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『止められるか、俺たちを』公開記念特集第2弾

「集団創作は、快楽を伴う若い才能の搾取だった」脚本家・井上淳一が語る“巨人”若松孝二の功罪

門脇麦主演の青春群像劇『止められるか、俺たちを』。1969年から1971年にかけてピンク映画に情熱を捧げた若者たちの姿が描かれる。

 そこはまさに“夢の砦”だった。ピンク映画『甘い罠』(65)で映画界に殴り込んだ若松孝二監督のもとに、鈴木清順監督のブレーンだった日活の大和屋竺、すでに学生映画界で鳴らしていた足立正生、足立の盟友で『まんが日本昔ばなし』(TBS系)のシナリオ1,230本を手掛けることになる沖島勲といった多士済々たる顔ぶれが集まった。さらにビートたけしが“山の民”を演じた『ほしをつぐもの』(90)を撮るガイラこと小水一男、無印良品をプロデュースする秋山道男、『Wの悲劇』(84)などの脚本や「映画芸術」の編集長として知られる荒井晴彦らが加わった。

 映画界のトキワ荘、いや映画界の梁山泊と化した「若松プロ」を舞台にした実録青春映画『止められるか、俺たちを』が10月13日(土)より劇場公開される。前回の白石和彌監督に続き(参照記事)、『止め俺』の脚本を担当した井上淳一氏をインタビュー。「若松さんとは師弟以上、親子未満の関係だった」と振り返る井上氏に、インディーズ映画界の“巨人”若松孝二の光と影の両面について語ってもらった。

──脚本家としてのキャリアが長い井上さんですが、もともとは「若松プロ」で助監督をしていたそうですね。まず若松監督との出逢いからお聞きできますか?

井上 若松さんと初めて逢ったのは、僕が名古屋で大学浪人していた頃です。高1のときに若松さんが撮った『水のないプール』(82)を観て、高2で『若松孝二・俺は手を汚す』(ダゲレオ出版)を読み、すっかり若松さんに心酔していました。上京して「若松プロ」に入りたい一心で、日大藝術学部を受験したんですが不合格。高校時代から付き合っていた彼女にも振られ、勉強に身が入らず、それで予備校をサボって1983年に名古屋にできた映画館シネマスコーレに通っていたんです。当時は地方の映画館に映画監督が来ることなんてなかったんですが、シネマスコーレには若松さんが現われた。シネマスコーレは若松さんがオーナーでしたから。それで若松さんに「弟子にしてください!」と頼み込み、若松さんが乗車した東京行きの新幹線に僕も飛び乗ったんです。

──初対面の若松さんを追って、東京まで行った?

井上 はい。そのまますぐ助監督になれるとは思ってはいませんでしたが、新幹線で帰る監督を駅で見送るだけのその他大勢にはなりたくないという気持ちでした。若松さんが素晴しいのは、初めて逢った僕のような人間に対しても、ちゃんと向き合ってくれたこと。「うちは給料は払わないが、とりあえず大学に入れば親の金で4年間は自由に過ごせる。だいたいのヤツは4年くらいで監督になれる」と話してくれたんです。東京駅に着き、若松さんは事前に用意していた入場券で改札を出ていきました。仕方ないので僕は自分で精算して改札を出て、知り合いの先輩のアパートにその晩は泊めてもらったんです。出逢った初日から、若松さんのお金に対するシビアさを見せつけられました(笑)。

「若松プロ」に集まった個性豊かなスタッフ。若松監督の発するひと言をきっかけに、次々とアイデアが派生し、傑作が生まれていく。

■助監督たちが「若松プロ」を離れた本当の理由

──翌年、大学生になった井上さんは「若松プロ」に出入りするようになり、若松孝二プロデュース作『パンツの穴 ムケそでムケないイチゴたち』(90)で監督デビューを果たすことに。4年で監督になれる、という約束を若松監督は守ったわけですね。

井上 確かに『パンツの穴 ムケそでムケないイチゴたち』で監督デビューはしたんですが、ピンク映画時代と違って当時の「若松プロ」はあまり作品を撮っていなかったので、助監督として経験を積む機会が少なかったんです。原田芳雄さんが主演した『キスより簡単』(89)がヒットし、またオリジナルビデオが流行し始めた頃だったので、『キスより簡単』を配給したバンダイから『パンツの穴』のシリーズものを若松さんは頼まれたけど、自分はやりたくなかったわけです。そのとき丁度、「若松プロ」には若いのが3人いたから、オムニバスものにすればいいと若松さんは考えた。僕が一本目を撮ったんですが、さんざんな目に遭いました。監督を任された僕が「用意、スタート」「はい、カット」と声を掛けるんですが、若松さんが「カットを掛けるタイミングが早すぎる。役者はまだ芝居をしている」と怒る。それで次は俳優の芝居が終わってから10秒数えてから「カット」と掛けると、今度は「遅い! フィルムがもったいない」と激怒して、その後は若松さんが「カット」を掛けるようになってしまった。監督デビューの場で僕は絶望を味わったんです。でも、僕はまだましでした。僕の後から撮った2人は「スタート」も「カット」もどちらも若松さんが掛けるようになってしまった。監督としての才能のなさを実感し、僕はその後「若松プロ」を離れ、脚本家の道へ進むことにしたんです。

──『止め俺』の主人公である助監督・めぐみ(門脇麦)は初めての監督作『うらしま太郎』(71・未公開)が誰にも評価されず、挫折感を覚える。同じような体験を井上さんもしていたんですね。

井上 今回、『止め俺』の脚本を書くために「若松プロ」出身のレジェンドたちを取材して回ったんですが、それで初めて気づいたことがあるんです。沖島勲さんもガイラこと小水一男さんも初監督作を撮った後、「若松プロ」を出ていくんです。僕だけでなく、実はみんな挫折感を感じたのではないでしょうか。若松さんは誰に対してもフラットに接しますが、現場ですぐ口も出してしまう。足立正生さんが監督するときは、撮影の伊東英男さんはフィルムを空のままで回して、若松さんが帰ってから撮影し直していたそうです。若松さんがプロデュースした作品で、まったく口を出さなかったのは大島渚監督の『愛のコリーダ』(76)、山下耕作監督の『戒厳令の夜』(80)、神代辰巳監督の『赤い帽子の女』(82)ぐらいでしょう。木俣堯喬監督の『鍵』(83)なんて、ほとんど若松さんが撮ったというし。沖島勲さんの監督デビュー作『ニュージャック&ベティ』(69)は評価が高いけれど、やはり若松さんがかなり口を出したようです。小水さんは『私を犯して』(70)で監督デビューしていますが、このときは若松さんから何も言われなかったそうです。でも、結果的にその作品が語られることはあまりない。難しいところですよね。若松さんが口を出さないほど、印象に残らない作品だったということなんです。もうひとり、若松さんが口を出なかったのは大和屋竺さん。大和屋さんの異能ぶりには、若松さんは敬意を払っていました。でも、ほとんどの助監督たちは挫折感を覚えて、「若松プロ」から去っていくんです。

『止め俺』の中で再現された『ゆけゆけ二度目の処女』のクランクアップシーン。どこにも逃げ場のない屋上という設定が効果的に使われている。
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