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歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義

『鎌倉殿』でも暗躍を見せる三浦義村の“裏切り”と「和田合戦」後の思わぬ“誤算”

「和田合戦」後に犯した三浦義村の判断ミス

『鎌倉殿』でも暗躍を見せる三浦義村の“裏切り”と「和田合戦」後の思わぬ“誤算”の画像2
三浦義村(山本耕史)|ドラマ公式サイトより

 甥・胤長は「泉親衡の乱」に参加したことを問われ、建暦3年(1213年)3月17日に陸奥国に流罪となりましたが、ドラマでもあったように6歳になる娘が同月23日、父親がいなくなった悲しみのあまり病死するという事件も本当に起きました。これも、北条家の手による毒殺だったと考えることもできそうですが、いずれにせよ、さまざまな思惑と運命が絡みあった末に勃発したのが「和田合戦」だったと考えられます。

 なお、この時、義盛は御年67歳です。ドラマでは横田栄司さんが(多少の老けメイクをしているにせよ)放送開始時と変わらず、エネルギッシュに演じており、そのイメージは史実の義盛とも共通するものでしょうが、鎌倉時代の年齢感覚では当時の義盛はかなりの高齢者でしょう。

 彼が名実ともに“現役”であり続けたことは想像されますが、そんな彼を“老害”と考える若い世代がいたとしてもおかしくはありません。そして三浦義村も和田義盛を疎んじていた一人だったと思われます。彼の生年は定かではありませんが、一説に仁安3年(1168年)生まれで、それに従うと「和田合戦」当時、数えで46歳です。義村は義盛より20歳近くも年下だったと考えられ、三浦本家の長は義村であるにもかかわらず、分家の長にすぎない義盛のほうがはるかに権勢を誇っていたのには、そうした年齢的な事情もあったのではないでしょうか。

 建暦3年5月2日の夕方、和田一族が3手に分かれて実朝の御所(通称・大倉御所)、義時邸、大江広元邸を攻撃し始めると、義時は息子の泰時に戦闘は任せ、自身は実朝の傍についていました。「申の刻(16時くらい)」の戦闘開始時の泰時は、すでに泥酔していたものの、時房と共に鎌倉のメインストリート・若宮大路において和田勢の猛攻を食い止める善戦ぶりを見せました。起請文まで書いておきながら和田一族を裏切った三浦義村・胤義兄弟も、「酉の刻(18時くらい)」には駆けつけ、奮戦しています。

 この合戦では、先述のとおり義盛の三男・朝比奈義秀が常人離れした活躍を見せるなど、和田一族が優勢になる瞬間は何度かありましたが、戦闘開始の翌日、ついに和田一族の勢いは衰え、「固瀬河(現在の神奈川県・片瀬川)」には234もの和田一族と、彼らに味方した者の首が晒されるという凄惨な結末となりました。

 興味深いのは戦闘終了後、自分の手柄について御家人たちが主張した論功行賞とその結果です。「和田合戦」は北条家と和田家の「私闘」としていちおう始まり、御所を焼け出された実朝が開戦の翌日、ついに和田一族の討伐命令を出して、公の戦となるという経緯をたどりました。また、何度もお話しているように、北条家の勝利を決定づけたのは三浦義村の裏切りでした。

 しかし、この論功行賞の場において、義村は大きな判断ミスをしてしまいます。彼は(御所の)政所前の合戦で、名誉ある「一番駆け」(『吾妻鏡』の記述では「先登」)をしたのは自分だと熱心に主張したのです。さすがの義村も「裏切り」だけで評価されるのはイヤだと思ったのでしょうが、しかしこれは真っ赤なウソで、本当に一番駆けをしたのは波多野忠綱という別の武将でした。

 ふたりは実朝の御前でお互いを嘘つきだと罵り合ったため、場の空気は非常に悪化しました。義時はこの時、波多野を物陰に呼び出し、「あなたには後で恩賞を別に与えるから、ここは義村に功績を譲ってやってくれないか」などと頼んだそうですが、波多野はそれを拒絶しました。

 結局、実朝が「士卒を捜せ」(『吾妻鏡』)……つまり、従軍していた者たちを探して証言させなさいと命じ、義村はウソをついていたことが完全にバレてしまい、ひれ伏して波多野に、そして一同に詫びるはめになりました。この時の虚言が影響したのか、義村に恩賞として与えられたのは「奥州名取郡」一箇所にすぎなかったことは注目に値するでしょう。

 その一方で、北条一門はというと、義時は和田義盛に代わって「侍別当」になった上に、相模の山内庄・菖蒲庄の二箇所も得ています。そして時房が上総の飯富庄を、泰時は奥州の遠田郡を得ることになりました(これは後に返上)。

 最終的には、三浦義村は義時から良いように使われただけでなく、大した褒美ももらえず「裏切り者」という悪名が定着してしまっただけ……という、彼にとっては釈然としなかったであろう結果に終わったのです。

 もっとも、ここでも義時との年齢差が関係しているかもしれませんね。ドラマにおいて義村は義時とほぼ同年として描かれているようですが、実際は義時のほうが義村より5歳年上のようです。この微妙な年齢差ゆえに義時は、義村をまるで道具のように使ったり、時には高圧的な態度で接することができたのかもしれません。

 しかし、多くの恩賞は得られず、不名誉なことも多々ありましたが、ドラマでも弟の胤義に「上総、梶原、比企、畠山。幾人が滅んだ。三浦はまだ生き残ってる。つまりはそういうことだ」と自身の処世術の正当性を説いていたように、三浦義村は「和田合戦」を見事に生き残ることには成功したのでした。

<過去記事はコチラ>

堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『隠されていた不都合な世界史』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/02/21 12:25
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