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もともと添乗員は男性だった! 修学旅行ほか「団体旅行」の知られざる歴史と進化

添乗員が修学旅行のバスや列車を前日・当日に手配

──今では「修学旅行」は、日本人にとってあまりに当たり前なものになっています。しかし、これはもともと近代に入って新たな学校制度ができ、明治には軍事教練や身体訓練に重きを置かれた中で生まれたものであると同時に、伊勢参りがそうであったように、地域社会の中で受け継がれてきた通過儀礼としての──苦難を伴う──旅でもあったと書かれています。

山本 修学旅行の発端は、明治半ばの東京師範学校の長途遠足に起源を求めるのが通説になっています。明治19(1886)年の『東京茗渓会雑誌』に「修学旅行記」という記事で記載されたのが「修学旅行」の語が公に使われた初出で、ここから急速に定着していき、明治21(1888)年には「尋常師範学校準則」の中で学校行事として明確な位置づけが図られます。ただ、私は民俗学の立場から、若者・子どもの成長過程に合わせた通過儀礼としての民俗行事と重ね合わせてとらえています。

─その修学旅行が旅行業者にとってはある種の「型」になって、ほかの団体旅行にもノウハウが応用されていったそうですね。しかし、昭和30年代半ば頃(1960年頃)までは修学旅行の列車やバスは貸し切りではなく、前日や当日に綱渡りの現地調達で、飲料設備も十分でなかったので、旅行会社の添乗員が大量の飲み物をやかんなどに入れて走り回り、しかも悲惨な事故が頻発していたと本にあり、今の我々が抱く修学旅行のイメージとの差にクラクラしました。

山本 戦争の影響もあって戦後しばらくの間は列車の本数・台数自体が極端に落ち込んでいた一方、修学旅行需要はありましたから、輸送力が追いつかなかったんですね。今回の本を作るための取材で「交通機関にかけ合ってなかなか取れない座席を確保するのが添乗員の仕事だった」とうかがったときは、私も唖然としました。

──戦後日本人の旅行について本格的な全国調査が実施されるようになるのが昭和30年代半ば以降であり、1962年の第1回「全国旅行動態調査」によると68.1%の人が1泊以上の旅行を年に1回もしておらず、1960年の第1回「国民の旅行に関する世論調査」によれば観光旅行を過去1年間にした人のうち約66%が団体旅行だったそうですね。つまり、かつては「旅行はめったにしないもの」「旅行といえば団体旅行」だったんですね。

山本 その「3分の1しか旅行に行っていない」という調査結果は、赤ちゃんからおじいちゃん・おばあちゃんまでを含めた世帯の全構成員を対象にしたもので、18歳以上を対象にした別の統計では旅行機会があったと回答しているのは約半分となっています。ただ、それでも半分だった。

 当時は実家に帰省する程度の移動であれば個人で手配できたでしょうが、目的地を決めて移動手段や宿泊場所を確保することが現在で考えられないくらい個人では難しかったんですね。列車の台数・本数が限られているので、団体を組まないと長距離移動ができなかったと当時の旅行会社に勤務されていた方が取材でおっしゃっていました。

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