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SMAPの会見に思う――。アイドルは幸せでなくてはいけません。それを信じる人の幸せとつながっているから

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、芸能報道を斬る。男とは、女とは、そしてメディアとは? 超刺激的カルチャー論。

 1月18日の『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)内の生放送での、5人による会見(あれを「謝罪会見」という言葉では表現したくない私がいます)は、SMAPファンではない人たちにも大きな話題を呼びました。多くは「ショック」という意味合いで。

 1年半ほど前になるでしょうか、私は別のコラムで、自分なりの「アイドル論」を書いたことがあります。以下、少し再現します。

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「私は、私たちは(ぼくは、ぼくたちは)、なんだってできる」とその存在で語るアイドル(私にとってのジャンヌ・モローや1987年くらいまでの松田聖子、80年代の伊藤みどりや96年に一度目の引退をするまでの伊達公子)、あるいは「私には、私たちには(ボクには、ボクたちには)、できることは限られている。でも、だからと言って、自分たちの上にいる、力の大きなヤツらに迎合も服従もしたくない」とその存在で語るアイドル(昔ならジェイムズ・ディーンとか、パンク、ロック系のアーティストなどはこちらの枠。尾崎豊もこちらだと思う。最近なら1990年代の安室奈美恵とか2002年ごろまでの浜崎あゆみの歌の世界観もこっちだと思う。同性のカリスマになるのは、たいていこちらのタイプ)が、10代の子たちにどれだけの勇気やなぐさめを与えてくれるか。

 ここに「AKB」の名前を出さなかったのには、理由があります。「歌がヘタ」だとか「可愛い子と思える子がいない」とか、そんなことはこの際どうでもいい。「AKB(と、派生するグループ)」は、私の考える「アイドル」とは真逆であることが最大の理由なのです。「大きなものが決めたことに迎合し、従わなければ、そのグループで活動を続けていくことさえ難しい。それが大前提になっている子たち」を見るのは、どうもね、つらすぎるのよ。「年端もいかない子が、お金も力もある大人に翻弄される」様子を、「物語」とか「試練」として気持ちよく消費することが、心情的にできないわけ。それは私にとって、「運営側・制作側が隠そうともしない残酷さ、酷薄さに乗っかる」みたいな部分があるのです。
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…と、こういうことを書いたのが1年半前。そして今年の1月15日にアップした、この連載の前回のコラムではこういう感じのことを書きました。

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 アイドルとは、ただ『テレビやステージでキラキラ輝いている人』のことではない。その人たちが輝いている姿を見ると、ほんの一瞬でも『生きていくのが怖くなくなる』というほどの切実さで、多くの一般人が応援している人。それがアイドルである。

 しかし、松田聖子にしろSMAPにしろ、「若さをベースにしたキラキラを放出する時期」が終わってもなお、「10年、20年、30年の長きにわたってこの『任務』を成立させるアイドルが出てきた」いうことは、同時に、「多くの人たちにとって、生きていくことが、いつまでたっても怖くなくならない」ことも意味するのです。

 やっぱりダメよ、解散なんて。くどいようですが私はSMAPオタではありません。でも、曲が好きなの。彼らのステージを見るのが好きなの。そして、そのステージを見ることで、一瞬でもいい、「つらさ」を忘れる人たちがたくさんいることを感じるのが好きなの。「いい大人になっちゃったけど、昔から好きなことが、自分のそばに、まだある。だから、なんとか生きていける」と思える人がたくさんいる。そのことが好きなの。だからダメよ、解散なんて。
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 そして、1月18日の生放送での、SMAPの会見。あの会見を見た後で、私は前回のコラムに書いた「感想」を変更するのではなく、ひとつだけ、新たな「感想」をつけ加えたいと思います。

「アイドルは、幸せにならなくてはいけない」と。

 アイドルとは、何も芸能人だけが背負う「使命」ではありません。スポーツ選手をアイドルにしている人、文筆家をアイドルとする人…、本当にさまざまなアイドルがいます。現実世界に存在しない何かしらのキャラクターをアイドルにする人もいれば、海外住まいの私の友人がマザー・テレサを挙げたように、崇高な活動をしている人をアイドルにしている人もいるでしょう。

 アイドルは、私を含む一般人に、「キラキラ」を見せてくれるだけではありません。想像すらできなかった高い壁を超えたり、分厚い殻を破る姿を見せてくれる。そして、自分の力だけでは見えなかった景色を見せてくれる。少なくとも若かりし頃の私は、アイドルのそんな姿を見て、「私ももう少し頑張れるかもしれない。自分の壁はもっと低いんだから。自分の殻はもっと薄いんだから」といった「励まし」をもらってきました。

「生きていくことの怖さ」を単にやり過ごすだけではなく、乗り越える強さを、会ったことがない他人や現実にはいないキャラクターからもらってきたのです。これは私を含む「SMAPファンではないが、自分なりのアイドルがいる人・いた人」にもわかっていただけると思います。

 だから私は、自分のアイドルには幸せでいてほしい。幸せになってほしいのです。彼ら、彼女たちの強さが、自分の強さにほんの数%でも影響を与えてくれるのを知っているから。彼ら、彼女たちの幸せが、自分の幸せと見えない場所でつながっているのを知っているからです。

 私は、それがどこまでも利己的な感情だと知っています。

 でも、同時に「それが利己的な感情だ」ということを認められる程度には大人です。だからこそ、あの会見を見たときに、SMAPファンの人たちのためだけでなく、自分のためにも思ったのです。「SMAPには幸せになってほしい」と。

 芸能界におけるアイドルが、2~3年で入れ替わるのではなく、驚異的に長いあいだ人気を博すようになった理由に、「若さをベースにしたキラキラ」だけではなく「メンバー同士の関係性」が消費されるようになったから…ということは、一般にもかなり共有されていると思います。「関係性萌え」の人は、今さら「アイドルとつきあえるかも」みたいな妄想を抱くほど子どもではない。しかし、「自分のリアルな世界、その世界にいる人々との関係性にしんどさを抱えている人が、彼らの関係性から力をもらいたい」と、心のどこかでは思っているのではないか…。私は自分の経験からそう感じるのです。

 グループ単位のアイドルが見せる「キラキラした関係性」に希望を見出していた人たちが、メンバーの誰ひとり幸せに見えなかったあの会見に動揺したりショックを受けただろうことは、容易に想像がつきます。本当に若い頃に「自分の周りの人々との関係性」にしんどい思いをしていた私自身にとって、その動揺やショックは他人事ではないからです。だから、あの会見以来、私の心の中には、薄くてぼんやりしているけれどどうにも剥がれない膜がかかったような感じになっています。

 生きることに不器用だったり、周りの人たちとの関係性に不器用だったり…アイドルは、そんな人たちのために存在します。不器用であることが「悪」だなんて、私はとても思えません。「不器用であること」を受け入れつつも生きていかなくてはいけない人たちの、その負担の重さは、かつての自分が抱えていた重さそのものでもあるからです。だからこそSMAPは幸せになってほしい。傲慢な希望だということは百も承知で、メンバーだけでなく、SMAPを作った人、SMAPを動かしている人たちも一緒になって、SMAPを幸せにしてやってほしいのです。SMAPのため以上に、アイドルを信じるすべての「ちょっと不器用な人たち」のために、強く願っています。

高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。著書に『愛は毒か 毒が愛か』(講談社)など。新刊『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)が1月下旬に発売予定。

最終更新:2016/01/23 13:45
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