日刊サイゾー トップ > エンタメ > ドラマ  > 大河が描かない明智光秀の「給付金」施策
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』放送再開を待つ間に!

明智光秀の「給付金」施策は失敗に終わっていた?“本能寺の変”の逸話から探る『麒麟がくる』今後の展開

 大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK)の放送が、新型コロナウイルスの影響で中断を余儀なくされている。放送再開が待ち遠しいが、この空白の時期を使って主人公「明智光秀」についてより理解を深めてみるというのはいかがだろうか? 今回は、歴史エッセイストの堀江宏樹氏が明智光秀の“金銭感覚”に迫っていく──。前回はコチラ

明智光秀の「給付金」施策は失敗に終わっていた?本能寺の変の逸話から探る『麒麟がくる』今後の展開の画像1
『麒麟がくる』公式サイトより

 織田信長はニックネームで家臣たちを呼ぶのが好きだったといわれます。ちなみに「サル」と秀吉を呼んでいたことはドラマなどでもおなじみになっていますが、これは史実では確認しづらい……つまり「ガセネタ」なのです。

 明智光秀のことも「金柑頭(きんかんあたま)」などと呼んでいたといわれ、一説に髪の毛の薄さ、もしくは頭の形のおかしさをおちょくられ続けたせいで明智はついにブチぎれてしまった……などという話もあります。しかし、この「ハゲ伝説」の逸話や、「金柑頭」というあだ名の初出も江戸時代の歴史物語ですから、これも“ガセ”なんですね。

 過去の大河ドラマ……たとえば『秀吉』(1996)では、信長の裏切りに対する報復で、人質だった明智の母が磔で処刑されるというシーンが出てきました。母を信長に殺されたという恨みが「本能寺の変」を起こす原動力になったともいう逸話はあるのですが(江戸時代の書物『総見記』など)、このあたりの事情に定説はありません。

 信長治世の記録としてもっとも信頼できる『信長公記』などには記載ゼロ。……ということで、何が明智に「本能寺の変」を起こさせたかは逸話からは、よくわからないのです。

 その一方で、天正10(1582)年の「本能寺の変」の直後、明智が信長の居城だった安土城に侵攻、そこで彼が行った略奪行為には、「なぜ、明智は信長を討とうと思ってしまったのか」を知る手がかりになるような、興味深い特色がありました。

「本能寺の変」で信長は亡くなりますが、この時、彼は数え年で49歳です。

 他方、信長より年長だったとされることが多い明智には「変」の当時、「55歳説」、もしくは「67歳説」の2説があります(実は信長よりも年下の43歳説というのもあり、これも否定しきれない部分があるのですが……)。

 明智からみれば、かなり年下の信長の言動や金遣いには、納得できないジェネレーションギャップも多かったのでしょう。

「本能寺の変」で信長が亡くなったのち(遺体は見つからずじまいでしたが)、先述の通り、明智は安土城に乗り込みました。そしてそこに蓄えられていた金銀財宝を己のモノにすることを一番最初にやっているのです。

 ここまでならば当時の一般的行為といえるのですが、明智は特異な行動に出ています。

12
ページ上部へ戻る

配給映画

トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • twitter
  • feed