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西郷隆盛の“不思議ちゃん”な行動の意図──「まだ戦が足りん!」発言や突然の渋沢邸訪問にあった真意とは

自身は裕福に暮らしながらも、他人の金満ぶりには激怒する矛盾

西郷隆盛の“不思議ちゃん”な行動の意図──「まだ戦が足りん!」発言や突然の渋沢邸訪問にあった真意とはの画像2
軍服姿の西郷隆盛(床次正精作)

 西郷の批判の目は、新政府の同僚の暮らしぶりに向けられました。西郷は新政府で仕事することを嫌っていましたが、その理由の一つが、高官に成り上がった新政府の役人たちが高い給料をもらい、金に物を言わせて生きているさまに反感を抱いたからでした。

 西郷は明治3年末(1871年)、彼を東京に連れ帰ろうとした岩倉具視に「新政府で働く条件」といわんばかりの「改革案」を手渡しました。この時、西郷は「政府の中枢に位置する要路の者は驕奢(=贅沢)な生活を止め、質朴の風を守るべきである」と書いています。

 しかし、金権主義的な新政府の役人たちの姿は、西郷が東京に出てきた明治4年(1871年)以降も改まらず、特に彼をイライラさせたのが、大隈重信の築地の大邸宅と華麗な暮らしぶりでした。大隈のライフスタイルは「大名生活」(「東京朝日新聞」大正3年4月15日付)として、世間から一目置かれるほどだったとか。西郷いわく大隈は「詐欺師」で、軽蔑の対象でした。明治5年には、新政府の実質的な最高職にいる三条実美が「茶屋遊び」をしていることにも怒りを隠せなかったそうです。

 こうした他者批判は、この頃すでに西郷のメンタルヘルスが大きく揺らぎ、ノイローゼ状態だったために他罰思考が強まっていたことの証しとも言えるでしょう。板垣退助の証言によると、西郷は「むしろ北海道に引込(ひきこん)で、鍬(くわ)を提げて終わらんかと思う」とも言っていたそうです。

 しかしこの時期、史実の西郷(と家族たち)はきわめて裕福で、それなりに金を使って楽しく生活できていたようです。かつて『西郷どん』(2017)では、西郷は庶民たちと長屋に暮らしているという設定になっていましたが、史実の西郷は新政府内ではもっとも給与面で厚遇されていた人物であり、その暮らしぶりも“清貧”とはかけ離れたものだったのです。

 岩倉からの新政府出仕要請を断りきれず、西郷は明治4年に上京します。この時の西郷は日本橋のはずれの人形町という一等地に約2600坪の土地を現金購入し、家族の他に書生15人、下男7人が暮らせるだけの豪邸を新築しています。猟犬も数頭ほど飼っていたそうです。これほどに彼が富裕だったのは、なかなか上京しようとしない西郷に、新政府が多額の年金を与えていたからです。

 さらに明治5年、西郷は陸軍大将の地位に上り詰め、500円(現在の1000~2000万円に相当)もの月給を受け取れることになりました。ボーナス抜きで考えても、年俸1億2000万円以上のサラリーをもらっていたのですから、相当な高収入です。それで“清貧”をアピールされても……と思ってしまうのは筆者だけでしょうか。彼にとって“質素な生活”は、我々が考える“豪邸暮らし”に相当するようです。

 特権を享受してそれなりに裕福に暮らしながら、自分以上に金を使う他人の生き方には激怒する西郷。そこには、明治維新後の西郷が生き様において大きな矛盾を抱えてしまっていた姿が象徴されている気がします。

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