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歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義

『どうする家康』晩年は若者にケチをつける老害? 「健康マニア」家康の死因とは

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

『どうする家康』晩年は若者にケチをつける老害? 「健康マニア」家康の死因とはの画像1
徳川家康(松本潤)| ドラマ公式サイトより

 『どうする家康』第47回「乱世の亡霊」では、茶々(北川景子さん)がふたたびクローズアップされました。少女時代の茶々は、母のお市(北川景子さん・二役)が家康(松本潤さん)を信じ切っている様子から、自身も家康を憧れの君として心の中で慕っていました。しかし、夫・柴田勝家(吉原光夫さん)が秀吉(ムロツヨシさん)と敵対し、お市らが窮地に追い込まれた際、家康はお市からの援軍要請を無視し、お市は自害に追い込まれました。茶々たち姉妹は「宿敵」秀吉の手で育てられることになり、後年、茶々は秀吉の側室になりましたが、茶々はお市以上に家康に裏切られたと感じ、彼をひたすらに憎むようになっていった……ということのようでした。

 第38回に、秀吉不在の合間を縫って茶々が家康のもとに行くシーンがあったのを読者の皆さんは覚えておられるでしょうか。「茶々はずっと思っておりました。あなた様は私の父であったかもしれぬお方なのだと。まことの父はあなた様なのかもと。父上だと思ってお慕いしてもようございますか。茶々はあなた様に守っていただきとうございます」と家康の手を取って涙ぐんでいましたが、あれは家康を篭絡するための言葉ではなく、半ば本心であり、そして伏線でもあったのでしょう。しかし、この時も家康は茶々が望むような答えを返してはくれず、茶々の中で「家康は不実な男である」という思いが固まったようです。家康に裏切られたと感じた茶々は、我が子の秀頼(作間龍斗さん)を自分がずっと抱いていた理想の家康像、すなわち「信じる者を決して裏切らず、我が身を顧みずに人を助け、世に尽くす」という「まことの天下人」として養育することになったわけです。

 江(マイコさん)と初(鈴木杏さん)から、姉・茶々の本当の思いを伝え聞いた家康は直筆の手紙を彼女たちに託しました。自分と茶々の代で乱世の幕引きを行おう、若い秀頼は生かしてやってほしいという家康からの提案を知った茶々は、さすがに心を動かされていたようでしたが、茶々が「母はもう……戦えとは言わぬ。徳川に下るもまたよし。そなたが決めよ。そなたの本当の心で決めるがよい」と秀頼の判断に委ねたことが思わぬ悲劇につながってしまいました。「ずっと母の言うとおりに生きてきた」という秀頼は、自分の「本当の心」を「今ようやくわかった気がする」と立ち上がりますが、しかしそこで彼が語った天下人像は、茶々が秀頼にずっと植え付けてきた理想の家康像であり、あくまで家康は天下人にあらずと否定する秀頼は、真田信繁たち浪人たちを前に「戦場でこの命を燃やし尽くしたい!」「共に乱世の夢を見ようぞ!」と意気込んでいました。茶々は秀頼の言葉に一瞬、驚きの表情を見せますが、最終的には「よくぞ申した」と我が子を褒め称えていましたね。そして涙しながらも家康からの手紙を燃やし、覚悟を決めた様子でした。茶々の激しく揺れ動く気持ちを見事に表現した北川景子さんが素晴らしかったです。

 ドラマでは、茶々の暴走を止めようと、江と初(常高院)が豊臣と徳川の間を熱心に取り持っていましたが、史実で目立つのは、江より常高院の活躍です。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、真田丸での猛攻が起きる前後から、家康が常高院を起用して豊臣方に和睦交渉を試みようとしたものの、それに秀忠が猛反対したという記録もあります。

 常高院よりも江のほうが家康や秀忠との距離が近いため、平和の使者としてより向いているように思われますが、史実の秀忠は「豊臣など討ち滅ぼせ!」という主戦論者でしたから、秀忠の妻である江は動けなかったのかもしれません。常高院に比べ、江には徳川と豊臣のために具体的に活動した痕跡が見当たらないのですが、その背景には、そういう事情があったのではないかと思われます。あるいは、幼少期から茶々が運命に振り回されてきたことを江はよく知っていましたから、最後くらいは姉の好きなようにさせてやりたいと感じていたのかもしれません。

 さて、ついに次回・第48回は『どうする家康』の最終回です。あらすじには、〈(大坂夏の陣の)翌年、江戸は活気に満ちあふれ、僧・南光坊天海は家康の偉業を称え、福(のちの春日局)は竹千代に“神の君”の逸話を語る。そんな中、家康は突然の病に倒れる〉とありますが、15分拡大とはいえこれで最終回ですから、大坂の陣以降後の話のボリュームは多くはなさそうです。大坂城が燃え上がって茶々と秀頼の母子が自害し、夏の陣が豊臣方の敗北で終わる部分が最後の山場になりそうですね。大坂夏の陣に勝利してから、家康が亡くなるまでは2年ほどでした。ドラマの家康は己の遠からぬ死を見据え、達観した様子ですが、史実ではどうだったのでしょうか?

 『東照宮御実記』の描写からは、晩年の家康がなかなか面倒くさい爺さまになっていたことがうかがえます。年を取ると若い人のファッションセンスが理解できなくなる現象は、家康にも見られました。伏見彦太夫という人物が、通常より大きな太刀を差し、(おそらくは若き日の織田信長や前田利家のようなバサラ趣味の)奇妙な服装で仕事していたのですが、家康の近縁にあたる若者の松平信直(甚兵衛)がこの伏見風のコーディネートで家康の前に現れたところ、家康は怒り、「自分より低い身分の者の間で流行っている服装を軽々しく真似てはいけない(要旨)」と叱ったそうです。

 また、武藤平三郎という人物が、晒し木綿の元結を使って髪を結うという当時流行した髪型をしているのを家康は目ざとく見つけ、近くに呼んで「たわけ者」と髪型の注意をしたという記録もあります。年老いても目が良かったのか、あるいは老眼ゆえに遠くがはっきり見えすぎてしまっていたのかわかりませんが、興味深い逸話です。家康は特に髪型にはこだわりがあったのか、徳川家中の若者は、家康が好む昔風の髪型に統一させられてしまったともいいます。これは単なる家康の「趣味」の話というより、その後も江戸時代の武士たちが巷で流行の髪型・ファッションを気軽に楽しむことができなくなっていった状況との関連性を考えさせられる内容であるようにも思われます。(1/2 P2はこちら

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