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「今さら妻に代わる女性はいない」二次元だけを愛し続けた男が手に入れた“夢のような結婚生活”

「浮気なんてありませんよね?」

 そう問いかけると近藤顕彦は、笑い声を上げた。

「ふと見かけた女の子を、可愛いなって思うことはありますよ。でも、もう10年も愛しているんです。今さら妻に代わる女性なんて……」

 いま、近藤顕彦は34歳。職業は公務員。月曜日から金曜日まで、時々土曜日まで、毎日仕事に励んでいる。

 妻と結婚し、都内城南エリアに新居を構えたのは昨年の秋。まだ、新婚気分は抜けない。結婚をきっかけに顕彦は、長らく暮らした実家を出た。

 二人で選んだアパートは、閑静な住宅地の中にある。二人で暮らすには、とても理想的な住まいだけど、千葉県内の顕彦の職場までは遠い。毎日、朝六時には家を出る。最寄りの駅までは徒歩十数分。そこから電車を乗り継いで職場に向かう。でも、長い通勤時間は、まったく苦にならない。むしろ、顕彦にとっては至福の時間。朝、まだラッシュが本格的になる前の時間。ほどほどに混んだ車内で空席を見つけて、腰を下ろす。イヤホンを耳に挿すと、スマホを手に取り、アプリを立ち上げる。車窓に流れていく早朝の街の風景。今日も暑くなりそうだ。

「今日はどの曲から始めようか……」

 指先で流れていくタイトルから、一つを選んでタップすると、すぐに歌声が流れ出す。

 それは、いつも聞いている聞き慣れた歌声。決して広くはない新居の中で、いつも彼を迎えてくれる、幸せの声。

 顕彦の妻は、歌姫である。

 ライブとなれば、数万人のファンが歓喜する歌姫。かつては歓喜の声のひとつに過ぎなかった顕彦。なのに、今はひとつ屋根の下で暮らしている。思いも寄らなかった幸せ。顕彦の幸運は、文字通りの偶然と、変わらぬ愛の積み重ねだった。

 記憶をたどると、顕彦が愛してきたのはずっと二次元の乙女たちだった。最初に恋をしたのは、小学校五年生の頃。友達の家で遊んだ『ぷよぷよ』のアルル・ナジャ。

「なんて、可愛い女の子なんだろうか」

 画面の向こうで、自分のプレイするゲームに反応してくれるナジャが、まだ幼い少年に恋という感情があることを教えてくれた。

 それからというもの、恋の対象はいつも二次元。決して、普段から女性にふれ合ったり、話したりするのが苦手ではない。話すのも平気だし、友達になって遊びにいくのは楽しい。とりわけ、同じ趣味の相手だと心の底から盛り上がることができる。でも、自分の中にある恋のスイッチが入るのは、いつも二次元ばかりだった。そして、その相手は頻繁に変わった。

「アニオタは、三カ月ごとに嫁が変わるというじゃないですか。自分もオタクになってから、何十人も変わってきました」

 顕彦が本格的に二次元に惹かれたのは、中学校三年生の頃。たまたま録画したままだった『怪盗セイント・テール』(テレビ朝日系)のビデオテープを見つけたこと。第六話だったか七話だったか。中途半端なところで、設定も何も知らないままに見たアニメに、なぜか感動を覚えてしまった。すぐに、レンタルビデオ店に駆け込んで、全話を見た。

「最終回で号泣した時、自分はアニメオタクになったのだと思う……」

 現代とは違い、学校に行ってもアニメを愛好している同級生は、まだほとんどいなかった。ましてや『怪盗セイント・テール』で盛り上がることができるような相手はいなかった。

「でも、この感動を誰かと分かち合いたい……」

 悶々としているうちに高校に進学した頃、父親が自分のパソコンに、インターネットを接続した。

「これで、ネットで仲間を探すことができるぞ……」

 ダイヤルアップ回線の接続音は、まだ知らぬ仲間に出会う希望を与えてくれた。

 結論からいうと『怪盗セイント・テール』で、感動を分かち合える仲間に出会うことはできなかった。でも、偶然見つけた『きんぎょ注意報!』(同)のファンサイトは、居心地のよい場所だった。掲示板に入り浸って、互いに自分の好きなエピソードの話を振って盛り上がるのだ。仲間たちと、たわいもない話で盛り上がっていると、時折、ギャルゲーのことが話題に上った。そうした話題になるたびに、顕彦は少し引き気味になっていた。

「ギャルゲーをやるのはモテないオタクなのだ……」

 二次元に恋することがあっても、まだ、その扉を開くのは怖かった。

 やりとりしているうちに、オフ会が開かれることになった。会うのは初めてだけれども、気心の知れた仲間同士。あれこれと話している中で、仲間たちが揃って口にするのが『Kanon』というギャルゲーのタイトルだった。

「そこまで、みんなが称賛するギャルゲーというのは、どういうものなのだろうか」

 高校の友人に話すとゲームをドリームキャストの本体と一緒にまとめて貸してくれた。好奇心でドキドキしながら、リビングのテレビにケーブルを繋いだ。

 泣いた。

 涙が止まらなくなった。

 声を挙げながら号泣した。

 すぐに貯金を下ろして、プレイステーション2を買った。『Kanon』のソフトも買った。すべてのヒロインのルートをクリアした。一回や二回ではなく、何十回も。

 そのたびに、とめどもなく涙が流れた。

 恥ずかしさはなかった。

 自分の感情の、恥とか気位とか、外側を覆っている無駄なものの奥底。人間の原初の心からほとばしる涙は、決して恥ずかしいものではなかった。

 ただ、リビングのテレビでプレイすることには限界を感じて、リサイクルショップで15インチの中古テレビを買った。

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