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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.224

原恵一監督の実写デビュー作『はじまりのみち』職も財産も失った男がリヤカーで運んだものは?

hajimarinomichi02.jpg兄の敏三(ユースケ・サンタマリア)と共に、母・たま(田中裕子)を
山奥へと疎開させる。正吉にとって生涯忘れられない夏休みに。

 狭き門である松竹に入社し、念願の映画監督に就いたものの、外部からクレームが付けられ、あっさり退職してしまった木下惠介こと本名・木下正吉(加瀬亮)。映画の世界を離れた正吉にとっての最大の懸案事項は、脳溢血で寝たきり状態になっていた母・たま(田中裕子)を安全な場所へ疎開させることだった。戦局は思わしくなく、東京だけでなく浜松も空襲に遭い、身動きのとれない母を山間部の気田まで運ぶことにする。だが、脳に障害を抱える母を長時間揺られるバスに乗せるわけにはいかない。そこで正吉はリヤカーに母を載せ、約60kmの道程を人力で運ぶことを思い付く。兄の敏三(ユースケ・サンタマリア)と2人掛かりで、荷物は便利屋(濱田岳)に任せるとはいえ、延々と続く坂道をしかも炎天下の中を進んでいくのは無謀というもの。いつ敵襲に遭うかも分からない。周囲が反対するのをスルーして、正吉は母を載せたリヤカーをずんずんと引き始める。

 『はじまりのみち』は男たちが汗だくでリヤカーをひたすら引っぱり続ける、シンプルすぎるほどシンプルなロードムービーだ。他人の言葉に耳を貸さない正吉。兄の敏三は弟の性格を知っており、余計な口は挟まない。母・たまは黙ってリヤカーの上で横たわっている。便利屋は最初こそ減らず口を叩いていたが、道が険しくなるにつれて口数が減っていく。みんな黙々と坂道を進んでいく。このときの正吉がリヤカーに載せて引っ張っていたものは、病気を患った母だけではなかった。大好きだった映画が思うように撮れなくなったことへの苛立ちや悔しさ、東京の住まいだけでなく浜松の実家まで空襲に遭い、財産を失ってしまった不安や恐怖も一緒に引き摺っていた。母親を載せた以上の重さを、正吉はずしりと感じていた。

 夏の陽射しに照らされ、土砂降りの雨にも見舞われ、舗装されていない坂道をリヤカーで一歩一歩進む行為は、肉体的には堪らない苦痛だったはず。だが、正吉にとっては最愛の母と濃密な時間が過ごせる至福の体験でもあった。働き者だった母・たまは、中学生になったばかりの正吉にカメラを買い与えるなど、感受性豊かな正吉の才能を育んでくれた良き理解者だった。戦局は日に日に悪化していく。母の病状が回復する見込みも少ない。でも、正吉はヘトヘトになりながらも、掛け替えのない幸せを味わっていた。正吉が感じる重さは、母・たまが自分を産んで育ててくれたことの苦労や愛情と繋がっているように思えたからだ。正吉の目に映るのは、緑に溢れた田舎の風景だけで、日本が米国や中国を相手に戦争をしていることもしばし忘れさせてくれる。喜びと苦痛がせめぎあう中、正吉はふと気づく。このリヤカーの重みは、自分ひとりが感じているものじゃないと。運ばれている母も同じように感じている。そして、みんな誰もが負っているものなんだと。

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