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冷酷な頼朝を描く『鎌倉殿』 “クレイジー義経”は「一ノ谷の戦い」で本領発揮か

義経の奇策「鵯越の逆落し」は事実かフィクションか

冷酷な頼朝を描く『鎌倉殿』 “クレイジー義経”は「一ノ谷の戦い」で本領発揮かの画像2
源義経(菅田将暉)|ドラマ公式サイトより

 さて、次回の第16回についても少し考察してみましょう。メインは戦闘シーンとなりそうです。第15回冒頭には、「戦のにおいがする……俺が待ち望んでいたにおいだ!」と叫ぶなどやけにテンションの高い義経の姿が描かれていましたが、第16回でいよいよその“天才”ぶりが発揮されると思われます。

 寿永2年(1183年)11月、京の都に近い近江国に義経が進軍してきたことを知った木曽義仲は、後白河法皇の住まいであった法住寺殿を焼き討ちし、法皇の身柄を幽閉します。法皇の生命は自分が握っているという木曽の“アピール”に困った源範頼と義経の兄弟に、GOサインを出したのは冷徹な頼朝でした。義経は木曽軍に「宇治川の戦い」で勝利し、京都に入ります。一方、木曽義仲は敗走する中で悲惨な自害を遂げているわけですが、これらの描写はドラマに譲りましょう。

 興味深いのは、第15回で描かれた坂東武者たちによる鎌倉殿へのクーデター事件に、畠山重忠が参加していたことです。『平家物語』では、畠山も500騎を率いて義経の軍に従軍していたことになっており、宇治川で(馬を射られ)溺れそうになった味方の武将・大串重親の鎧を掴み、対岸までポーンと放り投げて、助けた……という怪力自慢のエピソードも出てくるのです。また、以前の連載でも触れた巴御前との接近戦もこの頃の話ですから、この手の超人的なエピソードは『鎌倉殿』ではカットしてしまうつもりなのでしょうか……。まぁ、この怪力の逸話はドラマのカラーとは違うのでしょうが、ちょっと残念ではあります。

 第16回では、寿永3年(1184年)2月の「一ノ谷の戦い」も描かれるようですね。怪力の逸話がカットされるのであれば、義経が「一ノ谷の戦い」で見せたという、急な崖を騎馬のまま下り、平家軍の背後から急襲をかけたという「鵯越(ひよどりごえ)の逆落し」がドラマで描かれるかどうかは興味津々なところです。「一ノ谷の戦い」の少し前から、史実を振り返っていきましょう。

 2月4日に平宗盛率いる平家一門が亡き清盛の三回忌の法要を行った直後から、摂津国と播磨国の境目に位置する一ノ谷でさまざまな“動き”がありました。5日深夜には義経が、「夜討ち」という、大将格の武将が取るには当時あまりに卑怯とされた手段も平然と採用し、平宗盛を敗走させます。しかし、義経(と源範頼の二人)に課された至上命令は、平氏軍の壊滅ではなく、平氏が”人質”として都から連行中の安徳天皇と、三種の神器の奪還だったことに注目してください。

 6日には、後白河法皇が停戦命令を平氏、源氏の両軍に出しています。義経の無茶な戦いぶりに、安徳天皇、そして皇位継承の正当性を保証する三種の神器の安否に不安を感じたのかもしれません。しかし、早くもその翌朝、義経は後白河法皇の停戦命令を完全無視し、先日の戦いで敗走した平家たちが急な崖を背後にした一ノ谷に布陣したことを受け、その背後からまさかの奇襲攻撃を仕掛けたとされています。これがいわゆる、義経と従者たちが騎馬のまま急峻な崖を降りていってしまったという「鵯越の逆落し」なのです。もっとも、鎌倉幕府の公式史『吾妻鏡』には登場していますが、九条兼実の日記『玉葉』など信頼できる一次史料には登場していません。それゆえ『平家物語』などの軍記物、つまりフィクションが発祥の「伝説」であると歴史学会では考えられてはいます。しかし、戦いがあった場所はやはり急な崖のある鵯越にほかならなかったという歴史ファンの説も根強く、真相はよくわかりません。

 平氏軍を率いる平宗盛が、京都の後白河法皇に「休戦命令を信じた平氏の味方が多く殺された。法皇は源氏と結託し、平氏に痛手を与えるべく、嘘の休戦命令を平氏に出していたのではないか」という要旨の手紙を送りつけ、名指しで批判をしたという事実があるのは見逃せません。源氏の捕虜になった平重衡を引き渡す代わりに、三種の神器を返還するように法皇から提案されたことに対し、怒りの手紙で返答したのです。平宗盛がムキになっている様子から、彼らを仰天させるような奇襲が義経の手で行われた可能性は否定できないように筆者には思われます。

 だからといって、「鵯越えの逆落とし」が本当に可能なのか、というのは別の問題でしょうね。中には、実際に馬でも崖は下りられるとする研究もあるようです。当時の馬は小柄で(大げさにいっても)体高は140センチもなく、成人男性も150センチ台の平均身長だったため、騎乗のままでもバランスを取って崖を降りることができたと考えられているようです。いくらバランスが取れたとしても、相当の難技であることは想像に難くなく、はたして義経一行に本当に実現可能だったのかどうかは、ポニーにしか乗ったことのない筆者には判別もつきません。

 しかし、『玉葉』(寿永三年二月六日)によると、「一ノ谷の戦い」の後も、平家軍2万に対し、源氏軍は1000~2000程度しかいなかったそうです。10倍、20倍もの兵力差を覆すことができた背景には、普通なら想像もつかない、それこそ「逆落とし」のような奇襲があったと考えられるのも自然なのかもしれません。いずれにせよ、『鎌倉殿』で常々描かれてきたエキセントリックな義経のキャラクターであれば、どんな奇抜な発想を繰り出したところで、自然になじんでしまうと思われますが……。回を重ねるごとに予測が難しくなってくる『鎌倉殿』に、ますます注目していきたいと思います。

<過去記事はコチラ>

堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『隠されていた不都合な世界史』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/02/21 12:36
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