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あのアーティストの知られざる魅力を探る TOMCの<ALT View>#9

宇多田ヒカル『BADモード』 “越境”するベッドルーム・ソウルを読み解く

 ビート&アンビエント・プロデューサー/プレイリスターのTOMCさんが音楽家ならではの観点から、アーティストの知られざる魅力を読み解き、名作を深堀りしていく本連載〈ALT View〉。今回は、1月19日にデジタル先行配信された宇多田ヒカルの新作『BADモード』(CDは2月23日発売)について語っていただきます。

 

宇多田ヒカル『BADモード』 “越境”するベッドルーム・ソウルを読み解くの画像1
宇多田ヒカル『BADモード』(‘22)

“ベッドルーム・ミュージック”の先駆者としての宇多田ヒカル

 宇多田ヒカル『BADモード』の配信リリース当日に行われたオンラインライブで『Exodus』(‘04 *Utada名義)からの楽曲が披露され、驚いた方もいるかもしれない。だが、個人的には必然性を感じる選曲でもあった。「Hotel Lobby」「About Me」の2曲は宇多田がプログラミング担当者としてクレジットされた最初期の楽曲たちだ(スパイス・ガールズ、ニュー・オーダー等の仕事で知られるピート・デイヴィスがそれぞれ共同 / アディショナル・プログラミングとして関与)。また、同じくリリース日に公開されたビルボードのインタビュー(「Hikaru Utada Returns, With ‘BAD Mode’ & A Better Sense of Self」)で「キャリアで特に誇りに思っている作品」を訊かれた宇多田は、第一に『Exodus』を挙げている。

 エレクトロニックなサウンドを大胆に強めた『Exodus』のリリース後、『Ultra Blue』(‘06)で宇多田はシーケンスソフトDigital Performerを用い、自身でほとんどの楽曲のプログラミングを手がけるようになった。これを皮切りに、宇多田は『Ultra Blue』から『初恋』(‘18)までのほとんどの楽曲でメインのプログラミング担当としてクレジットされていくことになる。2000年代後半以降、独力でプログラミングを含む多くの工程を完結させる「ベットルーム・ミュージック」の作り手が数多く登場していくことになるが、宇多田はメインストリームにおける、その先駆けのような存在であったとも言える。そして、『BADモード』はその延長線上で語られるべきアルバムではないだろうか。

 『BADモード』はすでに多くの方がご存知の通り、複数のプロデューサーとの共同プロデュースで制作された。『Exodus』以降で同様に外部プロデューサーを複数迎えた作品には、スターゲイト(Ne-Yo、ビヨンセなど)やトリッキー・スチュワート(ブリトニー・スピアーズ、リアーナなど)といったポップマーケットを制したプロデューサーが起用された『This is the One』(’09 *Utada名義)が思い出されるが、これはUS市場での成功を強く意識した結果による例外的な作品だろう。実際、今作の人選は少し様相を異にする。

 近年はエクスペリメンタルな作風で知られるチャーリー・XCXのプロデュースを手がけてきたA・G・クック、インディ・レーベル名門のNinja TuneやLuaka Bopからのリリースで知られるフローティング・ポインツといった面々は、市場を意識しているというよりは、自身の音楽的関心と合致する相手を志向してのものに思える。本作の方向性は、先述の『This is the One』よりも、椎名林檎やKOHHといった確立された個性を持つアーティストを多数フィーチャーした『Fantôme』(‘16)に近いと言っていいだろう。

 本作以前の2作『Fantôme』『初恋』は生演奏の貢献が大きかったが、宇多田はこのことを振り返り、「他の人を信頼すること、そして自分のコントロールが及ばないところで何かを実現させること」の魅力と、そのプロセスを成功させたことで自信を得たことを語っている。そして、そうしたアルバム群をリリースしたあと、「またサウンド面ですごく風変わり(weird) なことをやりたい」と思ったという。こうして個性的な面々とともに生み出された『BADモード』は、さまざまな趣向が凝らされた、最先端のポップミュージックとして研ぎ澄まされた完成度を誇っている。以下でそれぞれのコラボレーションについて触れていこう。

“プライベートな領域”=トラックメイキングの共同作業

 新曲3曲を手がけたフローティング・ポインツは、それまで誰かと一緒にトラックメイキングの共作をするという経験がなかったという。それもあり、タイトル曲「BADモード」では宇多田側がリードする形で、各パートの音色の差し替えなどの希望を出していくことで制作が進行していった。一方、「Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー」は宇多田の未完成のデモをフローティング・ポインツが大きく膨らませ、いたく感銘を受けた宇多田は12分近い超・長尺での収録を決定したという。これらの楽曲は、彼がソウルやジャズの要素を色濃く取り込んだハウスミュージックを制作していた『Shadows』(‘11)の頃の作風を強く想起させる。

 A・G・クックとの共作は、彼がプロデュース等の経験が豊富だったこともあり、作業の初期段階から密なディスカッションを経て進行していったという。とはいえ推測だが、『Heart Station』(‘08)収録の「Stay Gold」を彷彿させるイントロを持つ「君に夢中」や、『Fantôme』(‘16)収録の「道」に通ずる単音リフのイントロが印象的な「One Last Kiss」はいずれも、宇多田制作のデモがある程度活かされていると思われる。この2曲はいずれも日本の映像作品とのタイアップが付いているが、拍の間を音で埋め尽くす「J-POP的」なつくりの真逆を行くように、ボーカル以外のパートが過度にメロディを主張しない、音数の絞られたアレンジが印象的だ。

 小袋成彬との共作では基本的に宇多田制作の音源が活かされているというが、「誰にも言わない」は例外的に彼のアイデアを取り入れることで大きく発展した楽曲だという。本作では珍しく生楽器が多数フィーチャーされ、ビートの抜き差しや拍の自在な解釈、BPMのハーフ/倍の行き来、数段階の変化を見せる楽曲構造の妙は、フランク・オーシャンらオルタナティヴR&Bの先端をいく音楽家の作品にも近いものがあり、2020年の配信リリース時にも大きな話題を呼んだことを記憶している。本曲は前後の楽曲――静謐な「気分じゃないの(Not In The Mood)」と、グレン・アンダーグラウンドなどデトロイト・テクノに強い影響を受けたアップテンポの「Find Love」を綺麗に繋ぐ役割を担いつつ、同じく生楽器系の素材が多用され、新たなメロディ・展開が中盤~ラストにかけて幾度となく現れ続ける冒頭の「BADモード」とも共鳴している印象を受ける。アルバムに起伏とまとまりを同時に生み出している点で、本作の要のような楽曲だろう。

 スクリレックス、および彼の制作パートナーであるプー・ベアー(Poo Bear)と共作した「Face My Fear」は、「(英語版では)自分以外の人が書いた歌詞を歌う」という点で、宇多田自身にとっても特別な位置付けの曲になったという。本作中随一のアグレッシブな編曲だが、直前の「Find Love」がデトロイト・テクノ的なクラブ色の強い曲調であることから「Face My Fear」への橋渡し役として機能しており、アシッドハウス調の次曲「Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー」と挟まれたことも相まって、見事に終盤の流れを作っている印象を受ける。スクリレックスの作品では『Show Tracks』(’19)に通ずる、美しくエモーショナルな楽曲とボーカルチョップの組み合わせがハマった作品だ。

 宇多田にとって、音楽制作は常にプライベートなものだったという。これまで「自分一人で、安全だと感じることが必要だった」という宇多田は、今作を通じて「一緒に面白いものを作ることができる新しい友達」ができたことの率直な喜びを語っている。

 次ページでは、アルバム全体に通底するリズムやサウンドデザインの妙について触れていきたい。

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