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【シリーズ・震災遺体(下)】震災死を受け入れられない遺族

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 岩手県釜石市にある日蓮宗の寺・仙寿院。ここの本堂の裏には、約百個の骨壺が収められている。東日本大震災によって亡くなった人々の遺骨だ。被災地には、身元の分かっていない遺骨や、墓が流されて埋められなくなった遺骨が数多くある。仙寿院の住職・芝﨑惠應(55歳)はそれらの遺骨を無償で預かっているのだ。

 震災からもうすぐ1年。震災は風化しつつあるが、遺された家族はどんな心情でいるのか。発生直後の遺体安置所や遺体捜索の状況を活写したノンフィクション『遺体――震災、津波の果てに』(石井光太著、新潮社)がベストセラーになり話題を呼んでいる。その舞台となった釜石市における遺族たちの「その後」に迫った。

 現在、仙寿院の本堂の裏に並べられた骨壺には、遺骨の入っていないものが少なからずある。

 骨壺の中に収められているのは本人の遺影や思い出の品だ。あの日、津波に流されたまま見つかっておらず、遺された家族がせめてもの気持ちとして遺影を入れてお寺に収めているのである。

 住職の芝崎は震災発生当初から遺体安置所や火葬場などで鎮魂に関する仕事をしてきた人物だ。『遺体』という本の中でも遺体安置所でずっとお経を読んでいたことが記されている。いわば、震災のすべてを見てきた人物だ。その彼は次のように語る。

「家族が肉親の死を受け入れるには、遺骨が必要です。しかし、未だに多くの遺体が海に沈んだままなのです。遺された家族は懸命に死を受けようとして遺影をつくったり、空の骨壺を用意したりします。しかし、なかなか死を受け入れることはできないのです」

 芝崎はそう言って「遺骨を持ってみてください」と言った。その遺骨は、まるで中身の入っていない紙箱のように軽かった。遺影を収めたところで重さを感じることはできないのだろう。

「こんなに軽い骨壺を持ったとしても、肉親の死を認められるはずがありません。そのため、家族の中で意見が分裂してしまうケースもあるのです。たとえば、夫は行方不明の子供の死をいい加減に認めようと思い、息子の葬儀をしたいと思う。そして遺影しか入っていない骨壺を用意して寺へ相談に行く。一方、妻は行方不明の息子はどこかで生きているのではないかと思っている。だから、夫が葬儀をしようとしていることについては猛反対する。こうしたことが夫婦の仲を引き裂いてしまうこともあるのです。遺族は今そうした段階に差し掛かっており、苦しんでいると言ってもいいでしょう」

 多くの遺体はまだ海底に沈んでいる。たとえ、見つかったとしても、今は部分遺体であることがほとんどだ。腕や足しか見つからないのである。こうなると、DNA鑑定をしたところで、はっきりとした結果が出るとは限らない。

 では、遺体さえ見つかれば家族は死を受け入れられるのかといえば、決してそういうわけではない。遺体発見後も、また別の苦悩が家族を襲うこともある。

 釜石市の消防団に、福永勝雄氏(当時・66歳)という人物がいた。地震が町を襲った時、福永氏は自宅にいたが、慌てて外出先から帰って来た妻を残して消防署へ向かった。消防団の副団長であったため、指示を出動しなければならなかったのだ。

 津波が釜石の町に襲いかかる1、2分前、消防署の署員や消防団員たちは入り口の前に集まっていた。全員がふと気がついた時、なぜかその場にいた福永は姿を消していた。車に乗ってどこかへ行ったのである。

 その瞬間、津波が町を襲った。消防士や消防団員は建物の階段を駆け上がってかろうじて助かったが、町を車で走っていた福永は津波に流されたらしく行方不明になった。

 そして震災から約2カ月が経った日、福永は乗っていた車ごと遺体となって発見されたのである。

 遺体が発見された時、消防士や消防団員たちは次のように語った。

「福永さんは、きっと津波がくると考えて水門を閉めに行ったにちがいない。それで死んでしまったんだ。彼は町を守ろうとして死んだのだ」

 そして彼らは町の恩人として福永に感謝し、その話は英雄談として町中に広まった。

 だが、妻の安子さん(62歳)の思いは異なる。遺体が見つかった直後に訪れると、妻は黒い喪服を着て現れた。

 仏壇の前には夫の遺体と一緒に見つかった腕時計や財布が砂だらけになって置かれていた。いくら洗っても落ちない汚れは、津波の激しさを物語っている。

 妻の安子さんは次のように言った。

「消防団の方々は、夫が水門を閉めに行って命を落としたと言っています。しかし、私はどうしてもそう思えないのです。夫は、私たち家族のことが心配になって帰ろうとしたのではないでしょうか。家族のために死んだ。そう思わなければ、私のような家族が浮かばれないのです」

 誰一人として、津波が来る直前に福永が消防署を離れた理由はわからない。だが、消防団員たちは「きっと町のために水門を閉めに行って死んだのだ」と言いたがる。福永を消防団や町の英雄にしたがるのだ。

 妻は違う。妻は夫が町の人ではなく、自分のために死んだと受け止めたい。だからこそ「家族を助けに帰ろうとした」と思いたいのだ。

 何が正しいわけではない。一人の死を受け入れるには、それを支えるだけの「物語」がなければならないのだ。そしてそれこそが遺された者たちにはもっとも必要になる。それがあって初めて死を受け入れることができるのだ。

 だが、福永は未だに消防団の中で英雄として祀られているらしい。『岩手日報』の記事によれば、11月14日に盛岡で消防協会主催の慰霊祭が行われたらしい。岩手県では消防関係者98人が命を落としている。その魂を鎮める会が催されたのである。

 遺族430名が参列する中、福永の妻安子さんが遺族代表として感謝の言葉を述べたという。それは次のようなものだった。

「はんてんを着て家を飛び出した後ろ姿が目に焼き付いている。命を張って地域を守ってくれた故人を誇りに思う」(『岩手日報』)

 安子さんは地域のためではなく、家族のために命を落としたと思いたかったはずだ。だが、消防協会が主催する慰霊祭では、その思いを殺して「地域のため」と言わなければならなかったのではないか。

 そう思うと、遺された人々がいまだに苦しみながら、肉親の死と向かい合っていることがわかるのである。

●作家・石井光太ら、「震災遺体の現実」を語る【ダイジェスト】
http://www.youtube.com/watch?v=A5btjESRWQY

遺体―震災、津波の果てに

まだ1年。

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最終更新:2023/01/26 19:02
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