『令和ロマンの娯楽がたり』収録後に「M-1王者になる」というミラクルの功罪
#令和ロマン
28日に放送された『令和ロマンの娯楽がたり』(テレビ朝日系)が評判だ。“分析大好き”な若手芸人・令和ロマンをMCに、Aマッソ・加納、ダウ90000・蓮見翔といったメンバーでさまざまな娯楽のジャンル、コンテンツについて語り尽くそうという企画。収録後の24日に当の令和ロマンが『M-1グランプリ』(同)のチャンピオンになってしまったために、「日本一の若手漫才師は今の娯楽をどう見ているのか」と、じゃっかん性質が変わってしまい、批評性と当事者性が同居する緊張感をはらんだ番組になっていた。
最初のテーマは「日本人はなぜ未完成なアイドルが好きなのか?」というもの。高比良くるまが、あらゆるエンタメは「ベタ」「メタ」「シュール」の3要素のうち2つを取ると勝てるという理論を提案するところから始まり、「アイドル」という名称そのものに未熟性が宿っているのではないか、「アイドル」と呼ばれたくないという意識が生まれるのはなぜか、といった方向に話が展開していく。
そこから、議論は「肩書き」についての解釈に移行。蓮見は肩書きによるイメージを嫌い、単に「8人組」と名乗っているという。「アイドルと呼ばれたくない」という意識と「キャッチコピーや肩書きを付けられたくない」という意識の類似にたどり着く。
すると今度は加納がEXITを例に「同時のときない?」と話題を振る。EXITのデビューは『ゴッドタン』(テレビ東京系)と言って差し支えないと思うが、初出演時に「チャラ男」と「実は真面目」という2つのキャッチコピーを付けられることになった。これについては『ゴッドタン』プロデューサーの佐久間宣行氏も「EXITは、あんなに早くチャラ男のキャラを剥がしてよかったのか」と懸念を語っていたことがある。いかに肩書きやキャラクター付けがその後のキャリアに影響するかを誰よりもわかっているということだろう。だが、加納は「最初から2コ持ってこい、なのよ」と、2つの肩書きをデビュー時に獲得したことこそがEXITの成功につながっているという。
蓮見は現在の、特にネット上にある「嘲笑う風潮」について語り始める。一部の視聴者の中にベースとして「嘲笑う」のスタンスがあり、そうした声が演者や制作側に伝わりやすい環境が整ったことで、送り手側が簡単に潰されてしまう。だから「努力」や「真面目」といった属性が必要になってくるという話だ。これも、「ただ面白い」にもうひとつ何か加えて「2つ」にしなければならないという話につながってくる。
象徴的なのは、それこそ『M-1』だろう。「アナザーストーリー」を含め、今年は翌日に事後番組も放送されている。笑いの裏側、芸人の努力、そういうものを何のてらいもなく披露してきたことで『M-1』はビッグコンテンツになっていった。
そして、この番組収録時にはまだ何者でもなかった令和ロマンに、巨大な肩書きを与えることになったのも、また『M-1』だったのだ。「分析を娯楽にする若手芸人」という肩書きで初の冠番組デビューを果たした2人は、放送時には「M-1王者でもある」という「2つ目」を手にしていた。
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緊張感が走ったのは「今リメイクしたらバズりそうな過去の名作は?」というテーマでの一幕だ。『SLUM DUNK』をはじめとして中年世代のノスタルジーを刺激する作品が数多く作られている現状について、トリックスターとして登場した永野が率直にくるまに問う。
「若いみなさんは、腹は立たないんですか? 自分が令和ロマンの世代だったら、ナメられてる感じになるというか、『君たちは新しく生めないんだ』って言われてるようで」
これに、蓮見は「めっちゃあります」と同調する。今の蓮見翔という人物は、より新しいものを生み続けることに心血を注いでいる立場であり、どちらかといえば批評や分析をぶつけられる側である。この番組でも、おそらくは「そういう“ゴリゴリに送り手”という立場から見て、優秀な君は何を思う?」と問われる役割を背負わされているのだろう。
だが、創作側であると同時に批評側でもあり、令和ロマンというコンビを常に俯瞰から批評的に構築してきたくるまは、ノスタルジーブームが嫌じゃないとした上で、まったく忌憚のない意見を返してきた。
「自分たちの世代より、おじさんとかおばさんたちって、すごく不幸だから、現実を受け入れられないから。いろんなひどい目に遭って、いろんな歪みに遭って、得をしていないから、過去の少年時代、少女時代のことでしか楽しめない」
筆者は、くるまの指す「おじさん/おばさん」の世代である。正直、びびってたじろいでしまった。同年代の永野が「あなた、正しいこと言ってるけど人気でないと思うよ!」と代弁してくれなかったら、寝込んでしまうところだった。単なる跳ねっ返りの若造が言っているのではない。M-1王者が言っているのだ。
今のテレビで、もっとも「ウソがない」をやっているのが永野だろう。その永野に触発された部分もあったに違いない。
人を傷つけない笑いがどうした、芸能界は縦の関係がこうなんだ、そういう評価軸に、くるまは一切価値を感じていない。人に好かれることより、正確に伝えることを優先している。そのためには誤解を恐れない。むしろ、強い言葉でいったん誤解させてから真意を説いたほうが効果的であろうと考え、それを実行している。そして「だから、おじさんおばさん向けの作品がバズるんだ」という結論に、スムーズにたどり着いてみせる。
さらに永野は「今の令和ロマンの漫才にも、おじさんおばさん向けに作っている部分があるのか」と問う。これにも、くるまは淀みなく明快に回答する。そしてその答えは、そのまま「令和ロマンがM-1を獲った理由」となる。ここに、この番組のマジックが生まれている。
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「5年後、天下をとる芸人は?」というテーマもあった。この議論の中で、「ゲームチェンジャーだった」として名前を挙げられたのが、オードリー・若林正恭だった。天下ではないかもしれないが、若林的な価値観の仲間を多く集めたことは間違いないだろう。何しろ、来年には東京ドームライブだ。
そして、そんな若林がライフワークとしている『あちこちオードリー』(テレビ東京系)について、ネット上ではここ数日「ちょっと、どうなんだ」という議論が盛り上がっている。
令和ロマンが今後どんなタレントになっていくのかはわからないが、確かにくるまの面構えには「ゲームチェンジャー」という肩書きがよく似合うな、と感じた。
(文=新越谷ノリヲ)
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