日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 井上淳一が語る、若松孝二の功罪
『止められるか、俺たちを』公開記念特集第2弾

「集団創作は、快楽を伴う若い才能の搾取だった」脚本家・井上淳一が語る“巨人”若松孝二の功罪

■きっかけは手づくりの写真集だった

──井上さんが脚本を書いた『止め俺』は、勝ち組にはなれなかった若者たちが短い時間の中で猛烈なエネルギーを発した様子を描いた“映画残酷物語”でもあるようですね。『止め俺』の脚本を井上さんにオファーしたのは、「若松プロ」の後輩であり、出世頭である白石和彌監督。どのように企画を持ち掛けられたんでしょうか?

井上 白石監督は僕より9歳下ですが、やはり勢いのある監督は違うなと思わされました。2016年に行なわれた若松さんの生誕80周年の特集上映で、僕が脚本に参加した『飛ぶは天国、もぐるは地獄』(99)も上映されることになり、当初のトークゲストは助監督として現場に付いていた白石だけの予定だったんですが、「ひとりで戦犯扱いされるのはキツい」と頼まれ、僕ともうひとりの脚本家・三宅隆太もトークに参加したんです。イベントが終わり、飲み会の席で僕は白石に対して「そんなに売れているのに、一度くらい先輩を脚本に起用しようと考えたことはないのか」とこぼしたところ、翌朝LINEで「会いましょう」と連絡が入った。そのとき白石が僕に見せたのが、吉積めぐみさんの写真集で、「めぐみさんを主人公にして、彼女視点で当時の若松プロを描いた映画を撮りたい」と言うわけです。前日、この写真集を撮った高間賢治さんから送られてきたそうです。めぐみさんが「若松プロ」で助監督をしていた時期の作品はどれも傑作ぞろい。若松プロの全盛期と言ってもいい。売れている監督は、企画を考える視点もシャープだなと痛感させられました(笑)。

──それから、「若松プロ」出身のレジェンドたちをひとりずつ取材して回ることに。

井上 後輩をよいしょするわけではありませんが、そこでの白石監督の気配りにも感心させられました。口うるさい人たちが多いわけですから、映画化の話をするのにも順番が大切になってくる。彼はそこもちゃんと考えて、話を進めましたね。関係者やレジェンドたちの中でひとりでも映画に反対する声があったら、やめる覚悟だったようです。助監督時代の白石はかなり生意気だったので「お前、変わったな」と僕が言うと、「監督になったときに改めました」と。白石監督のお陰で、トラブルひとつなく企画も取材も進みました。もちろん、完成した映画を観ての批評はいろいろと受けていますが(笑)。いろんな人を取材していく中で、たまに記憶が食い違っている部分もあったので、逆に小さいところはあまり気にせず、多少の創作も交えながら脚本にまとめました。シノプス(あらすじ)から撮影に入るまで、脚本を仕上げるのに要したのは半年くらいですね。レジェンドたちに、ひとりずつきちんと体系だって話を聞くのは初めてで、すごく新鮮でした。でも、まさか「若松プロ」を出ていった僕が、若松さんたちが登場する青春もののシナリオを書く日が訪れるとは思いもしませんでした(笑)。

近年は監督としても活躍する脚本家の井上淳一氏。「若松さんは革命歌インターを嫌っていましたが、赤バスが出発するときだけ歌ったそうです」

■記録にも記憶にも残らなかった幻の作品

──めぐみの初監督作『うらしま太郎』は、『まんが日本昔ばなし』で知られることになる沖島勲のアイデアだったというのは?

井上 僕の創作です(笑)。ああいうアイデアをパッと思いつくのは、若松さんじゃなくて、だいたい足立さんか沖島さんですから。多分、沖島さんだったんだろうと。そのほうが夢があるじゃないですか。後年、沖島さんはそっちでブレイクするわけですから。めぐみさんが撮った『うらしま太郎』ですが、映像だけでなくシナリオも残っていなかった。足立さんたちに尋ねても、そんな作品があったことすら忘れていたんです。撮影を担当した高間賢治さんでさえ、どんな内容だったか覚えていなかった。荒井晴彦さんはカメラを揺らしながら濡れ場を撮っていたということだけ、辛うじて覚えていた。それほど誰の印象にも残らない作品を撮ってしまったようです。

──記録もなく、記憶からも失われつつあった吉積めぐみの幻の監督デビュー作を、『止め俺』はスクリーン上で甦らせたわけですね。

井上 手掛かりがまったく残っていなかったので、どうしようかと頭を抱えていたんですが、白石監督が「何も残っていないのなら、井上さんが作るしかない」と言うので、「若松プロ」という竜宮城に迷い込んだ浦島太郎=めぐみという設定で考えました。負け組側の青春を描く上で、印象に残らなかった映画というエピソードは逆に重要になりました。キーになる部分を監督である白石がしっかりとディレクションしてくれたお陰で、脚本を書くこちらも非常にやりやすかった。「若松プロ」には長い間、めぐみさんの写真が貼ってありました。若松さんにとってもめぐみさんが若くして亡くなったことは、つらい出来事だったんです。若松さんの功罪でいうと、もう少し影の部分を掘り下げたかったという想いもありましたが、僕自身の青春と重なるところも多く、ドライになりきれなかったのかもしれません。

──若松監督のようなパワフルな人物と接していれば、どうしてもキツい部分も目に入ってしまう。「師弟以上の関係だった」井上さんなら、なおさらだったのではないでしょうか?

井上 僕は同期の中でいちばん若松さんから可愛がられていたと思い込んでいたんですが、そこが人たらしである若松さんなんです。映画界から離れていった他の同期たちも、「自分がいちばん可愛がられた」と思っているみたいなんです(笑)。その反面、若松さんはお金に関してはとても厳しかった。若松さんのお金に対するシビアさのために、傷ついた人を僕は見ています。そのときは若松さんのことを許せないと思いましたが、長年に渡ってプロダクションを運営し続けることは並大抵の苦労ではありません。荒井晴彦さんが脚本を書いた『戦争と一人の女』(13)で僕は監督デビューし直しましたが、自分で製作資金を集め、映画を製作し、さらにお金を回収し、次回作に回すという行為がどれだけ大変なことか身に染みて分かりました。若松さんはそれを半世紀もやり続けてきた。そんなこと、誰にも真似できません。荒井さんは若松さんが撮った『キャタピラー』に対する返歌として『戦争と一人の女』の脚本を書いたと言っていましたが、僕は若松さんには到底敵わないなと思いましたね。若松さんと距離を置いた時期もありましたが、それでも新宿の飲み屋でばったり逢うと、若松さんは心配して僕に声を掛けてくれた。酔った若松さんを自宅まで送り届けるのが僕の役割でしたね。

1969年に製作された『ゆけゆけ二度目の処女』。当時、「若松プロ」があった原宿のセントラルアパートで撮影が行なわれた。

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