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平成J-POPプレイバック!

安室奈美恵をブレークに導いた、小室哲哉の”絶妙なR&B感覚”と「SWEET 19 BLUES」

 先ほどの取材の翌月にリリースされた『SWEET 19 BLUES』は、日本のアルバム・セールス史上において記録的な数字を残す大ヒットとなる。僕のインタビューの中で最も印象的だったのは、のちにリカットされたこのタイトル曲で唄われている「とりえ」についての話だった。

<いちばんとりえが何か/教えてあげなきゃならない/あの子やあいつ>

 19歳になろうとしていた安室はレコーディング時、この歌を書いた小室哲哉と会話を交わしている。そこで彼女は自分の「とりえ」を大切にすることについて話したそうで、それが歌詞のテーマの一部となり、2コーラス目に織り込まれていた。

 人それぞれが持っているはずの長所、魅力……とりえ。ほかならぬ安室自身、それに突き進んできた人だった。そしてアムラーを含めた当時のリスナーたちは、おそらく彼女のそんなひたむきさ、まっすぐさに強く惹かれたのではないかと思う。

 この前年の95年は阪神・淡路大震災、それにオウムによる地下鉄サリン事件という悲劇が起こり、日本という国の価値観が根底から揺らいでいた頃だった。数年前のバブル崩壊の影響も社会のあちこちに出始めていて、この国は否応なく転換点を迎えていた。何を信じて生きていったらいいのか、誰もがわからなくなりつつあった時である。

 そんな中で安室はスターとして認められた。それはもちろんダンスのカッコ良さ、歌の力、チャーミングなルックスがあってこそ、なのはもちろんなのだが。何よりも彼女の姿……迷いなく、自分の信じる道をひたすら走る姿に、大勢の人が元気付けられたはずだ。

 また、アルバム『SWEET 19 BLUES』の前後は、安室の音楽性も転換点を迎えていた。そもそも安室はダンス・グループのSUPER MONKEY’Sの一員としてデビューした人である。やがてグループのメインに抜擢され、大きなヒットを放つようになったのは95年の「TRY ME~私を信じて~」から。この後からは彼女のソロ名義となり、その後、続いた「太陽のSEASON」「Stop the music」といったヒット曲の核にあったのは流れるようなユーロビートだった。これらは、いずれも洋楽のカバー曲である。

 それが、95年の後半からは小室哲哉のプロデュース、楽曲も彼の書き下ろしとなる。ここからのヒット・シングルは「Body Feels EXIT」、次の「Chase the Chance」と、ユーロビートの感覚を踏襲しながらも、そこにハウス的なビートとロックな音色を配合し、より太いサウンドへと変化していっている。

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