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『麒麟がくる』の織田信長は“おしゃべり”過ぎる? 実はコミュ障で文章ベタだった史実の信長像

“口ベタ”じゃなかったら本能寺の変は回避できた!?

 残された信長の手紙についても検証してみましょう。

 現存するのは800通ほどで、有名武将の手紙としては、かなり多く残されているほうだと思います。ちなみに現存する自筆の手紙は1通(もしくは2通)のみ。ほとんどを右筆(ゆうひつ)という、書類作成専門のスタッフに口述筆記させて書かせていました。

 信長は全書簡集が出版されています(奥野高広氏の編著による『増訂 織田信長文書の研究 上・下』など)。しかし、彼の人柄は文章からは、あまりわかりません。大半がいわゆる「三行メール」的な短さに貫かれ、業務連絡にすぎないからです。

 完璧な例外といえるのが、2通ある自筆のひとつとされる、現在は徳川美術館所蔵の1通の手紙です。いわば信長の人生相談ともいうべき内容で、秀吉の女癖の悪さを、彼の妻“おね”から相談された信長が、「あなたは武家の奥様らしく、つまらぬ嫉妬などせずに過ごしなさい」などと親身のアドバイスを行っている内容です。

 秀吉のことを「ハゲネズミ」呼ばわりして有名になった手紙ですが、この中で信長は日本語を間違えているのです。戦国時代の日本では、自分の思いを文字にすることは非常に難しいことだとされてきたのですが、中でも信長は特に言葉にするのが苦手だったのでは……と筆者は考えています。

 手紙の冒頭から信長は間違えていて、彼が久しぶりに“おね”と会えた時のことを、「この地へ(信長は)初めて越し、(“おね”に)見参(けさん)に入り」などと書いています。見参(けさん)とは、臣下が主人に会う時の言葉なので、これでは信長が、主君“おね”にお目通りできたという、奇妙な意味になってしまいます。

 さらに、この手紙の末尾も、なにかヘンです。

「なお文体に、羽柴(=秀吉)に拝見請ひ願ふものなり」と書いています。文体とは手紙のことで、本当は「秀吉には、主君・信長からのこの手紙を仰ぎ見させてやれ」と言いたいのでしょうが、それなら「拝見」の単語を使うべきではありませんよね。

 明智光秀が謀反を起こした理由も不明とされますが(史実から見れば、明智もあまりコミュニケーション上手とはいえないと思います)、もし、明智と信長の二人が、もう少し、会話できていたなら、「本能寺の変」など起こらずに済んだのではないか……と思えてならないのでした。

堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『隠されていた不都合な世界史』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/02/21 12:05
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