デビュー40周年!“アニソン界のプリンス”影山ヒロノブの「衝撃を受けたアーティスト」と「続けられた理由」
『ドラゴンボールZ』(フジテレビ系)の主題歌「CHA-LA HEAD-CHA-LA」、『電撃戦隊チェンジマン』(テレビ朝日系)などのスーパー戦隊シリーズ、アニメソングの第一線で活躍してきた“アニソン界のプリンス”こと影山ヒロノブが今年、デビュー40周年を迎える。
この40年間、影山はアーティストとして、アニソンの魂を伝えんと、遠藤正明や奥井雅美らと共に「JAM Project」としても活動。また、アニソン系情報番組のはしりともいえるCS・キッズステーションの番組『アニぱら音楽館』には2001年以来、出演を続けている(1999年より放送の現番組の前身となる『アニメぱらだいす』内、コーナー番組時代から出演)。今年5月7日には、スペシャルライブ『アニぱら音楽館~KAGEYA-MATSURI~』も開催される。
そんな影山のメジャーデビューは1977年、ロックバンド「LAZY」のボーカリストとしてであった。以来40年間にわたって、走り続けてくることができた理由を知るべく、話を聞いた。
* * *
──まずは、最初の音楽との出会いをお伺いしてよろしいですか?
影山 最初は、小学校6年のときです。クラスメイトと高崎晃(注:LAZYのギタリスト。後にメタルバンド「LOUDNESS」を結成し、世界的なギタリストとなった)くんと一緒にフォークソングをやったのが始まりですね。
──最初はロックではなく、フォークだったんですね。
影山 当時はフォークが流行っていたんです。それに、そもそも子どもにはエレキを手にするのが難しかったんですよ。
──なるほど。フォークギターは持っていたのですか?
影山 いや、持っていなかったです。高崎君だけ、お兄ちゃんとお姉ちゃんがいて、家に楽器があったんですけど、ボクや友達はアルバイトして、1万円台のアコギを買いましたね。
──小学校6年生でバイトですか。そのときは、なんのアルバイトを?
影山 ボクは、家の近所の小さい時から知ってる八百屋さんの配達をやりましたね……と、ここから、話しているとメッチャ長くなりますよ~。
──そうですね。では、少し飛ばして。高崎さんらとLAZYを結成して、そこからスカウトされ、メジャーデビューに至った。
影山 高校1年生のときに『ハロー・ヤング』(朝日放送)という番組で。この番組には週に一回、アマチュアが出ることができるコーナーがあったんです。そこに出演したときに、司会をしていたかまやつひろしさんから「東京でやらないか!!」と声をかけていただきまして、そこからデビューに至りました。
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