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昼間たかしの100人にしかわからない本千冊 48冊目

都合の悪さで忘れられている90年代を再び……「宝島30」(下)

「宝島30 1995年5月号」(宝島社)

 考えてみれば、1990年代というのは奇妙な時代で、妙な雑誌が次々と創刊されては消えていた。まだ、インターネットのない時代。情報源として雑誌は欠かせなかった。そして、人はカネを払う価値のある雑誌を探し、出版社は、それに応えようとしていた。

 何よりも、つくっている側も雑誌の値段分以上の情報を読ませようという意志が強かった。

 そうした中で、表のメディアでは扱わない事象を掘り下げて描いていくスタイルの記事に、心を踊らせる人が増えたのが、90年代だった。

 そうした事象をムック形式でまとめていた別冊宝島の雑誌版といえる「宝島30」。その毎号のページの多くには、そうした闇とか裏とか悪趣味という言葉が似合いそうな記事がいくつも掲載されていた。

 オウム真理教を大きく扱った1995年3月号では、同時に「みんなの売春」という特集を組んでいる。そこで開陳されるのは、主婦売春や中学生売春の実像。

 そんな記事が連なる雑誌は、ほかのページも盛りだくさんだ。特殊漫画家・根本敬が連載しているかと思えば、別のページでは自民党・石破茂が連載をしている。

 もう、なんでもアリなのだ。

 これが雑誌というものであり、紙媒体の特性である。自分の主義主張に合わないものや、目当てとは異なる情報も、次々と飛び込んでくる。そして、そこに「こんなのもあるのか!!」と、気づきがあるのだ。

 前回で記したように、90年代サブカル的なものを批判的に捉えるのは一つの風潮になっている。でも、そうした批判に晒されるようなものは、ごく一部。おおむねは、現在の生にもつながる何かを得ていたのだと思う。

 でも、都合が悪いのか忘れられている。

 先日の麻原彰晃らの死刑執行ニュースの時に、Twitterでオウムとオタクの関連性を、ケンケンガクガクで論じている人々がいた。その論争自体は、中身のないものだからどうでもいい。

 なぜなら手元にある「宝島30」95年9月号を見ると、ノンフィクションライターの大泉実成が、コミケで同人誌を頒布している上祐史浩ファンの少女を取材している記事を見つけたからだ。

 それ自体が普遍的なものなのかどうかはわからない。でも、そうした人も確かにいたことをちょっと調べたらわかるというのに、やろうとはしない。

 それぞれに、過去の都合の悪いことは忘れる「歴史修正主義」へと至っているのだ。

 過去を振り返り、それを「悪」と断罪することは手軽だ。でも、それは現代的な価値観によるものに過ぎない。

 今、90年代の雑誌を読めば、それだけで凝り固まった善悪の概念が溶けていく。
(文=昼間たかし)

最終更新:2019/11/07 18:35
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