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久保田利伸との親交も……

志村けんと音楽の密接な関係 ハードロックからソウルフリークになったきっかけとは?

黒人の生バンド演奏に陶酔した若き日の志村

 志村といえば、若い頃に音楽誌「JAM」 でアルバムレビューを担当していたことも有名である。中村とうよう、加藤和彦、近田春夫といった手だれらと共に執筆メンバーに名を連ねた志村。彼が主に担当していたのはブラックミュージックだ。志村が書く文章はいたって真面目で、音楽への 造詣の深さはレビューを読めば一目瞭然。彼の嗜好がハードロックからソウル系に移っていったきっかけは以下である。

「当時、新宿にディスコのはしりみたいなものがあって、行ってみたんですよ。そこでは生バンドが入っていて、黒人4人が演奏していてね。それが結構ショックだった。最初のステージは1コードでずっと演ってるんですよ。始めにドラマーが出て来てずーっとリズムを刻んでいてね、10分ぐらいすると、今度はベースが登場して……(笑)。で、ギター、キーボードの順で出てくるという……。ステージも飾りっ気がないし、自分達だけで楽しんでるんですよ(笑)。1コードで演ってるだけなのに、凄くカッコ良かったね……。一つのリズムでずっと演ってることに陶酔しちゃってね。そのとき、“ソウルって凄いな!”と。その前からオーティス・レディングなんかは知ってたけど、よく聴くようになったのはその頃からかな」(『虹色の音詞』より)

「東村山音頭」のヒットで自信を深めた志村は、77年に自ら作曲・アレンジを施した「ディスコばあちゃん」を合唱コーナーでスタートさせた。以降、「ヒゲダンス」などの音楽ネタにブラック系ソウルフリークだった志村の趣味が反映されるようになる。

 加藤&志村の2人による「ヒゲダンスコーナー」がスタートしたのは79年10月から。翌80年2月にシングル「ヒゲのテーマ」が発売され、セールスは70万枚を突破。インストゥルメンタルの曲としては異例のチャート入りを果たした。この曲にはちょっとした裏話がある。ここからは、再び「笑芸人」VOL.1の文章を引用しよう。

「『ヒゲのテーマ』は志村が作曲したのだが、実はディスコシーンでヒットしていたテディー・ペンダグラスの『DoMe』を引用(サンプリング)していたことが発覚。志村自身によれば『知らず知らずのうちに似てしまった』そうだが、以前からボーヤ仲間のすわしんじと夜な夜なディスコへ繰り出し、音に合わせて『東村山音頭』の振り付けを踊っていたという志村ならではのエピソードも残っている。この『DoMe』の権利を持っていたレコード会社は問題にするどころか、この曲を『ヒゲのテーマ』の原曲として日本盤化。しかし同様にはヒットしなかった」

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