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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 2013年はずん・飯尾イヤー!?
2013年は飯尾イヤー!?

いつも心に「ぺっこり45度」、再ブレイク中のずん・飯尾和樹を構成する“謙虚な毒”

_MG_7428.jpg撮影=後藤秀二

 ずん・飯尾和樹とは、稀代のギャグメイカーであり大喜利テクニシャンでもある。振られたトークは必ずヒットで打ち返す。フェイスも愉快。それなのに、なぜか大ブレイクすることなく、今年で芸歴22年。しかし、昨年あたりからじわじわと世間が飯尾熱を帯びだしたことに、アナタはお気づきだろうか。中堅ベテラン芸人ブームの一角を担う存在でありながら、どこか正体不明。今一番気になる芸人、飯尾和樹の魅力をどこよりも早く、かつ濃密に解き明かす!

――2012年からの怒涛の「飯尾フィーバー」に対して、ご自身はどう思われていますか?

飯尾和樹(以下、飯尾) いやいやいやいや、そんなことはないですよ。

――芸人界でも非常にミステリアスな存在である飯尾さんが普段どんなことを考えているのかを、今日はぜひともお伺いしたいと。

飯尾 まったくもって普通ですよ……住むんだったら、日当たりのいいところがいいとか。

――(笑)。では、飯尾さん的に2012年はどんな年でしたか?

飯尾 そうですね。確かに、Suicaのチャージがすぐなくなりました……以前は1000円チャージしておけば、4日、ヘタしたら1週間はもっていたのに。強気に5000円チャージしてその日になくすっていう経験もしまして。人間、調子ぶっこいちゃいけませんね。

――テレビで見る機会が増えてファンとしてはうれしい限りですが、果たしてなぜ今「飯尾」なのかと。

飯尾 だいたい相方とネタを作るにしたって、今こういうのがウケるとか、こういうのがキテるとか、まったく分からないんですよ。俺たちの場合は、40過ぎのオヤジが笑い合ったものを客に見せるというシステム。それもずっと変わっていないので、本当にどうしてですかね?

――そもそも、芸人を目指されたきっかけとは?

飯尾 うちの両親が『男はつらいよ』が大好きでして、いつも家族で見に行ってましたねぇ。あぁこんな感じで、旅芸人かなんかになれたらいいなぁと。甘い考えで。でも実際に芸人になるにはどうしたらいいのか、よく分からなかったんですよ。

――どうやって浅井企画に?

飯尾 それはですね、地元の先輩が就職して、五反田エリアの営業担当になったんですね。その時に「飯尾、浅井企画って事務所が五反田にあるぞ」って電話番号を教えてくれて。で、電話をかけたら「一回、顔見せにこい」って言われたんです。ちょうど事務所が「若い子たちを使って喜劇をしたい」と考えていたようでして。

――タイミング良かったですね!

飯尾 そうなんですよ。で、「お前のちょっと前に、飛び込みで来たやつがいる」って紹介されたのがウド(鈴木)でした。ウドは電話もせず突然事務所にやって来て、「あの~ぼく~」って(笑)。スタッフも驚いて「こういうのは、ちゃんとアポを取って……」と説明したら「ハイ! 分かりました!」って事務所を飛び出して、下の公衆電話から「あの、わたくし、先ほどの」ってかけてきたらしいです(笑)。その1年後くらいに、天野(ひろゆき)が来ました。

――ウドさんとコンビを組もうとは考えなかったんですか?

飯尾 それは思わなかったなぁ。ボケ同士で、ぶつかっちゃうからじゃないですか。僕は最初、幼なじみと組んでいたんですけどダメで、それから「La.おかき」を5年やってダメで、それでやすと組んだんです。キャイ~ンはね、早かったですよ。結成してもう3年後くらいには『いいとも!』に出てましたからね。

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