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歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義

『どうする家康』慶長の役を引き起こした、講和交渉における「情報捏造」の犯人は?

明国の副使と小西行長が共謀して「情報捏造」するも…

『どうする家康』慶長の役を引き起こした、講和交渉における「情報捏造」の犯人は?の画像2
豊臣秀吉(ムロツヨシ)| ドラマ公式サイトより

 実は文禄2年の来日時の和平交渉では、明国からの副使・沈惟敬が、日本側の担当者・小西行長と共謀していました。共に相手国が降伏したと説明し、強引に講和を取り付けようとしたのです。相手が降伏したと信じたからこそ秀吉も明の皇帝も講和の条件が強気だったわけですが、沈惟敬と行長たちは、秀吉からの「皇帝の娘を天皇に嫁がせろ」などという身の程知らずの要求を明の皇帝には告げず、代わりに「秀吉が、大明帝国の冊封体制に組み入れてもらえることに感謝していると言っている」という虚偽の情報を伝え、強引に交渉を進めようとしました。日本は明には到底かなわない、時間が経てば秀吉という頭のおかしな老人も正気を取り戻してそのことに気づき、このあたりがよい手の打ちどころだと理解するのではないか……という期待が、沈惟敬と行長にはあったのかもしれません。正使の楊方亨も、沈惟敬に説得されてしまったようです。

 しかし、秀吉がそんな「理解」にいたることはなく、使者たちの持ってきた明からの書状を読んだ秀吉は怒り狂って戦闘再開を宣言、ふたたび朝鮮への出兵が決定しました。こうして翌・慶長2年(1597年)、14万もの兵が朝鮮半島に渡り、慶長の役が勃発することになるわけです。

この時、交渉を決裂させてしまった楊方亨たちはというと、皇帝に真実を伝えることができなかったばかりか、交渉決裂後だったにもかかわらず「明国の属国に加えていただきありがとうございます」という秀吉からの「謝恩表」まで偽造し、北京に送ってしまっていました。「秀吉との講和成立」の速報に胸をなでおろしていた明国政府は、朝鮮王からの「日本が再度攻めてきた」と援軍を再要請する使者がやってきたことで、「これは一体どういうことだ」との困惑が広がることになります。そこに楊方亨たち一行がノコノコと北京に帰京し、捕縛された彼らは尋問を受け、秀吉が降伏したなどの話がすべて捏造だったと発覚、死罪となりました。

 ドラマでは、朝鮮水軍に秀吉軍が敗れているとの情報を聞きつけた家康が「太閤殿下はご存じなのか? なぜお伝えせぬ?」と問うと、三成が「殿下に何をお伝えし、何をお伝えせぬかは我らの裁量」と言っていましたが、それは史実の明国の使者たちが皇帝に対して行っていたことでもあります。

 日本側も、明国の使者たちにすべてを任せていたのではありません。朝鮮半島に渡り、現地の朝鮮、そして明国側と交渉を試みようとした1人が、加藤清正でした。慶長2年(1597年)、清正は朝鮮半島南部の多大浦に上陸するやいなや、美濃部金太夫という通訳を朝鮮の首都・漢城へ派遣し、清正とも面識がある学僧・惟政(いせい)を呼びました。そして秀吉からの朝鮮王への和議の条件――「朝鮮領土の割譲」「朝鮮の王子や大臣を人質として差し出せば、日本軍は攻撃はやめる」などを改めて朝鮮王に伝えさせようとしたのですが、惟政は笑止とばかりに取り合おうともせず、交渉はその場で決裂しました。

 慶長の役において、秀吉軍はかつてのような快進撃を繰り広げられませんでしたが、勝利の報せだけを待ち望んでいる秀吉の顔色をうかがわねばならない……という事態に兵たちは苦慮し、朝鮮兵、民兵だけでなく、非戦闘要員である民衆たちの鼻や耳までを削ぎ落として塩漬け、酢漬けにし、名護屋城の秀吉のもとに送るという愚行をしでかします。すべては秀吉を喜ばせるためでした。哀れな犠牲者たちの耳や鼻は、現在も京都の豊国神社内の「耳塚」に埋められています。

 しかし、一進一退を繰り返すだけの戦局に飽きてしまった秀吉は、文禄2年(1593年)8月に茶々が拾(ひろい、後の秀頼)を出産すると、それからは大坂城に居付いてしまい、名護屋城には二度と帰りませんでした。そしてそれから5年後の慶長3年(1598年)8月に秀吉は亡くなっています。朝鮮出兵の最中ということもあり、「太閤殿下」にふさわしい盛大な葬儀が行われることはありませんでした。いくら秀吉が莫大な財力を誇り、「黄金太閤」と呼ばれていたとはいえ、莫大な経費を朝鮮出兵に投じてしまったため、華々しい葬儀の費用を工面しづらいという側面もあったのだと思われます。

 亡き秀吉に代わって徳川家康がリーダーシップを発揮したことで、秀吉の亡くなった慶長3年のうちに朝鮮にいる軍勢の引き揚げが開始され、全軍撤退となりました。秀吉の死、そして完全に尻すぼみに終わった朝鮮出兵によって豊臣家の勢力は大きく衰え、家康は大きく名を上げるということになったのですが、ドラマではこうした過程はどれぐらい描かれることになるでしょうか。

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堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『隠されていた不都合な世界史』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/10/15 11:00
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