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『商店街はなぜ滅びるのか』著者・新雅史氏インタビュー

酒屋を次々と“コンビニ”に変貌させた「知られざる日本の国策」

 また、オイルショック後、欧米諸国に比べて、日本はその経済的ダメージから立ち直るのが相対的に早かった。こうした中で日本は、自分たちだけが経済的にうまくいっているという、ある種の自尊心を持つようになります。

 では、なぜ日本は先進諸国の中でも経済がうまくいっているのか。当時の為政者たちは、こう考えました。欧米のような福祉国家とは異なり、福利厚生の手厚い日本企業と、サラリーマン=専業主婦体制の家族が、福祉を支えている。そのために、日本は、「ゆりかごから墓場まで」のようなコストの高い福祉国家にならずに済んでいる、というわけです。こうして、企業福祉と家族福祉を基軸とした日本型社会福祉論が80年代に一定の力を持ち、それに沿って、実際の政策も進んでいきます。

 それまでは自営業者と雇用者層という「両翼の安定」だったのが、片翼の雇用者層の安定だけがクローズアップされ、安定のイメージが変化しました。そこでは、サラリーマン家庭以外の人々は例外的な層として位置づけられてしまったのです。

――つまり、サラリーマンだけが日本の安定に寄与しているとなったわけですね。実際には、商店全体では、個人事業主の店が占める割合が、72年では8割でした。しかし、91年には6割に、07年には5割まで低下し、その代わりに法人事業主の商店(大手スーパーやコンビニ)が急激に増えています。そのような裏で、どのように商店がコンビニに変わっていったのでしょうか?

 80年に入り、日米構造協議を始めとする規制緩和の波が来ます。すでに、安定のイメージが変化し、既得権益層と見なされた自営業層にも規制緩和が迫られました。

 例えば、それまでも酒の販売免許を取得することは大変でしたが、徐々にスーパーなどの大手小売業にも免許が与えられるようになりました。また、当時の商店は、生活ができるラインは保ちつつも、徐々に売り上げが下がっていました。

 商店としては、この状況をどうにかしなければならない。酒の免許を生かしてできることは何か。当時、酒というのは夜中に買うことはほとんどできなかった。そこにコンビニチェーン本部が、「酒を扱っているコンビニと扱っていないコンビニでは、平均日商で6.8万円も売上に差があります」というレトリックで酒店にコンビニ化を迫ってきたわけです。平均日商でそれだけ違うとなれば、1カ月では相当違います。酒の免許がまだギリギリ意味があった頃なので、免許を使い、365日24時間営業すれば売り上げも伸びるということでコンビニになっていったのです。またそのほかにも、商店が抱えている問題を、コンビニ化によって解消できたことも大きかった。

大店法という規制が「コンビニ化」に拍車を掛けた

――商店が抱えていた問題とは?

 ここでは2つの例を挙げます。ひとつは、商店の店構えが古くなっていたことです。これに対しては、コンビニのフォーマットに乗ることで、フランチャイズ本部が店舗改装をやってくれます。もうひとつが、跡継ぎ問題です。こちらの問題は深刻でした。徐々に商店の売り上げが下がっていては、自分の子どもに跡を継いでもらうことは難しい。そこでコンビニ化によって売り上げを上げることで、跡継ぎ問題をなんとかできるのではないかと考えた。

 そういったいくつかの要素が組み合わさり、商店が苦境を乗り越えるひとつの手段として、コンビニになる道を採用していたのが当時の状況ではないでしょうか。さらにいえば、大手小売のスーパー側の論理もあります。

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