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元木昌彦の「週刊誌スクープ大賞」第118回

千客万来で競争激化! 復興景気に沸く東北・仙台のネオン街

motoki111219.jpg「週刊ポスト」12月23日号 中吊り広告より

第1位
「週刊ポスト」12月23日号

第2位
「『仙台復興』に咲いた懐かしき『バブルの華』」(「週刊新潮」12月22日号)

第3位
「吉永小百合 封印された肉食系『愛欲生活!』」(「週刊アサヒ芸能」12月29・1月5日号)

 12月19日、金正日総書記が死去したことが伝えられた。享年69歳。オサマ・ビンラディン、リビアのカダフィに続く、絶対権力者の死である。

「三男の正恩(ジョンウン)氏が後継者に決まっているが、権力移行の展開によっては国内が混乱し、難民の流出や核兵器の行方をめぐって情勢が緊迫する可能性も排除できない」とasahi.comは書いている。

 普通に考えればそうなのだろうが、北朝鮮は常識の通用しない国である。私が26年前にたった一人で北朝鮮に3週間滞在したときのことを思い出す。

 そのころは金正日の父親・金日成の時代であった。向こうの人間のあいさつはきまって「偉大なる首領・金日成と親愛なる同士・金正日」から始まった。後継者は金正日に決まっていて、彼の偉業を讃える個人博物館や書籍も出版されていた。彼の偶像化は完成に近づいていたが、それでもなお韓国や西側には、金日成が亡くなれば北朝鮮は内部から崩壊するという見方が強かった。

 だが私は、北で会った人たちの話しを聞き、向こうのテレビや映画、オペラを見て、北朝鮮の人たちが学校だけの教育ではなく、日々生活する中で金日成親子を称え、日本帝国主義やアメリカを憎み、南朝鮮(韓国のことを向こうではこういっていた)との統一を望んでいることを知り、この体制はそう簡単には崩れないと思った。

 父親の死後、たいした混乱もなく金正日時代が到来し、長きにわたって君臨してきたのはご承知の通りである。

 今回は三代にわたる権力継承と、そのころよりさらに悪くなっていると思われる食糧事情などを考えると、正恩体制にすんなり移行できるか予断を許さないが、そう簡単に金王朝が崩壊すると考えるのは楽観論に過ぎると思う。

 今回来日した韓国の李明博大統領が、首脳会談の冒頭で従軍慰安婦問題を切り出したことが取り沙汰されているが、韓国にとって慰安婦問題は終わっていないのである。

 歴史に学ばない歴史健忘症の日本人には、日韓併合など平安時代か鎌倉時代にあったことのように考えているだろうが、韓国、北朝鮮の人たちにとってはオンリー・イエスタデーなのだ。金正日の死を両国の不幸な過去を清算して新しい関係を築くきっかけと捉え、拉致問題を含めた話し合いをこちら側から提案するぐらいの積極外交に動くべきであろう。

 北の内部崩壊を待ち望むだけの消極的な姿勢では、21世紀の日朝関係はさらなる膠着状態に陥る可能性大である。

 さて、年の瀬も迫り一部の週刊誌は合併号になり、新鮮なネタに乏しい季節になってきた。こういうときこそ編集者の腕の見せどころで、腐りかけた鯛を活き作りに見せる手腕が試されるのだが、残念ながらそうした冴えを見せてくれた週刊誌はごくわずかである。

 久しぶりに「アサヒ芸能」を取り上げる。この2週ばかり「アサ芸」にはちょっと読んでみたいタイトルが散見された。「スクープ激白『飯島愛を殺した』私」(12月15日号)「橋下VS大阪市役所大殺戮ナマ現場」(12月22日号)がそれだが、読んでみると賞をあげたくなるような内容ではなかった。

 今週の吉永小百合も、私が知らなかっただけで、9月に発売された中平まみの『小百合ちゃん』(講談社刊)から男関係を抜いただけのお手軽な作りだが、私の一番弱いところをついているので取り上げざるを得ない。

 それは私が子どものころから由緒正しい「サユリスト」だからである。私と彼女はともに昭和20年生まれ。彼女が3月で私が11月。子役時代の彼女がラジオ番組『赤胴鈴之助』に出たころからのファンである。

 中学高校時代は、小百合が浜田光夫と組んだはち切れんばかりの青春映画を見た。『キューポラのある街』(昭和37年公開/浦山桐郎監督)の川口の鋳物工場の貧しい少女を演じたのもよかったが、高校で体を壊し、それでなくても暗かった大学浪人時代に見た『愛と死をみつめて』(昭和39年/斎藤武市監督)は何度見て泣いたことだろう。

 早稲田大学には何の魅力も感じなかったが、小百合に会えるかもしれないという一心で入学し、彼女がときどき現れるという文学部角の立ち食いそば屋の近くで何度待ったことだろう。

 編集者の仕事を選んだのも、彼女に会えるかもしれないという淡い期待があったからだった。会ったというよりも近くで見たといったほうが正しいのだろうが、一度は川端康成の鎌倉での葬儀のとき、それと週刊誌の表紙の取材で立ち会ったとき二言三言、言葉を交わしただけである。

 28歳の時、彼女は15歳も年上のテレビ屋と結婚してしまった。たしか「週刊朝日」、遠藤周作の連載対談に出て、”亭主が歯槽膿漏でも同じ歯ブラシで歯を磨けるか”という遠藤の問いに、「はい、磨けます」と答えている小百合の顔の上に涙をこぼしたことで何かが吹っ切れ、しばらくは小百合なしで生きることができた。

 だが、還暦近くなってからテレビコマーシャルで再び脚光を浴びる小百合を見て、青春のころの想いが戻ってきた。CMは録画し、JRのポスターは剥がして奪うほどの度胸はないので、こっそりデジカメで撮ってオフィスの壁に貼ってある。

 私がいま目論んでいるのは『戦後-吉永小百合とその時代』という本を書くことである。小百合ちゃん、インタビューさせてくれないかな。

 とまあ、自分史を述べてきたが、清純派という、今では死語になってしまった女優の最後が小百合だったと思っていた。だが、その彼女とて生身の女である。いくつかの恋愛があり、年上のオジンとの”幸少ない”結婚があり、不倫疑惑があった。

 若いころに有名なのは渡哲也との恋愛沙汰であるが、そのきっかけになったのが俳優の中尾彬であるという。彼がこう話している。

「彼女の広島のロケ地に立ち寄った時、僕は猛烈に腹を立てた。(中略)宿の浴衣の裾もいぎたなく乱して、お銚子を並べ、タバコもスパスパふかしながら宿で酔ってるんだ」

 怒った中尾が吉永を呼びつけて説教し、そこへ止めに入ったのが渡だったという。二人の仲は周知の事実で、渡は小百合のことを「うちのカミさん」と公言していた。

 渡は小百合の実家へ出入りして両親とも会う仲になるが、両親が許さない。「吉永にとって初めての男だった」渡との恋は2年余りで終幕を迎え、小百合はつらくて泣き通したという。

「YouTube」にいい映像がのっている。石原裕次郎が生きているとき、石原軍団を集めたテレビの歌番組の中で、小百合がピアノを弾き、渡が「くちなしの花」を歌うシーンがある。小百合は30代になっていたと思う。端が冷やかし照れる渡を見つめる小百合の眼が哀しそうで、見ているこちらもジーンとしてしまう。 

 その後、石坂浩二に恋いこがれ、28歳で15歳年上のおっさんテレビプロデューサー岡田太郎と結婚するのだ。

 清純派と呼ばれていた時代に作った俳句が有名である。

「松茸は 舐めてくわえて またしゃぶり」

 結婚してからはNHKドラマ『夢千代日記』ぐらいのヒット作しかないが、東映の社長になっている岡田裕介や西武にいた清原和博、俳優の東山紀之、ラグビーの本城和彦とウワサになった。

 私が「フライデー」にいたときだと思うが、西武グループの堤義明社長との仲がウワサになり、編集部員に張り込んでもらったことがあった。

 今や団塊世代のアイドルとして復活した彼女には、今一度、観客の胸を振るわすような演技を見せてもらいたいと思うのだが。

 「新潮」が復興景気に沸く東北・仙台のネオン街ルポをやっているが、これがとても面白い。これが第2位。被災現場の復興は遅々として進まないが、有名なネオン街・国分町の復興は早かったと皮肉りながら、クラブのママにこう語らせている。

「ゴールデンウイーク辺りから、他県から来た人たちが飲みに来るようになったんです。瓦礫の撤去の人とか仮設住宅を作るためにやってきた建築業者や、地震保険の審査をする人達もいっぱい来ました」

 一晩で60万円もキャバクラで使う地元の土地持ち。千客万来でホステスの奪い合いが激しい。食べもの屋もキャバクラも満員御礼。ソープ嬢は一日5,6人も客を取って体が保たないとグチり、デリヘル嬢は市内に空いているホテルがないことを嘆く。何と百貨店は前年度比300%増、100万円のロレックスの腕時計が一日5本も売れることがあるという。

 本格的な復興を前にこの大騒ぎである。しかし津波の被害を受けた沿岸部に目を転じれば、瓦礫がうずたかく積み上げられた荒涼たる光景が拡がっていると「新潮」は書く。

 予想されたように、巨額な復興資金はゼネコンが吸収して、被災地のほとんどの住民には行き渡らない。どこかおかしくないか。その日本の歪んだ現実をこのルポは見事に捉えている。野田佳彦総理に読ませたいものだ。

 さて、今週の一冊をあげろといわれたら、迷わず「ポスト」をあげる。なぜか合併号と書いていないが2週売りだからワイド風な記事が多いが、見ていると、このところ「ポスト」が頑張っていたことがよく分かる。

 前号で女子職員へのセクハラ疑惑ありと報じた駐クロアチア田村義雄大使に、帰朝命令が12月20日に出されるようだと”追撃”記事を書いている。

 「ポスト」は、この問題を取り上げない新聞・テレビの弱腰を批判しているが、外務省の記者クラブに安住して「毒まんじゅう」を食らってしまった記者たちは恥ずかしいとは思わないのか。

 同様に前号の「覆面官僚座談会」で、厚労省が25年の納付期間が数カ月足りなかったのに年金を支払っていた受給者に、時効後に受け取っていた保険料を本人に返す代わりに、受給資格を取り消し、支払った年金を返してもらうという”酷な”方針を固めたという厚労省官僚の発言が、大きな波紋を呼んでいる。

 突然、「あなたは明日から無年金」だと言われたら、動揺しない人間は多くはないはずである。年金だけを取ってみても、この国はすでに破綻していると言わざるを得ない。「現代」のように、だから60歳からもらったほうがいいといういい分もそれなりの説得力はあるが、根本は消費税増税も含めた年金制度の抜本的な改革が必要なのだ。だが悩ましいのは、それを今の政治家や官僚には絶対任せられないことなのである。

 大リーグへ移籍を希望している楽天の岩隈久志が愛人と車中キスをしている写真をスクープしたのも「ポスト」である。

 だが、その愛人が岩隈の妻の妹であるというウワサが広がっているようで、ご丁寧に「A子さんが『義理の妹』でないことは確認している」と注意を喚起している。

 警視庁に逮捕された柔道・金メダリスト内柴正人の教え子への強姦疑惑を、いち早く報じたのも「ポスト」だった。今週は前回取材した際の内柴とのやり取りを、前回書かなかった部分を出しながら追及している。ポスト記者が「3Pをしたという情報もあるが」と聞くと、こう答えている。

「マジで? ありがたいね。させてもらえれば、したいですよ」

 こんな人間を客員教授に採用した九州看護福祉大学の責任も追及されなければならないはずである。

 最後に、「ポスト」に比べて影の薄かった他の週刊誌の奮起を促したい。
(文=元木昌彦)

motokikinnei.jpg撮影/佃太平

●元木昌彦(もとき・まさひこ)
1945年11月生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社入社。90年より「FRIDAY」編集長、92年から97年まで「週刊現代」編集長。99年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長を経て、06年講談社退社。07年2月から08年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(2006年8月28日創刊)で、編集長、代表取締役社長を務める。現「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催、編集プロデュースの他に、上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで教鞭を執る。

【著書】
編著「編集者の学校」(編著/講談社/01年)、「日本のルールはすべて編集の現場に詰まっていた」(夏目書房/03年)、「週刊誌編集長」(展望社/06年)、「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社/08年)、「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス/08年)、「競馬必勝放浪記」(祥伝社/09年)、「新版・編集者の学校」(講談社/09年)「週刊誌は死なず」(朝日新聞社/09年)ほか

山田なおこ 写真集『スナック』

復興への希望を語る場所。

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最終更新:2013/09/10 11:40
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