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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】最終回

森達也監督の劇映画デビュー作『福田村事件』 正義に染まった集団が過ちを犯すメカニズム

人間は紳士淑女にもなり、けだものにもなる

インターン制度を悪用した企業犯罪を映画化 ペ・ドゥナが慟哭する『あしたの少女』の画像5
「千葉日日新聞」の記者・恩田(木竜麻生)は、虐殺の現場を目撃する

 100年前に起きた「福田村事件」だが、この映画を観ていると昔話とは思えない。日本の「ムラ社会」の原風景を見ているかのようだ。インターネットが発達し、少数意見も発信できる情報化社会になったものの、自分とは異なる存在を過剰なまでにバッシングする風潮は強まる一方だ。また、多くのネットメディアは、PV数を稼ぐことしか考えていない。同調圧力が個人の声を潰していく。「いいね」を集める記事は、本当にいい記事なのだろうか。

「ネットだけでなく、メディアはどこも同じです。新聞は部数を、テレビは視聴率を追い求めています。メディアが抱えている構造的な問題です。そして、その構造的な問題は今も昔もまったく変わっていません。扇情的な、読者を煽るような記事を書けば、多くの人に読まれるわけです。この映画に登場する『千葉日日新聞』の砂田部長(ピエール瀧)は、かつてはリベラルな反権力的な新聞社にいたという設定です。例えば、幸徳秋水が発刊した『平民新聞』。つまり大正デモクラシーをシンボライズするメディアですね。でも政府を批判する記事を書き続けた結果、弾圧されると同時に部数も減り、やがて廃刊した。若い女性記者・恩田(木竜麻生)は『真実を伝える』という理想を持っていますが、理想だけでは仕事や生活は続かないことを、砂田は知っているわけです。今のメディアが抱える問題と、まったく同じです」

 震災後、過激な流言を広めた新聞や雑誌は、政府の取り締まりや検閲を受けるようになったことが1973年に刊行された吉村昭の『関東大震災』(文藝春秋)には記されている。やがて多くの新聞社は政府や軍に迎合するようになり、日本は第二次世界大戦へと向かった。なぜ、人は歴史から学ぼうとしないのか?

「特に日本人は歴史から学ぼうとしません。戦後の報道や教育の在り方に問題があったように、僕は感じています。ドイツ人にとっての戦争のメモリアルデーは、ナチスドイツが全面降伏した5月7日ではなく、アウシュビッツ収容所が解放された1月27日とヒトラー内閣が組閣した1月30日だとドイツ人に聞いたことがあります。日本のメモリアルデーは、広島、長崎に原爆が投下された8月6日、8月9日と終戦記念日の8月15日。つまり、日本では自分たちの被害と終戦がメモリアルだけど、ドイツでは自分たちの加害と戦争の始まりがメモリアルです。日本では戦後の復興が大きなナラティブとして国民に共有されたけれど、ドイツは自分たちがナチスを支持した理由をずっと考え続けている。この違いは大きい。人間は環境によってけだものにもなるし、紳士淑女にもなれる生きものです。でも、負の歴史を直視しないからこそ、けだものになった事実を認めようとしない日本人はとても多く、朝鮮人虐殺や南京虐殺はなかったことにしてしまうんです」

 森達也監督の前作『i-新聞記者ドキュメント-』(19)の最後を締めた、森監督自身によるナレーションの台詞を最後に紹介したい。

「一色に染まった正義は暴走して、大きな過ちを犯す。それは歴史が証明している。一人称単数の主語を持ち、持ち続ければ、それだけで世界は変わって見えるはずだ」(森達也)

 映画を観るということは、自分とは異なる人間の人生を体験することではないだろうか。映画を観ることで、あなたの目の前の景色が以前とは変わり、新しい世界が広がっていくことを、筆者は願ってやみません。15年間、ご愛読ありがとうございました。

『福田村事件』
監督/森達也 脚本/佐伯俊道、井上淳一、荒井晴彦
出演/井浦新、田中麗奈、永山瑛太、東出昌大、コムアイ、木竜麻生、松浦祐也、向里祐香、杉田雷麟、カトウシンスケ、ピエール瀧、水道橋博士、豊原功補、柄本明
配給/太秦 PG12 9月1日(金)よりテアトル新宿、渋谷ユーロスペースほか全国公開
©「福田村事件」プロジェクト2023
fukudamura1923.jp

【パンドラ映画館】過去の記事はこちら

最終更新:2023/08/31 19:00
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