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【ルポルタージュ】氏賀Y太 リョナ・グロとマンガに人生を全振りする男のスケッチ

 氏賀は、マンガ家人生の中で、ただの一度も描き上げた原稿を携えて、編集部へ持ち込んだことがない。ただこれだけが、編集部へ出来上がった作品を送るという経験だった。

 ただただ、ひたむきにマンガを描き続ける。それが氏賀のマンガ修業だった。通例、高校生くらいになると、具体的にマンガ家になるための人生設計を考え始める。高校を卒業してから、専門学校に行く、アシスタントをする、出来上がった作品を編集部に持ち込む……。そんなレールを敷く予定を決めるよりも、今、この瞬間にもマンガを描く。明日も明後日も描き続ける。そのことしか、氏賀の頭の中にはなかった。高校生活も後半になると、寝ても覚めてもマンガを描くこと以外、何も考えたくなくなった。進学校であるから、周囲は、自分の成績なら具体的にどれくらいのレベルの大学に入ることができるのか。偏差値を参考にしながらの学校選びがクラスの話題になる。そんな話の輪に入ることなくマンガを描き続ける氏賀の成績は、入学当初よりも、さらに悪くなった。「ちゃんと、高校だけは出たほうがよい」教師の言葉も、氏賀にはまったく響くものがなかった。

《勉強なんかしてる暇があるかーって思って。それで……高校を中退しちゃったんです》

 もう、何者にも邪魔されずにマンガを描くことができる。だが、高校をやめた当初、実家は針のむしろだった。とりわけ、母親はしばらく荒れていた。けれども、そこまで決意を固めた息子の姿を見て、次第に考えを変えて「そこまでやったのだったら、絶対にマンガ家になりなさいよ」と繰り返すようになった。ふと、自分は母親と性格がそっくりなのだと、氏賀は思った。

 * * *

 退路を断ち、本格的にマンガに取り組もうとしていた時、「ゲーメスト」の編集者から連絡が来た。「うちの編集部で働かないか」。これは、マンガ家になる好機かも知れないと思い「働きます」と返事をした。

 最初に任されたのは、ライター仕事だった。「ゲーメスト」が扱っているのは「アーケードゲーム」。ゲームセンターに置いてある業務用のゲーム機の専門誌だ。シューティングゲームや対戦格闘ゲームなど。大勢の若者たちがゲームセンターに集まり、百円玉をつぎ込んでランクを競い合っていた時代。編集部には、全国のハイスコアラーが出入りし、質の高い記事で部数を伸ばしている雑誌だった。その上り調子の雰囲気が、ライターに自由にやらせる余裕を生んでいた。氏賀は、編集者から指示されて、新作ゲームや攻略情報を書くだけでは飽き足らず「カットを描かせて」「4コママンガのページをつくりましょう」と、次々とアイデアを提案した。氏賀の描いた4コママンガは評判がよく、たびたび掲載されるようになった。

 氏賀の提案した記事ページや4コママンガは、読者からも評判がよかった。ただ、原稿料は驚くほどに安かった。そのことを相談したところ、会社が多角経営の一貫で経営していたグッズショップ「まるゲ屋」でのバイトを紹介された。勤めてみると、店員たちは驚くほどに、いいかげんだった。たびたび「今日は、休みたいから……あなたが代わりに出てくれ」と電話がかかってきた。一週間、休みなく働いていると、記事を書いているよりも儲かった。それで、口に糊することができるようになると、もっとマンガを描きたくなった。「ゲーメスト」の中の店の宣伝ページ「まるゲ屋瓦版」にも、自作の4コママンガを描くようになった。

 忙しい日々は数年続いていた。雑誌は上り調子だった。1991年にカプコンが発売した『ストリートファイターII』をきっかけに、対戦格闘ブームが始まると、部数はどんどん伸びていった。92年の秋に入った頃、氏賀の描いていた4コマを気に入っていたゲーム制作会社・アイレムの担当者が「うちの作品のマンガを描いてほしい」と依頼してきた。本誌の付録小冊子にその年の7月に発売されたゲーム『アンダーカバーコップス』を元ネタに描いてほしいというのだった。

 今では、ゲームがマンガになるのは当たり前のこと。でも、当時はそれだけでも話題になった。アニメになっているような作品はあった。けれども、ゲームには人気になってるからマンガ化するという流れは、まだ確立していなかった。ここぞとばかりに、ゲーム本編とはまったくテイストの違うギャグマンガを描いた。『アンダーカバーコップス』は、それまで硬派なゲームを売りにしていたアイレムが、路線を変えて美少女キャラクターを登場させたことで、ゲーマーから賛否両論が飛び交っている作品だった。そこに投入された、ゲーム本編とも異色のマンガは、また話題をさらった。

 これを見た編集者は、すぐに人気ゲームをマンガ化する雑誌「コミックゲーメスト」を創刊することを決めた。すぐにその企画が通る勢いと、読者の支持が、当時はあった。

 こうして氏賀は連載陣に加えられ、マンガ家になった。連載になった『アンダーカバーコップス』や『豪血寺一族2』。氏賀が手がけた作品は、人気作となった。有力な描き手を揃えた雑誌はヒットし、当初の隔月刊から月刊誌へと進化した。でも、氏賀はそこに安住することをよしとせず、離れた。

《パロディは嫌いじゃないんですけど……オリジナルを描きたいという思いがムクムクと出てきて……》

 専属料をもらい、経済的にも安定していた。後に妻となる女性は「コミックゲーメスト」の立ち上げの時に入社してきた、自分の担当編集者だった。公私ともに安定しているはずなのに、そうなればなるほどに、もっと面白いことをやりたくてたまらなくなっていった。

 フラストレーションもたまっていた。後に倒産の理由のひとつになるのだが、新声社は典型的な同族経営の企業だった。まったくゲームもマンガもわからない専務のオバサンが、たびたび現場に口出しをしていた。「オリジナルなんて、だめだめ。あなたは、パロディがいいのよ」まったくマンガのことなど知らないオバサンに訳知り顔で、見当外れなアドバイスをされればされるほど、オリジナルを描きたくてたまらなくなった。そう考えているうちに、自然に縁が切れた。

 * * *

「一般誌で描くことができるマンガ家になろう……」新声社と縁が切れた時には、そう思っていた。でも、一般誌で掲載されるであろうマンガよりも、もっと描きたいものがあった。グロを描きたかった。

 最初に気づいたのは『ドラえもん』にハマっていた小学生の頃だった。来る日も来る日も、ドラえもんの落書きをしていた、ある日……なんとなく、ドラえもんをバラバラにした絵を描いた。自分で描いて驚いた。さっきまで、親友だと思っていたロボットが、単なる鉄くずとなってしまう。いかなる生き物も、魂が失われれば単なるゴミとなってしまうという不条理さに気づいた瞬間だった。

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