避難民の一家に出会う。父親の顔には40歳という年齢とは思えないほど深いシワが刻まれており、「これを見てくれ」と、彼の息子の墓へと案内した。それは寒い冬のこと、4歳だった息子は風邪をこじらせて、あっけなく死んでしまったのだった。

「もし薬があったなら、息子は死なずにすんだのに」

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