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映画『浅草キッド』たけしが魂を込め劇団ひとりがリスペクトを注いだ芸人の在り方

【※ネタバレあり】山田邦子から聞いた芸人という職業の意味

 映画の冒頭、本物と見間違うほどの特殊メイクをした現在のタケシさんのアップから始まる。この時点でワクワクが止まらない。現在のタケシさんの仕事風景から一転し時は1974年、どさ回り――今でいうところの地方を巡業するツービート(たけしさんのコンビ)の姿へ時代が逆行する。キャバレーで漫才をするが客はホステスとの会話に夢中で誰も見ちゃいない。

 これは僕が幼いころに実際にたけしさんがテレビで話しているのを見た「キャバレーやストリップ劇場で漫才をやっても誰も見向きもしない。だからこそ、いかにしてお客さんを笑わせるかを考え続けた」というエピソードそのもの。当時の自分が浮かべていた情景とそのシーンががっちりと重なり、いきなり心が掴まれた。

 そして時代はさらに遡り、2年前の浅草へ。昭和40年代(1965~74 年)という日本の勢いを表すように軽快なBGMが鳴り響き、今も面影が残る活気あふれる浅草の街が映し出される。人々が往来する中を颯爽と闊歩する深見千三郎(大泉洋)。そこはかとなくお洒落で凛とした姿は、タケシ青年(柳楽優弥)が憧れを抱くのも頷ける。

 エレベーターボーイをしていたタケシ青年が弟子入りを懇願するシーンで、深見がタケシにこう訪ねる「お前は何か芸はあるのか?」と。

 この頃の芸人さんは今のお笑い芸人とは違い、ただ笑わせるだけではなく、歌や踊り、楽器やタップダンスなどの芸事があって、初めて人前に立てるとされていた。そう考えると芸人という名前は今のお笑い芸人より、昔の芸人さんのほうがしっくりくるにきまっている。

 話しは少し逸れるが、僕が芸人をしていた頃、山田邦子さんとご一緒させて頂いた事があった。当時「オレたちひょうきん族」に出ていた山田邦子さんや片岡鶴太郎さんは自分たちを芸人と呼んだことは無く、自分たちを「テレビ屋」と呼んでいたらしい。その理由は、一緒に出ているビートたけしさんなどの芸人さんは芸があるが、自分たちはテレビには出ているだけで、芸が無かったからだと。

 僕たちからすれば人を笑わせるという芸があるのではと思っていたが、この映画で描かれている時代を生き抜いてきた芸人さんが身近にいるのなら、確かに芸人とは呼べないはずだ。

 そう考えると今の時代、お笑い以外の事をする芸人が増えた。歌を歌ったり、バンドを組んだり、ダンスを踊ったり……。芸人本来の姿に近づいてきたのかもしれない。

 この作品は監督の劇団ひとりさんが7年前に思ついたそうだが、なかなか映画化することができず、紆余曲折あり何とか昨年末に実現できたという渾身の作品。

 劇団さんとは昔、同じ番組にレギュラーで出演していた事があったので、この映画を見たときに“らしいな”という印象を受けた。

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