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“生涯ドルヲタ”ライターの「アイドル深夜徘徊」vol.3

ファンのたしなみ、アイドルのたしなみ――有坂愛海ファン追悼ライブに思うこと

 それでは、一体、彼女を突き動かした「思い」とは何だったのだろう。自身が語っているように、ファンの安否について「とにかく確かめたかった」という気持ちはあっただろう。ただ、その心情の根底には、彼女が10年以上アイドル活動を続けてきた原動力である、「人を楽しませたい」という思いがあったのではないか。

 ライブに来なくなったおっきゃんに対し、「もしかしたら」という不安もあったことだろう。しかし、彼が何らかの事情でライブに来られなくなっているのだとしたら、そこから救い出してあげたい、また彼にライブを見てもらいたい、そんな強い思いがあったのではないかと思う。

 今回の事例でもわかるが、ファンとアイドルのお互いがお互いを思い合う関係は、とてもとても細い、繊細な一本の糸で繋がれているようなものだ。その繋がりは細くとも、いや、細いからこそ、血が通い、熱を持った関係性が保たれるのである。その関係性には名前が無い。名前を付けることなどできないのだ。なぜなら、100人のファンがいれば100通りの思いや関係性があるから。

 私だって、おっきゃんと有坂の気持ちを知ることはできない。それは本人たちにしかわからないことだ。ただ、一人のアイドルファンとして想像するならば、その関係はとても美しいものだと思う。そして私自身、そんな見えない関係を感じたくて、アイドルを追いかけているようなところもある。

 今回の出来事は、数々の偶然によってできている。例えば、フリーで活動している有坂が事務所に所属していればこのような行動はできなかっただろうし、最寄り駅を知っているファン仲間がいなければ、本人にたどり着くことはできなかっただろう。その意味でも、これはアイドル史に残る出来事となるはずだ。

 こうして見てきたように、アイドルとファンの関係には、ルールがある。その基準はアイドル毎に違っていると思うし、ファン一人ひとりの考え方によっても違ってくるだろう。最近、ホームページで「ライブでの禁止事項」をたくさん掲げている運営がある。アイドルというマーケットが巨大化し、いろいろなファンがついてくる過程でやむを得ないことだとは思うが、それでも少しだけ悲しい気持ちになるのも確かだ。

 アイドルとファンが阿吽の呼吸で、お互いの距離感をつかむ。それもまたひとつの文化であり、醍醐味なのだ。それをつまびらかに明文化しなければならなくなるというのは、やはり、相手(アイドルでありファン)を思いやる気持ちが足りない人が増えていることのように思える。

 おっきゃんは幸せであったと思う。それは、有坂が追悼ライブをしてくれたからということではない。死ぬまで応援できる存在があって、その相手と理想的な関係を築くことができ、そして彼女を思ったまま生涯を終えたのだ。

 何より彼は、最後まで「たしなみ」を忘れなかった。ヲタクとして見事な生きざまだ。かっこいい、素直にそう思うのだ。
(文=プレヤード)

最終更新:2018/12/27 16:51
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