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『不適切にもほどがある!』第2話 昭和のダメおやじ、早くも空気が読めるようになる

第2話 一人で抱えちゃダメですか? | TVer

 クドカンの最新作となるTBS金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』第2話。盟友である阿部サダヲを主演に迎えて自由自在かと思いきや、先週の第1回は、いかにも窮屈な出来となっていました。

 令和にタイムスリップしてしまった主人公のオガワ(阿部)は不必要に不適切な行動を繰り返し、それに対して露骨な不快感を示す令和人と示さない令和人が共存している気持ち悪さに苛まれて物語が入ってこなかったのですが、今回はわりとスッキリ見ることができました。

 その理由は明らかで、オガワが全然不適切じゃなくなっているのです。例えばバスの中で不意に大声を出してしまって注目を集めたら、ちゃんとすぐに謝るし、携帯が鳴ればバスを降りてから会話を始める。第1話のオガワさんだったら「何見てんだよ、うるせえな!」という場面ですが、学習能力が高いというか急に空気が読めるやつになったというか、品のある人になってる。わずかに、コンビニの前で路上喫煙しているシーンだけがその名残を残す。

 今考えれば「昭和と令和のコントラストを描く」という作品のコンセプトと「タイムスリップものですよ」という設定を説明するために過剰に下品な振る舞いをさせる必要があったのだと思うし、それをあっさり捨てちゃうクドカンの脚本家としてのいい加減さが、好い方向に作用したように思います。振り返りましょう。

■時代を背負わないほうがよさそう

 今回はオガワが令和で気になっちゃった女性・渚さん(仲里依紗)のオシゴトの話。乳幼児の面倒を見ながらフルタイムで働くテレビプロデューサーの苦労が、業界あるあるを散りばめながら語られました。

「働き方改革」という錦の御旗がはらむ矛盾や、末端がしわ寄せを食う構造的な問題を薄くデフォルメしつつ、そこにオガワが正論をぶつけていくという対立の構図があって、それとは別に渚さんの元夫を「正論の人」という肩書きで登場させることで、いかにもオガワが無茶を言っているように見せるという演出はミスリードではあるけれど、効果的でした。

 また、オガワが騒動に介入する動機も今回は「好きになった女の人のため」という明確なものだった上、「その人が困ってるから」だったので、ちゃんと必然性がありました。

 前回は「ハラスメント」がテーマでしたが、オガワが介入していく動機がなく、また問題を抱える側にも明確な被害者が存在しなかったために、ミュージカルシーンも「ただ関連ワードを歌ってるだけ」みたいな感じだったんです。それを歌い飛ばそう(笑い飛ばそう的な意味での)という爽快感がなかったんですが、今回は楽しかった。やりたいことが成功してると思いました。

 前回のレビューで、昭和の象徴として今回の阿部サダヲのキャラクターを動かすなら、それは時代を背負えてないなと感じたと書きましたが、今回の阿部サダヲは別に昭和じゃなくても、こういう考え方の人っているよな、というところにとどまっていた。この感じで、オガワが声がデカいだけの、本来の意味でのリベラルな良識人として現代の固定概念に対峙していくという構図であれば、楽しく見られそうだと思います。時代描写はあくまで小ネタと辻褄だけにしておいて、人格やコミュニケーションには反映させないほうがよさそうだし、ドラマ自体もそういう方向に行きたそうな気もするし。

 そして、そういう単なる良識的な異物として阿部サダヲを使うなら、クドカンのもっとも得手とするところでしょう。楽しめそうでよかった。犬島渚って名前の仲里依紗、どこかでマイクで人を殴ったりするのかな。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子です。

最終更新:2024/02/03 18:33
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