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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 『平清盛』は“正しすぎる”?
テレビウォッチャー・てれびのスキマの「テレビ裏ガイド」第10回

“正しすぎる”大河ドラマ『平清盛』はヒールのまま終わるのか?

 やがて、基房をはじめ平家に対して異を唱える者たちを、禿(かむろ)と呼ばれる武装した童子たちが襲い始める。それは、時忠が放ったものだった。重盛が冷酷になれない自分に嘆き病床に伏し、清盛の妻・時子(深田恭子)が「このままでは平家が嫌われ者になる」と心配するのをよそに清盛は権力の拡大に邁進し、それに呼応するように暴走を止められない時忠は、禿によって恐怖政治を強化していくのだった。

 元海賊王で清盛の側近兎丸(加藤浩次)は、時忠に「やりすぎじゃねえか?」と忠告する。それに対して時忠は、厳しい表情で自らに言い聞かせるようにつぶやくのだ。「平家にあらずんば人にあらず……」と。

 長きにわたって積み重ね描かれた人間味あふれる人物描写、複雑な人間模様と時代背景。『平清盛』は、それらを丁寧に紡いだ“正しすぎる”大河ドラマだ。だからこそ、驕り高ぶった言葉だと思っていたセリフが、実は一方で苦渋に満ちた言葉だったのではないかと気付く快感を味わえるのだ。

 プロレスの世界ではヒール(悪役)がベビーフェイス(善玉)に転向することを「ベビーターン」という。ベビーターンは大きなカタルシスを伴うものだ。時代のヒールに貶められた平清盛は、大河ドラマとしても低視聴率というヒールの扱いを受けてしまっている。ドラマの中で清盛はベビーターンを果たしているが、『平清盛』は大河ドラマとしてもベビーターンができるのだろうか。あるいは、やはり「正しすぎることは、間違っていることと同じ」なのだろうか。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)

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