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有吉弘行「自分も光原エミカみたいに……」詐欺逮捕の元宝塚スターに重ねた低迷期

有吉弘行(GettyImages)

「自分の戒めにもなったよね。俺も一時、光原エミカさんみたいな仕事ばっかりしてたからね」

 26日に放送されたラジオ『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系)で、パーソナリティの有吉弘行が語りだした。

 光原エミカさんといえば、知人女性から架空の映画製作費の名目で1,000万円をだまし取ったとして、今月22日に逮捕された小倉輝美容疑者のこと。

 小倉容疑者は元宝塚月組のトップスターで、昭和49年には『ベルサイユのばら』で主要キャストを演じるなど華やかなキャリアをたどってきたが、51年の宝塚退団後には各地でディナーショーを行うなどの活動を続けてきた。

 その中で、佐川急便グループの佐川清元会長(当時)を通じて1億3,000万円にも及ぶ貸し付けを受け、訴訟に発展するなど、多くの金銭トラブルを起こしてきたことで知られる人物だ。

 そんな光原エミカこと小倉容疑者のニュースを受け、あの有吉が「自分の戒めになった」と語るのだ。

 現在は名実ともにテレビバラエティの天下といえる位置にいる有吉だが、その芸能人生は浮き沈みの激しいものだった。

 1993年に『EXテレビ』(読売テレビ)の企画に高校生として参加し、オール阪神・巨人の巨人に弟子入りしてスタートした芸能人生だったが、弟子生活はわずか8カ月で半ば破門の形で消滅。その後、同級生とコンビ「猿岩石」を結成してデビューすると、翌年には『進め!電波少年』(日本テレビ系)のオーディションに合格。ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断するという過酷な企画は話題を呼び、帰国後は一躍国民的スターとなった。

 元チェッカーズの藤井フミヤから楽曲提供を受けたデビューシングル「白い雲のように」は累計150万枚のミリオンセラー。月収が2,000万円を超えた時期もあった。

 しかし、数年後には有吉自身が「8年近く仕事がなかった」と振り返る低迷期を迎えることになる。

 テレビの仕事は地元のローカル局のみ。たまにキー局の番組にゲストで呼ばれれば「あの人は今」企画で最高収入と当時の惨状ばかりを語らされる日々。

 そのころ、有吉がたびたび開催していたのが、数少ないファンを集めたファンクラブイベントだった。

「小さいディナーショーを開いてはファンの方に来ていただいて、写真を買っていただいたりしてたんでね。私もあのままいってたら光原エミカ容疑者になってたなぁって。どっかでね、切り替えていかないと」

 その後、故・上島竜兵氏の公私にわたる支援もあって、芸能界の一線に復帰した有吉。昨年末には『第74回NHK紅白歌合戦』の司会を務めている。

 もちろん、誰もが有吉のような復帰ロードを歩めるわけではない。有吉の言う「切り替え」をいくら行ったところで、ほとんどの者が二度と戻ってこれないのが芸能界だ。実力と環境に強運が重なって初めて、有吉のような奇跡的なキャリアを見ることができる。

 それを誰よりもわかっているのが、当の有吉だろう。

(文=新越谷ノリヲ)

 

新越谷ノリヲ(ライター)

東武伊勢崎線新越谷駅周辺をこよなく愛する中年ライター。お笑い、ドラマ、ボクシングなど。現在は23区内在住。

n.shinkoshigaya@gmail.com

最終更新:2024/05/27 16:00
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