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ソニー井深大、京セラ稲盛和夫も信頼! 精神世界ブーム“陰の立役者”吉福伸逸の功績とは?

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トランスパーソナル心理学の紹介者である吉福伸逸。

「精神世界」という言葉をご存じだろうか。今では「スピリチュアル」といったほうが通りがいいかもしれないが、かつては大型書店で「精神世界」コーナーが人気を博し、多くの読者を集めていた。この「精神世界」を日本に紹介し、書店でコーナーが成立するきっかけを作った人物がいた。吉福伸逸である。

 ティモシー・リアリーと共にサイケデリック革命を主導したラム・ダスの主著『ビー・ヒア・ナウ』『タオ自然学』をはじめとする、60~70年代のアメリカ西海岸で勃興したニューエイジやニューサイエンスのベストセラーを翻訳。80年代にはその流れを汲むトランスパーソナル心理学の紹介者にしてワークショップを通じての実践者として活動した。心理学者の河合隼雄、ソニー創業者の井深大、現代美術家の杉本博司など広範な交遊・影響関係があったものの、本人の一般的な知名度は極めて低い。

 そんな彼の軌跡を描いた『仏に逢うては仏を殺せ 吉福伸逸とニューエイジの魂の旅』(工作舎)を著した稲葉小太郎氏に、この人物の謎と「精神世界」に関する失われた文脈について訊いた。

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稲葉小太郎著『仏に逢うては仏を殺せ 吉福伸逸とニューエイジの魂の旅』(工作舎)

「精神世界」が指し示していたものとは?

――吉福さんは早稲田大学在籍時からプロのジャズベーシストとして活躍。1967年にボストンのバークリー音楽院に留学しますが、世界中から集まってくる優秀なミュージシャンのプレイにショックを受けて音楽家としてのキャリアを完全に捨てました。そして、カルロス・カスタネダの『ドン・ファンの教え』との出会いから、UCバークレー(カリフォルニア大学バークレー校)でサンスクリット語を学びつつ、当時アメリカ西海岸で流行していた新しい思想潮流と出会い、74年に日本に帰国してその精神性を日本に伝える仕事をしてきたことが『仏に逢うては仏に殺せ』にあります。吉福さんが日本の文化において果たした役割はどんなものといえますか?

稲葉 それを伝えるのが、本を書いていても難しいところでした。「トランスパーソナル心理学の重要な著作を翻訳した」といっても、今では「トランスパーソナル」それ自体が知られていません。あるいは、ラム・ダスもフリッチョフ・カプラも今の人は知りませんから、そこから説明しないといけない。

 ひとつ言えるのは、吉福さんは70年代から90年代にかけて日本でブームになった「精神世界」という分野を立ち上げるにあたって、非常に大きな存在であったということです。ところが、宗教学者の島薗進さんが書いた『精神世界のゆくえ』を読んでも吉福さんの名前はほとんど出てこない。その重要さがまったく認識されていないんですね。

――阿含宗系の平河出版社の雑誌「ザ・メディテーション」2号で吉福さんが特集「精神世界の本ベスト100」を組んで『ビー・ビア・ナウ』や『タオ自然学』などを紹介したときに、「Spiritual」の訳語として「精神世界」という言葉を吉福さんとおおえまさのりさん、三澤豊さんの3人でつくった、と今回の本には書かれています。「ザ・メディテーション」をきっかけにしてこの概念が広がっていき、70年代の終わりには全国の大型書店で精神世界フェアが開かれ、コーナーができていく、と。

稲葉 実際には「精神世界」という言葉自体はもっと以前から使われていましたが、ある種のカテゴリー、キャッチフレーズとして使い始めたのはその3人だといっていいでしょう。「ザ・メディテーション」2号のリストを見ると面白いですよ。最初に「精神世界」と名付けたときに指し示していたものはこうだったのか、と。仏教やインド哲学の本が半分くらいを占めていて、心理学の本は1冊しかない。80年代以降に吉福さんを知った人は「トランスパーソナル心理学の紹介者」と思っていますが、70年代には「インド哲学の人」だった。

――今の「精神世界」コーナーからイメージされるものともだいぶ違いますよね。

稲葉 最近では「精神世界」ではなく「スピリチュアル」になってしまいましたが。もし吉福さんがいなかったら、「精神世界」の自己探求的な部分はあまりなくて、最初から占いやチャネリング、癒しといったものが中心になっていたかもしれません。もちろん、吉福さんが日本に紹介しようとしていたインド由来の解脱を目指す思想が、オウム真理教につながっていってしまったという功罪の両面がありますが。

書いたものより対話で相手を感化する

――吉福さんが日本に帰国後に活動拠点としていた新大久保の事務所で行われるパーティには、マンガ家の真崎守さん、雑誌「宝島」の編集長・北山耕平さん、社会学者の見田宗介(真木悠介)さんらが集っていたそうですね。北山さんや真木さんもネイティブアメリカンの思想やカスタネダの紹介をするなどニューエイジ的なものを日本に導入した方々ですが、そういう面々の中で特に吉福さんはどんな人だったといえますか?

稲葉 本の中では松岡正剛さん(1971年に工作舎を立ち上げ、雑誌「遊」の編集長を務めたことなどで知られる編集者)との比較として書きましたが、吉福さんは何かの理論を構築するというより、ダイアローグの中で相手を感化する、人に対してインパクトを与える人でした。吉福さんと知り合った人は、独特のいい声と存在感のすごさから、みんなが吉福さんに影響されてしまう。面白いのは、吉福さんのことを話すときに、みんなが判で押したように「すごい人がいる」と(笑)。これはなかなか、実際に会った人じゃないと伝わらないかもしれません。

――本の中で宗教学者の島田裕巳さんの「吉福さんが書いたものはつまらない」という発言が紹介されていましたよね。人物のほうが面白い、と。政治家なんかだと、雰囲気のある語りはできるけれども中身がない人っていますよね。そういう人とは違いますか?

稲葉 僕は取材でオウム真理教の麻原彰晃と会ったことがあるんです。いい声で、話がうまくて、短時間で相手の心をつかむ。でも、テープ起こしをしてみると荒唐無稽で内容がない。吉福さんの場合は、テープ起こししたものを今読んでも、ちゃんと筋が通っていて説得力がある。そこがまったく違いますね。吉福さんは対話の中で、相手が今悩んでいるところをグサッと突くことが本能的にできましたが、その背景には深い知識、見識があった。褒めすぎかもしれないけど(笑)。

京都大学でのポストを用意されたが……

――吉福さんは70年代にはニューエイジやニューサイエンス、80年代にはトランスパーソナル心理学の翻訳を精力的に手がけながら並行してワークショップも行い、心理学者の河合隼雄氏から京都大学でのポストを用意されるまでになっていたのに、89年にはハワイに移住、以降は家族との時間を大事にし、サーフィンに熱中するようになったそうですね。吉福さんの仕事に対する動機は何だったのでしょうか? 出版を通じて世の中を変えたかったのか、個人的な探求だったのか、それとも困ってる人を助けたかったのか……。

稲葉 いろいろな見方ができますが、僕の考えでは、最初は個人的な動機だったと思います。ジャズをやめる葛藤の中で自分が体験したこと――「自分はなんのために生きているのか?」という実存的な問いや非日常的な変性意識であるとか――をきれいに説明してくれるものがトランスパーソナル心理学だった。

 アカデミックなポストを用意されていたという話は複数人から聞きましたが、学問としてアプローチするときに大事なのは、細かいデータを積み重ねて理論に到達するという厳密性ですよね。吉福さんはそういうタイプではない。「座っていることができない」と形容した人がいましたけれども、1を聞くと直感的に10がわかっちゃうような感じで、地道にやることが必要な学問の世界には馴染まなかったと思います。

 だから、学問として認められたい、権威になりたいという動機はなかったと思いますが、どうせやるなら知られてほしいという気持ちはあったでしょう。ただ、残念ながらトランスパーソナル心理学に関する訳書はそれほど売れたわけではなく、手ごたえがあまりなかった。そもそも日本ではトランスパーソナルで扱う「非日常的な意識状態」というもの自体が知られていなかったし、知っていてもただ危険視するだけで研究しようという人が少なかった。実は、この本を吉福さんと親交があった天河神社の柿坂神酒之祐宮司にお送りしたんです。そしたら夜中に電話がかかってきて、「当時、吉福さんたちとみんなでこういう世界があることを知らしめようとがんばっていたんだ」と熱弁されていましたけれども。

 あとは日本を離れた理由としては、いろいろな人から頼られるようになってしまって、ほとほと嫌気がさしたと何度も語っていますね。普通は人から頼られると嬉しいし、祭り上げられたらその期待に応えようとするんだけれども、吉福さんはそれがイヤだった。人が誰かを救うことなんてできない、というのが吉福さんの考えでした。グルになる能力を持っていたのに、グルになることを拒んだ稀有な例だと思います。

――吉福さんが日本に導入しようとしたニューエイジやニューサイエンスの思想は、今の時代にどうつながっていると思いますか?

稲葉 どうでしょう。1995年のオウム真理教事件以来、さーっと波が引いていきましたよね。まじめにやっていた人ほど表舞台から姿を消して、「引き寄せ」だとか「オーラ」といったライトなものばかりが「スピリチュアル」と呼ばれるようになって残った。あるいは、この10年くらい初期仏教に由来するマインドフルネスがブームになったけれども、ビジネスでブレイクスルーするための手法としての関心がメインですよね。そういう意味では、ほとんど残っていないのかもしれません。

有名経営者のハートを射止めた要因

――日本ではもともとの文脈が抜け落ちてしまった、と。ただ、ビジネスといえば吉福さんもソニー創業者の井深大やAIBOの開発に携わった天外伺朗さん、京セラの稲盛和夫さんらとは交流があったわけですよね。

稲葉 ビジネス系の人も「先が見えない」という不安があるから、吉福さんと話すと安心できたんでしょうね。吉福さんに何千万円かするスーパーカーのデロリアンをプレゼントした人も、そういう世界の人でした。吉福さんがハワイにいたときには、ある著名な靴の小売チェーンの会長さんがしょっちゅう訪れていて、アメリカで会議があると半分通訳みたいに同行していたそうです。でも、吉福さんは「くれるならもらう」という感じで、自分から見返りを要求したことはほとんどなかったんじゃないかな。ハワイではいろんな人のビジネスの仲立ちをしたけれども、親切でやっていただけみたいです。そもそも吉福さんの実家は鉄道会社の経営者一族でお金がありましたから――本人は常にTシャツ、半ズボンにゴム草履という格好でしたけど――、吉福さんは「儲かるから」みたいな金銭目的で活動したり人と付き合ったりしたことはないと思います。そういうところも、経営者のおじさんたちのハートを射止めた要因かもしれません(笑)。

――このインタビューを読んで吉福さんに興味を抱いた読者に、ひと言お願いします。

稲葉 動画配信サイトのNetflixではカルトやニューエイジ系の内実を描く『ワイルド・ワイルド・カントリー』『ビクラムの正体:ヨガ・教祖・プレデター』といったドキュメンタリーがありますが、そういうものと合わせて読んでいただけると面白いと思います。

 その場合、ぜひ、「眉に唾をつけながら」観て、読んで欲しい。不思議な世界を無批判に信じてしまってはオウム真理教の教訓が生かされていないことになりますし、かといって社会がこうしたことに無関心でいるのもカルトにとっては都合のいいことなんです。大事なのは精神世界、スピリチュアルに対する「リテラシー」を持つこと。批判的な視点を忘れずにアプローチしていただくのがいいと思います。

 コロナ禍で先が見えない時代ですが、こういうときこそ、安易に答えを求めるのではなく、とことん問いを深めていくという、吉福さんの姿勢が評価されるときなのではないかと思っています。

稲葉小太郎(いなば・こたろう)

1961年生まれ。東京大学文学部印度文学印度哲学専修過程修了。情報センター出版局を経てマガジンハウス入社。編集者として雑誌「クロワッサン」「自由時間」「リラックス」「GINZA」などを担当。 93年に吉福伸逸のワークショップに参加し、岡山の吉福の実家にてロングインタビュー。フリーの編集者となって以降も関心を持ち続け、日本各地やハワイでの取材を重ねて本書をまとめ上げる。著書に『コンビニエンス・マインド』(大蔵出版)がある。

 

マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャーや出版産業、子どもの本について取材&調査して解説・分析。単著『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの?』(星海社新書)、『ウェブ小説の衝撃』(筑摩書房)など。「Yahoo!個人」「リアルサウンドブック」「現代ビジネス」「新文化」などに寄稿。単行本の聞き書き構成やコンサル業も。

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最終更新:2021/06/30 18:00
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