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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.225

幸せになるのが怖かった。スキャンダラス番長の懺悔録『ロマン・ポランスキー 初めての告白』

RomanPolanskiAFilmMemoir02.jpg『戦場のピアニスト』の撮影現場。少年期をゲットーで過ごした
ポランスキー監督の体験がそのまま投影された作品だ。

 ポランスキーは名監督であると同時に、非常に優れた俳優でもある。『チャイナタウン』(74)での狂気を目に宿した殺し屋役は絶品だった。本作ではカメラを前にして自分のこれまでの人生を振り返るが、まるで哀しみと憎しみの彼岸に立ったような淡々とした表情だ。自分の中に渦巻く業だとか宿命だとかを、自分なりに受け止める術を76歳となったポランスキーは身に付けたらしい。決して、遠い昔の出来事として記憶が薄れたわけではない。ゲットー(ユダヤ人強制居住区)時代に強制作業で紙袋を作らされた少年期の思い出を語るシーンでは、テーブルにあった紙を折り畳んで、そのとき作っていた紙袋を瞬く間に再現してみせる。顔は笑っているが、ポランスキーの体に染み付いた記憶はいつまでも消えることはない。収容所送りとなった母親との別れの瞬間、ポランスキー少年は泣くことが許されなかった。涙を流したら、自分や他の家族たちもユダヤ人であることが発覚してしまうからだ。それまで穏やかに話していたポランスキーだが、70年前に別れた母親のことを思い出して、大粒の涙を浮かべる。70年ものの涙はあまりにも苦い。

 『フランティック』(88)の主演女優エマニュエル・セニエと一緒に暮らし始めるも、しばらくはセニエが妊娠すること、自分が父親になることを迷い続けた。実の母親も、「自分がもっとも輝いていた時期」と振り返る30代のときに結婚したシャロン・テートも妊娠中にポランスキーの前から消えていった。目の前の幸せと不幸な過去との間で、ポランスキーは揺れ動いた。自分が家族の真ん中に佇むことに戸惑いを感じていた。だが、ここでそれまで聞き手だったアンドリュー・ブラウンズバーグが面白い仮説を打ち出す。長い間、本当の家族と過ごす幸せを知らなかったポランスキーだが、映画の製作スタッフやキャストのみんなが彼にとっての家族だったのではないかと。ポランスキーのことを敬い、慕ってくれる仕事仲間たちがいたからこそ、今日のポランスキーがあるのではないかと。数々のトラブルに見舞われながらも、ポランスキーは決して映画製作を止めることはしなかった。ポランスキーの自宅に飾られた撮影現場の記念写真では大勢のキャストやスタッフに囲まれたポランスキーの笑顔があった。映画製作を通して、ポランスキーは“父親”になることをすでに経験していたのだ。

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