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『チコちゃんに叱られる!』ならぬ「天皇に叱られる!」西郷隆盛のダイエットは国家プロジェクトだった!? 

西郷が馬に乗れなかったのはデブだったからか、キンタマがでかかったからか?

 この日最後のテーマは「なんで西郷隆盛像は犬を連れているの?」という疑問。大河ドラマ『青天を衝け』(NHK)で、博多華丸が演じる西郷どんについての問題である。余談だが、「犬の散歩」を日本で広めた最初の人物は西郷隆盛だと聞いたことがある。

 そして、チコちゃんが発表した答えは「ダイエットをしていたから」だった。詳しく教えてくれるのは志學館大学の原口泉教授だ。曰く、西郷の歴史が書かれた西郷隆盛全集を読むと、太り過ぎの西郷は医者にダイエットを勧められたと書かれているとのこと。

 ここで始まったのは、西郷隆盛が主役の再現ドラマだ。当時、政府は大名が持っていた領地「藩」を廃止、新たに「府県」を配置して全国を政府の直轄とする廃藩置県を断行した。西郷は政府と各藩の大名の間を調整する責任者という任務を押し付けられ、ストレスの溜まる毎日だった。そんな彼の楽しみは、食。食べることで仕事のストレスを発散していたのだ。西郷の大好物は薩摩の郷土料理「豚骨」だ。豚肉のぶつ切りを桜島大根と一緒に煮込み、麦味噌を使った甘味が特徴の一品である。さらにうなぎの蒲焼を丸ごと一匹食べるし、その他にもたけのこの酢味噌和え、うるめいわしの刺身なども好物。これらをおかずに、毎食ご飯3杯を彼は食べていた。ストレスで過食に走るのは今も昔も変わらないんだな……。

 西郷の食欲はまだ終わらない。彼は甘いものが大好きで、大久保利通の家から帰ろうとした際、テーブルにあったカステラを部下に取りに戻させたという話があるほど。そんな食生活を送る西郷の体重はみるみる増え、島流しに遭って80kg程度だった体重は110kgにまで増量した。

「太り過ぎた西郷どんは馬にも乗れませんでした。さらに、行進が付きものの軍隊で早歩きもできなかったんです」(原口教授)

 そうなの!? 病気で陰嚢が人の頭くらいに腫れたから歩けなかったし、馬に乗れなかったと聞いたことがあるのだけど。太ったからではなく、キンタマがでか過ぎるのが原因だったはずだ。これも、やはり「諸説ある」ということなのだろうか?

 話を戻そう。そんな西郷の元へ突然やって来たのは、東京大学で内科学を教えていたドイツ人医師のテオドール・ホフマンだった。

西郷   「先生、おいどんは健康だから大丈夫。診察を受ける必要はないでごわす」
ホフマン 「それなら直接、天皇陛下にお伝えください」
西郷   「天皇陛下?」

 西郷の元へホフマン医師の派遣を命じたのは明治天皇だった。明治天皇は陸軍の訓練での西郷の異様な様子を心配し、軍医だったホフマンに指示を出していたのだ。なんと、勅命だったのか……。天皇陛下が心配するほどデブだった西郷に下された、直々のダイエット指令。西郷隆盛のダイエットは国家プロジェクトだったということ。「チコちゃんに叱られる!」ならぬ「天皇に叱られる!」である。

 診察を受けて判明した西郷の病名は脂質異常症だった。血液中の中性脂肪や悪玉コレステロールが高くなる症状で、放置すると死に至ることさえある。いや、彼を見ていると脂質異常症より糖尿が心配なのだけれど……。

西郷   「どうすればいいんでごわすか?」
ホフマン 「糖質制限ダイエットです」

 当時、ヨーロッパでは糖質制限ダイエットが大流行しており、ホフマンはそのダイエット法を西郷に薦めた。なんと、この頃より糖質制限という概念はあったのだ。「脂質異常」とか「糖質制限」とか、令和のワードが明治に登場しまくり! 

 さらに西郷は頑張った。主食は麦飯を少しにし、鶏肉など脂が少ないものを食べ、なるべく米や穀物を摂らないようにしたのだ。まるでボディビルダーみたいな食生活だ。さながら、ライザップ。もしかして、ダイエット法は現在とさして変わらないのかもしれない……と思いきや、西郷は下剤を服用して一日5~6回お腹をわざと下していたらしい。なに、そのスパルタダイエットは。

西郷   「先生、これだけやれば大丈夫でごわすか?」
ホフマン 「いいえ。朝と夕方にやってほしいことがあります。散歩をしてください」

 西郷はもともと趣味だったウサギ狩りを兼ね、犬を連れての散歩を始めた。散歩ルートは渋谷からスタートし、弟の屋敷があった西郷山公園(代官山)へ。そこから陸軍の練兵場があった駒場まで往復4kmの道のりを歩いたという。これを朝と夕方の2回、1日で合計8kmも散歩した。じゃあ、上野にある銅像って西郷がダイエットさせられている証だったのか。下剤を飲みながら朝夕散歩というのも、なかなかに恐怖だけれど。

 その後の西郷は1877年に西南戦争で反乱を起こし、明治新政府軍との戦いで49歳でこの世を去った。最期は自らを心配してくれた明治天皇に対し弓を引く形になっていた西郷。ところで、なぜ犬を連れた姿を銅像にしたのだろう?

「明治政府の中枢の中には、西郷さんが亡くなってもなお西郷さんを信奉する人が多くいて、吉井友実の発案で西郷さんの銅像建設計画が始まったんです」(原口教授)

 明治天皇への反逆者になっていた西郷の銅像建設はうまくいかないのでは? と思いきや、明治天皇からはおよそ1,200万円の寄付金が送られた。このことで銅像建設の話は具体化! ただ、銅像のデザインを決めるまでには紆余曲折があったという。当初のデザインは陸軍大将服にサーベル姿だったが、西南戦争で反政府軍側になったときの姿を彷彿とさせるということでこの案は不採用。最終的にできたデザインが、犬を連れた現在の姿だった。

「犬を連れてウサギ狩りに向かう着流しの姿が日頃の西郷さんの生活を偲ばせるということで政府が採用したんです」(原口教授)

 上野の銅像がラフな格好をしている理由が、これでようやくわかった。でも、上野の銅像は実際の西郷の顔と全く似ておらず、銅像を見たイト夫人が除幕式で「こげな人じゃなか!」と口にしたというのは有名なエピソードだ。日頃の行動を参考にするほど西郷の素性を知っているのに、顔だけそんな適当に作らないでほしい。

 ところで、エンディング恒例の縁側トークで気になるところが1点あった。奥田民生作の楽曲『叱られたい!』MVが流れなかった代わりに、槇原敬之がキョエちゃんのために制作した『大好きって意味だよ』がBGMで掛かっていたのだ。何があった? どちらかと言うとこっちの曲のほうが『チコちゃん』の雰囲気にマッチしていると私は思う。

寺西ジャジューカ(芸能・テレビウォッチャー)

1978年生まれ。得意分野は、芸能、音楽、格闘技、(昔の)プロレス系。『証言UWF』(宝島社)に執筆。

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最終更新:2021/05/21 20:00
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