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【ルポルタージュ】セイレンの妖しいささやき──

『その指先でころがして』『甘く奏でて』ディビの描く“女性上位の耐えられない五感”の快楽

『甘く奏でて』(ワニマガジン)

「主人公が羨ましくて発狂しそう」

 ディビの作品には、そんな感想が絶えない。デビュー以来、ひたすらに女性上位で責められる主人公を描き続けてきた。独特の画風と、漫画の文法を逸脱した文字の洪水は、羨ましさを越え読者の四肢と五感を物語に接続したような快楽を与えてくれる。9月に刊行された2冊目の単行本『甘く奏でて』(ワニマガジン)を経て、さらに溺れる読者を増やし続けるディビ。これは、その無二の世界に触れる初のルポルタージュである。

 * * *

「主人公の少年……実くんが……隣のお姉さん家に連れこまれて……お姉さんがだんだん妖しい雰囲気になってきて……冷たい指先が、シャツのすそをまくり上げながら、トリハダをかすめるようにつぅ……って……脇腹を這い上がっていく感覚に……」

 ああ、愛しいお姉さんの匂いがする。自分の肌を這い回っている、しなやかな指。きみの筋肉の少ない、線の細い身体の上を楽器を奏でるように、するすると走っていく。時に爪を立てながら、乳首を、脇の下を、きみの身体の気持ちいいところなど、最初からお見通しといわんばかりに、指は這い、音を立てる。

 こちょこちょ、くりくりくり、こちょこちょこちょ、なでなで、かりかり

 きみの身体は、反応する。気持ちよさを求めて過敏に反応する。そうすれば、もっと気持ちよくなれるという、おずおずとした期待感が、本能的に過敏さを増幅させるのだ。衣擦れ、肌の触れあう音、心臓の音。奏でる楽器の数だけ興奮は積み重なっていく。

 ドキン、ドキン、ドキン、ドキドキ、ぞくぞく、ぴくん、ぴくん。

 きみのリピドーを邪魔する知性は、一つの言葉に上書きされていく。気持ちいい。ただ、ひたすらに気持ちいい。で、この愛しいお姉さんは、きみの耳元でささやいているのだろうか?

「……いいですよ……もっとしてあげます。ていうか……ああ、もう……たまんない……めちゃくちゃにさせてください」

 きみは、きみ自身だと思っている。紙に黒いインクで印刷された。あるいは、液晶の画面の中に表示される数百万個の素子の集合。その結果として表示されているもの。窓ガラスから差し込む陽の光の下で。天井で輝く蛍光灯の下で。あるいは、暗い部屋の中で煌々と輝く画面の中で。きみは、椅子かソファに座るか、寝転んでいるかしている。どちらかの手は、本かスマートフォンを支えている。噴き出す快感の泉の源は、どこだろう。フリーなほうの手が優しく上下したり、ぎゅうっと握りしめたり耐えず運動をしている股間だろうか。いや違う。その快感は、もはや日々の習慣に裏打ちされたありきたりのもの。快感はもっと違うところにある。

 視神経を通して脳に流れ込んでくる情報。それは、理屈ではない興奮でぐっちゃぐちゃにかき回されている。かき混ぜて練り上げられる感覚の中から生まれるのは、より上質な気持ちよさ。やがて脳から溢れ出た快感は、全身に回っていく。身体の中を足の指の先から頭のてっぺんまで突き抜けるリピドー。身体はとてつもなく正直に、もっと快楽の高みだけを求めている。ふっと、視神経から入ってくる情報に目をやると、そこには、きみ自身の言葉がある。

 きもちい……きもちいいれす、もっと、もっとして絵……ひっく、えぐ……えぐ、えぐ

 すっかりと、とろけきった身体。それは、きみの身体。そうではないと自信をもって否定することのできる人などいない。で、きみは確かに作品にひっかかった、何万人目かの男になる。

 ひっかかった男の大半は、きみみたいに何かを期待して本を買ったはず。けっして、現実ではたどり着くことのできないエロマンガならではの表現を期待して。でも、この本……『甘く奏でて』(ワニマガジン)は、そうじゃなかった。9月下旬の本の発売された日、日本列島の大半は雲に覆われていて、発達した前線は、冷たい雨を降らせていた。でも、その日のうちにどうにかして本を手にしたかった。もう、書店には平積みになった本が待っているのはわかっていたから。早々とネットで予約して、今か今かと呼び鈴が鳴るのを待っていた人は幸運。きみは、そうだったかも知れないけれど、そうでない、ぼくは、どうしても、その日のうちに本が欲しくて雨の中を街に出た。

 待つか出かけるか、違いはあるにしても、その本は一分一秒でも手に入れたいものだった。だって、既にひっかかっている、きみやぼくは、そこに紛れもない気持ちよさがあることがわかっていたのだから。流れていく時間の中で、習慣のように繰り返されるマスターベーション。それとは違う、最良の気持ちよさ。特別な日の特別なごちそう。そのようなものが、待っているのを知っていたのだから。

 なんで、そんな気持ちになるか。それは、きみ自身が感じていることと一緒。目の前を流れていく、描かれた物語だけではないから。囁かれる言葉、音、それらは、きみをとろけさせる。その果てにあるのは気持ちよくなっている、きみ。描かれている男性は、きみ。きみは、描かれている男性。感情の洪水は、描かれた架空の物語と、きみとの境界を消失させる。ここまで、括弧でくくったりした言葉は『甘く奏でて』の中の一篇「薄い本みたいに」の引用。舞台のはじまりは、大学の漫画研究会の部室。主人公は、後輩の女の子と二人きり。二人で話す話題は、最近話題になっている綺麗でエロい作風の同人誌。

「今度……貸してくれる」の一言をきっかけに、意図せずやってきた女の子の部屋。ふと、見つけるのは、その子の描いている漫画の原稿。で、話題にしていた同人誌の作者は、その子自身。意図せずに暴かれるのは、主人公が自分でも昇華しきれていなかった、自身の性の芯の部分。年齢の上下など関係なく、後輩はたちまち、お姉さんになる。きみのことなど、とっくにお見通しとばかりに。

「部室でも私の漫画読んで興奮していたでしょう……男の子が初恋のお姉さんにぐちゃぐちゃにされちゃう……えっちなえっちな、おねショタ読んで……勃起していたでしょう」

 世界の色を変える決めの一言は、耳元でささやかれる、優しくて暖かくて冷たく刺すような一言。「マゾの香りがします」。それは架空の物語のはず。二人っきりの後輩は、単なる大学のサークルが同じの薄い関係なんかではない。恋でもなく、未成熟だけど、どこか薄ぼんやりと、お互いの小指に赤い糸のあるのではないか。少なくとも、主人公は、そんなことを考えたことがありそうな関係。そんなことは、微塵も描いていないけれど、常にかすかに香っている。そんな世界観の中で、いつしか主人公は物語の架空の存在から、きみへと変容していく。コマを追うたびに、ページをめくるたびに少しずつ。そして、きみは、気持ちよさに激しく悶えるのだ。


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