「俺は身勝手な男だった」【元ZOO・CAP】が語った覚せい剤逮捕後の本心、そして懺悔
昨年7月7日、芸能界、そして音楽業界に衝撃が走った――元ZOO・CAPの逮捕。トップ・アーティストの座まで上り詰め、栄光をつかんだ彼が薬物に手を出してしまった理由はなんだったのか。本誌独占で彼の言葉を届けたい。
元ZOOのメンバーであるCAP――本稿では彼の通称である〈CAP〉と記する――こと坂井氏が、一昨年12月、新宿区・歌舞伎町のホテルで覚せい剤約1グラムを3万円で購入した疑いで、2015年7月7日に麻薬特例法違反で逮捕された。ZOOは1989年に結成された9人組グループで、「Choo Choo TRAIN」のミリオンヒットで知られる元祖ダンス&ボーカル・ユニット。本誌読者であれば、彼らが90年代に巻き起こした一大ムーブメントが、記憶の片隅に残っているのではないだろうか。
95年の解散後の翌年には、彼を含むZOOのメンバー3人で〈LUV DELUXE〉を結成し、ZOOが持つオリジナリティであったブラックミュージックをさらに追求したスタイルで活動。「トパーズの涙」という隠れた名作を放つも、セールスは伴わず、結成翌年には解散を余儀なくされた。LUV DELUXE解散から約3年、21世紀を迎える前年に私はCAP氏と出会った。長身で端正な顔立ち、キレのあるダンスは、ZOO時代からひときわ目立っていたので、一目で“かのCAP”であることに気がついた。当時、自らが立ち上げた音楽系アーティスト・マネジメント事務所の取締役を務めており、その頃、駆け出しの音楽誌編集者だった私は、彼と仕事をする機会に恵まれた。
ある時、CAP氏が手がけるアーティストの音楽評を執筆したことがあった。私も若気の至りだったのか、辛辣な言葉に終始した原稿に対し、「お前のような若僧に何がわかる!」と激高、目の前で掲載誌を破り捨てられた過去もあった。しかし数日後、「ごめん」と謝罪の電話があり、手がけるアーティストへの愛や、未来のビジネスプランについて語ってくれた。以後、「共に音楽業界を盛り立てる」という裏方的立場で共鳴した私たちは、これまでに幾度となく仕事の現場を共にし、マネジメント事業と並行するイベント制作の現場へも足を運んだ。ZOO時代のように激しいダンスパフォーマンスこそしなかったものの、運営から進行、キャスティングまで、「アーティストから、アーティストを支える完全な裏方」として、違う輝きを見せていた。
それから5年後、マネジメント事務所を退社、音楽レーベルに転職したCAP氏は、新人発掘から所属アーティストのプロモーション業務を担当。言葉は悪いかもしれないが、その腰の低さは、一度芸能界の華やかさを味わった人間とは思えないものだった。インターネットが普及し、音楽レーベルのプロモーターたちは、「とにかくヤバいので聴いてください!」といった簡素極まりないメールでの売り込みや、アーティストの音源がアップされたダウンロード先のリンクを貼り付けただけのBCCメールの送付が常套手段となり、直接足を運んで売り込むことは極端に減った。そんな時代に彼は、出版社をはじめ、ラジオ局、あらゆるメディアに自らの足でプロモーションに出向いていた。「面と向かって話さないと気持ちは伝わらないよね」――時に鬱陶しく感じるほどの情熱を持ったプロモーションは、良い意味でも悪い意味でも彼の音楽愛を強固なものにした。
頻繁に顔を合わせる間柄ではなかったが、久方ぶりにその名を目にしたのは、昨年7月4日に放送された音楽番組『THE MUSIC DAY 音楽は太陽だ。』(日本テレビ系/以下、MUSIC DAY)におけるZOOの再結成ライブだった。オリジナル・メンバー全員が揃うことはなかったが、CAP氏はパフォーマンス前に「今、一番前のめりなやつらが何人かいないんで、また次回こういう機会がもらえるなら、ぜひ一緒に踊ろうよ」というメッセージを電波に乗せた。ZOOをリアルタイムで経験した視聴者からすれば、その不在であった前のめりな何人かは、即座に見当がついただろうが、彼はメンバーの名を明言しなかった。
そして放送から3日が経過した7月7日、冒頭で述べた通り、麻薬特例法違反で警視庁組織犯罪対策5課によって逮捕された。出会いからおよそ15年、かつて共に音楽業界を盛り上げる裏方という立場で共鳴した相手の逮捕に驚きを隠せなかったが、ワイドショーやスポーツ紙の“覚せい剤常習犯”といった見出しには、いささか違和感を覚えた。もちろん、罪を犯したという点において擁護することはできない。しかし、彼がこれまでに見せてきた、ひたむきなまでの情熱が、白い粉から形成されていたとは考えにくい。逮捕から約3カ月後の10月、東京地裁は懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役2年)を言い渡した。私は意を決し、彼にアポイントメントを取ることにした。
久しぶりに電話口から聞こえたCAP氏の声は、若干弱々しく感じたものの、これまでと変わらぬ態度で接してくれた。何気ない日常会話をするのも白々しく感じてしまうので、単刀直入、取材のオファーを試みる。二つ返事とはいかず、これまでに複数の週刊誌からのオファーがあったそうだが、執行猶予中の身のため、すべて断ったそうだ。事前に打ち合わせをし、それを踏まえた上で結論を出してもらうことにした。
打ち合わせ当日、彼は「人生を振り返り、思いつくままを書いていた」と、留置所生活で書き綴った便せんをリュックから取り出した。お世辞にも達筆とはいえないが、生い立ちから思春期を通過した学生時代、そして愛する者へのメッセージなどが書き連ねられていた。そして、それをもとに事件の概要を改めて聞いた。
2回目の打ち合わせは、彼が生まれ育った東京都板橋区で行った。場所は、CAP氏とは幼稚園からの幼なじみだという同級生が営む居酒屋だ。彼は悩んでいた。今回の事件を話すことによって、解放される気持ちがある一方で、それが保身のための独りよがりになってしまわないかと。そして、青春のすべてを捧げた仲間たち、仕事を共にしてきた仲間たちへの背徳行為になってしまわないかと。「俺はどうしようもない身勝手な男だった。でも、人生に思い悩んでいる読者がいるとするなら、俺のような恥さらし者がいることで、抱えている悩みを吹き飛ばすきっかけになれば」――そう言って、本誌の取材を了承してくれた。
華やかな芸能生活から裏方ビジネス、薬物に手を染めてしまった経緯、そして逮捕前・逮捕後の心境を聞く。
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