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大学の経営難、科研費の偏り、教員のブラック労働……日本の教育が“おかしい”のは文科省のせいか?

研究費を「選択と集中」するだけでいいのか?

――著書では、旧・文部省時代に重視してきた教育の「機会均等」から、現・文科省はさまざまな面で「選択と集中」へ変化しつつあると書かれています。これは大学の研究者からは非常に評判が悪いですが、経営学だと近年では「選択と集中」よりも「両利きの経営」だ、といわれています。つまり、利き腕に当たる既存の得意分野、勝てそうなところを掘り下げるだけではなく、もう一方では利き腕ではない未開拓の分野、未知の領域を並行して探究しないとイノベーションは起こせない、と。研究費のありようについて、文科省や財務省からこういう発想は出てきていないのでしょうか?

青木 「両利き」という考え自体、初めて聞きました。経団連のような経済団体が率先して大学に「選択と集中」を要望してきたはずですが、とすればなぜ「両利きの研究」を求めないのか、不思議ですね。

 とはいえ、科研費(科学研究費助成事業。日本の研究機関に所属する研究者の研究を格段に発展させることを目的とする文部科学省およびその外郭団体である独立行政法人日本学術振興会の事業)についてみると、主要なものである「基盤研究」は、金額の多い順にS・A・B・Cと分かれていて、Cは年間50~100万円規模の、個人や少人数でできる研究を想定しています。これは各研究者の得意分野を維持・保障するものといえるでしょう。対して3~6年間で500万円から2000万円以下、もしくは2~3年間で500万円以下の「挑戦的研究」は、これまでの研究から飛躍するようなことを目指してやってみるというものですから、すでに「両利き」的なことをやっていると言えなくもない。

 ただし、科研費はこれまでの実績を重視する傾向がありますから、結果的には二重の意味で「選択と集中」になりやすい。どういうことかと言うと、基盤研究で実績を出せる人は結局、「挑戦的研究」のほうでも予算が取れて、両取りになりやすいんですね。そうなると、特定の研究者に資金が集中する。しかも、複数取れてしまった場合、どれかを後から取り下げることは基本的にしたくありませんから、その研究者は今度は「時間貧乏」になってしまう。

 アメリカなどでは研究資金を獲得したら、「間接経費」という割り増し経費を使って、代わりに講義を受け持ってくれる人の人件費や秘書やアシスタントを雇うことに使えますが、日本では「間接経費」の割り増し率は低いために、人を雇うほどの金額にはなりません。そもそも、多くの大学で間接経費は本部や部局が「中抜き」しますから、研究者の手元にはほとんど残りません。だから、科研費など競争的資金を獲得できる大学教員ほど、授業も研究も……と忙殺されています。

「文科省は現場を知らない」は問題か?

――青木さんの本の中に、文科省は産業界や官邸の意を汲んで、さまざまな「政策」をつくり、プログラミングや小学校の英語教育などの形にするのは得意だけれども、「政策の目的」設定となると途端に怪しくなってしまう、との指摘がありました。組織として「何のためにこの教育をするのか」の自負・持論がないまま政策をつくっているのか、と衝撃を受けました。

青木 かつては「機会均等=都道府県格差をなくす」という目標が徹底していました。山や海に囲まれた僻地であっても、まともな教育が受けられるようにと努力してきた。私は大学院生の頃に研究費で初めて出張したのが山口県でした。学校施設を見学しましたが、山深いところにも立派な校舎が建っていて感動しました。しかし、最近は華々しい話ばかりが語られます。やれ「グローバル人材」、やれ「AIに負けるな」、やれ「ナントカ力(りょく)」みたいな話ばかりが持ち上がる。教育の目的そのものがグラついていると言わざるを得ません。

 せめて、かつてのように「基礎・基本を誰もができるように」とした上で「基礎・基本ができる人はどうぞ目新しくて発展的な学習を」という区分けになっていればわかるけれども、そうなっていない。私は今の時代であれば、発達も家庭環境も経済状況も人種も母語も宗教も多様な子どもたちがみんな、人権侵害を受けずに学べる環境をいかにつくるかが、まず重要だと思います。

――文科省は「政策」をつくっても、それが現場でどう「実施」されるか、つまり、そもそも学校で物理的・能力的にできるのかというロジに対する想像力が欠如している、とも青木さんは指摘されていました。これも、なかなかすごい話です。

青木 大規模な開発事業を実施する際には、事前に環境アセスメントをしますよね。どんな影響が想定されるのか調べます。新型コロナウイルス対策でワクチン接種が始まりましたが、あれだって製薬会社が治験を行って、一定の有効性や安全性が確認されて初めて実用化されます。ところが、教育政策に関してはそういう発想がなく、「どんな力を付けさせたいか」といったふわふわした議論で政策が決定してしまう。そして、後になって「そんな数の先生、どこにいるんだ?」「誰がそんな新しいことを教えられるんだ?」「予算はついたけど使い切れない」となってしまう。

 一方で、小中高校の先生がよく「文科省は現場を知らない」「文科省や財務省の人に学校現場で働かせたい」と言いますが、本当にそういう問題なのかな、と不思議に思います。現場の実情を本当に知ってほしいのであれば、自らデータをまとめて公表すればいいのに、そういうことはしないわけです。それなのに、今、学校の働き方改革が本格化していますが、一部の不心得な自治体や学校では勤務時間の捏造すら行われていると報道されていますよね。あまりにひどくて言葉もありません。

 つまり、文科省だけの問題ではなく、お互いに知ろう、伝えようというコミュニケーションの回路がうまくできていません。私が科学的な情報に基づく政策論議のためのシンクタンクが必要だと思っている理由が、ここにあります。

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