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『日本国民のための愛国の教科書』将基面貴巳インタビュー

「国外脱出もしない」「政治的な発言もしない」日本人の歪んだ愛国心に、未来はあるのか?

日本人はなぜ逃げ出さないのか?

日本国民のための愛国の教科書』(百万年書房)

――日本でも、外国語ができたり、海外に気軽に出られる経済力があったりする人は、いわゆるネトウヨにはならない印象があります。私の周囲では「今の日本が本当に嫌だ、海外に逃げようかな」と話している人は少なくないのですが、実はそう考える人は日本全体で見れば少数派なのかな……とも思うんです。

将基面 確かに言語の障壁は存在しますが、たとえば第二次世界大戦中には東ヨーロッパからアメリカへ、英語はあまりできない人たちがたくさん逃げてきたわけです。だから、最初から言葉ができなければいけないということはないんですよ。行ったら行ったでどうにかなる。『日本国民のための愛国の教科書』の中では、経済学者アルバート・ハーシュマンが提唱した忠誠心の理論から「離脱」と「発言」という2つのキーワードを使って、このあたりのことを説明しています。つまり、国がうまくいっていない場合、「離脱」して望ましい別の国に移住するか、とどまって政権批判の「発言」をして国を改善しようとするか、2つの選択肢が考えられます。そこで政権批判の「発言」をする人たちが国に忠誠心を持つ人たち、つまり愛国者たちだ、というのです。

 世界的に見ると、日本人には「離脱」するケースが非常に少ない。日本人なら日本に住み続けるのが当たり前だと思っている人がとても多いのですが、それは世界的な視点からすれば決して当たり前じゃないんだというのは、『日本国民のための愛国の教科書』に込めたメッセージのひとつではあります。

――ただ、正直いまの日本では、逃げもしないし発言もしない、自国の欠陥を認めてこれをなん とかしようという姿勢もない人が多いんじゃないかという絶望感があります。

将基面 自分の国がどのように運営されているかについて、「何かがおかしい」という問題意識をまったく持たないのであれば、その時点で一市民として公共的な問題にまるでコミットしていないといえます。結局のところ、自分の利益、自分が心地よく思えることにしか関心がない、ということです。政治思想史に「暴政(tyranny)」という概念があるのですが、ただ単純に暴君ネロや独裁者ヒトラーのような暴虐非道な政治を意味するのではありません。政治思想史における「暴政」とは、政治的指導者たちが、共通善(自由や平等と、そうした価値の実現を保証する政治制度)の実現を放棄して、自分たちの私益だけを追求する政治のことです。一言でいえば、共通善を破壊する政治です。そのような暴政にあって、市民一人ひとりが暴君を批判せず、自分の自己利益にしか関心がないということになれば、市民社会は当然立ち行かなくなる。なぜなら、一般市民たち自身が共通善の実現に向けて努力しないのですから、市民たちもまた小「暴君」に成り果てているということです。

 アダム・スミス由来の近代経済学が理論的に前提としている人間(ホモ・エコノミクス)とは、そういう自己利益だけを追求する利己的なものだとしばしば言われています。しかし、近代経済学の始祖たちが生きた社会とは、共通善を実現しようと努力する市民が運営する近代市民社会なのであって、公共的な問題にはまるで関心がない人たちの社会を前提としていない。そういう意味では、各人が自分の利益や快適さにしか関心を持たない、今の日本社会の状況というのは、極めて深刻に腐っていると思います。にもかかわらず、そこから逃げ出そうとする人があまりにも少ない。僕はニュージーランド在住なのですが、外から見ていてそれが不思議で仕方ありません。

――むしろ、もっとさっさと逃げるべきだと?

将基面 僕が住んでいるダニーデンの地元紙を読んでいると、2カ月に一度くらい、新たにニュージーランドの市民権を得た人たちの名前と出身国が掲載されるんです。最近は、ブレグジットで揺れるイギリスからの移民が続々と増えている。その人たちはもちろん、イギリスに対して極めて深刻な危機意識を持っているわけです。一方でニュージーランドは今の世界でまれな中道左派の政権があって、政治や社会を語る場においてナショナリズムがあまり重要な役割を果たしていない。そういう意味でオープンな社会なので、新たに入ってくる人を拒絶する傾向が少ないんですね。だから居心地が良く、もともと住んでいる人たちも新たに入ってくる人たちも社会に貢献し、政治に参加しよう、つまり、共通善の実現にコミットしようという意識が出てくるんだと思います。

――日本人が国外に出ていく考えがあまりないということは、たとえば移民や外国人労働者など、新たに日本に入ってくる人に対して寛容でないことと裏返しの関係なのでしょうか?

将基面 それはあるでしょうね。ナショナル・アイデンティティが強ければ強いほど、均質であれば均質であるほど、寛容度はどんどん下がります。「寛容」という概念も難しいものです。「なんでもあり」は「寛容」ではない。「寛容」とは「どこまでだったら受け入れるか」という話なのです。共和主義的な観点からの寛容でいえば、移住してきた社会で政治的・社会的な価値にコミットする、つまりルールを守って公共的な社会・生活に参加する限りにおいては、移民たちを受け入れる。必ずしもその人たちが日本語をよくしゃべれなかったり、文化的に日本的慣習に従った生活をしていなくてもよしとする、となります。これとは反対に、ナショナリズム的な立場から見たとき、寛容に受け入れる限度とは、外国からの移民であっても日本の文化をきちんと理解して、日本語を十分に話すことができ、ほかの日本人が生活するのとまったく同じようにしないといけないということになる。「寛容」の質も程度もまったく違いますが、僕は共和主義的な寛容のあり方のほうが、ひとつの市民社会を運営していく上では望ましいと思っています。

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