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『麒麟がくる』川口春奈5カ月ぶりの再登場! 織田信長の妻・帰蝶の死亡説をめぐる諸説を紐解く

大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK)が、ますます盛り上がりを見せている。ドラマをより深く楽しむため、歴史エッセイストの堀江宏樹氏が劇中では描ききれない歴史の裏側を紐解く──。前回はコチラ

 放送休止期間も含めると約5カ月ぶりの帰蝶(川口春奈さん)の再登場にネット上も湧いたようですね~。視聴者にはおなじみの「(朝倉を)お討ちなさいませ」という好戦的な姿勢、迫力のあるセリフ回しも相変わらず。

 衣装がどんどん豪華になって、立ち居振る舞いにも貫禄が見られました。ドラマの中の帰蝶が、織田家の正室として重んじられていることを示唆しているのでしょう。今回はそんな『麒麟がくる』屈指の人気キャラ・帰蝶の実像と人生に、少し迫りたいと思います。

 帰蝶は信長との間に、子どもを持ちませんでした。「実は出産はしてるよ」的な説もあるのですが、少なくとも成人した子どもはいないままでした。

 今回のドラマでも「天から降ってきた」という赤子を、帰蝶が育てることになった場面が回想されていましたが、その子が成長したのが奇妙丸ですね。顔がヘン(奇妙)なので信長がそう付けたらしい奇妙丸という名ですが、生みの母親が誰なのかは、実はよくわかっていません。だからドラマでは「天から降ってきた」などとうまくボカして表現しているのです。

 そうか、ならば奇妙丸は側室の子だったのか……と思うかもしれませんが、側室は当主の愛人というだけでなく、身分としては正室の支配下にある使用人という重要な役割もあります。ですから、奇妙丸の実母が信長の側室になれたかどうかも不明なのです。

 結果的に「奇妙丸の母親不明」になっている理由としては、信長から帰蝶に、奇妙丸の実母の側室登用の打診がなかった(ドラマでは特に触れていませんが、そういう感じになっているかと思います)あたりが妥当ではないか、と。もちろん、帰蝶が彼女の側室登用を断ったということも考えられる範囲ですが。ドラマの勝ち気な帰蝶さまなら、はっきり断りそうですね(笑)。

 奇妙丸は後の織田信忠です。彼は織田信長から家督を譲られ、信長の生前から織田家の当主となっていましたので、織田家内での帰蝶の身分は安泰だったはずです。しかしこれも、織田信長と「本能寺の変」以前に、離婚していたり、彼女が若くして病死したりしていなかった場合の話ですが。

 明智光秀の妻・煕子もそうでしたが、帰蝶に関しても史実に残っていない部分が多いのです。信頼性が高い史料『信長公記』にもなぜか、帰蝶は道三の息女、つまり斎藤道三の娘としてしか登場しません。だから帰蝶が実際にはなんと呼ばれていたかは、史料からはまったくわからないし、信長に嫁いだ後の人生もまったく不明なのでした。

 史料がないということは、離婚・若死にの可能性もないとはいえない。そういうことですね。

 帰蝶という名が最初に見られるのは江戸時代中盤以降の歴史物語です。有名になったのは、司馬遼太郎が小説『国盗り物語』で採用したからです。『国盗り~』は1973年の大河ドラマにもなり、松坂慶子さんが帰蝶役でした。

 本能寺の変で信長と一緒に戦って討ち死にしたというような説もあります。これも司馬遼太郎が『国盗り~』で取り上げて有名にした説ですけれど、最近の大河ドラマでもこの演出が多いかも……ただ、いずれにも史実的な確証はありません。

 筆者が好きな説は、本能寺の変で、夫の信長、さらに彼女の養子にして嫡男の織田信忠を失った後も、帰蝶だけはしぶとく生き永らえ、慶長17(1612)年に78歳の天寿を全うしたという説です。

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