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『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』公開記念インタビュー

ヒット曲なしでも23枚ものアルバムをリリース!! ザ・コレクターズ加藤ひさしが語る32年間の軌跡

──古市コータローさんが劇中で「デビューアルバムが発売されたら、俺たち街を歩けなくなると思ってた」と笑って振り返っていましたが、ファンも同じように思っていました。特に6枚目のアルバム『UFO CLUV』が93年にリリースされたときは、「ついにザ・コレクターズの時代が来た!!」と小躍りしました。

加藤 『UFO CLUV』のシングル曲「世界を止めて」は、大阪ですごく売れたんです。東京でも同じように売れていれば、大ヒットだったんだけど、なぜかそうはならなかった(苦笑)。多分、うちのバンドで大ヒットが生まれたとしたら、『UFO CLUV』のときだったよね。でも、そうはならなかった。だから、逆にバンドは続いているのかもしれない。

──ヒット曲がなかったから、ザ・コレクターズは活動が続いている?

加藤 「世界を止めて」はささやかなヒットだったけど、そのくらいのヒットでも、周囲からは「世界を止めて」みたいな曲をまた作ってくれと数年間言われ続けました。大ヒットしてたら、もっと強く言われるわけでしょ。多分、バンドも壊れちゃうと思うんです。あのくらいのヒットでも、それは感じたし。レコード会社がバンドにヒット曲を求めることは当然だし、間違ってはいないけど、ヒットする曲だけを求め続けられると、バンド間に溝や壁が生じるのも確かだと思う。それはつらいし、バンドは続かないよね。俺らにできることは最高のアルバムを常に作り続けるだけ。そこだけは譲れない。それで裏切ったら、もうザ・コレクターズじゃなくなってしまう。

──32年間ずっとポップで、メジャー感のあるアルバムを作り続けてきました。

加藤 いつでも勝負したいんです。サザンオールスターズみたいな有名バンドにしたい。自分では桑田さんには負けてないつもり。世の中がまだちょっと認めてくれていないだけで(笑)。大ブレイクするつもりで、23枚目のアルバムもこの11月に出したんです。

歌舞伎町の明治通り沿いにあった「新宿JAM」。2017年いっぱいで、35年間にわたって東京のインディーズ音楽シーンを支えた歴史を終えた。

■時間の流れと共に変わったもの、変わらないもの

──加藤さんが作ったザ・コレクターズの初期の曲は、レイ・ブラッドベリのSF小説やカルト映画『まごころを君に』(68年)などをモチーフにしたユニークな曲が印象的でした。SF小説や洋画から、かなりインスパイアされたようですね。

加藤 とにかく映画や海外のテレビドラマが大好きで、『トワイライトゾーン』とか『ヒッチコック劇場』などを夢中になって観ていました。レイ・ブラッドベリのSF小説もよく読んでいましたね。僕が生まれたのは1960年で、アポロが月面着陸したのが69年、『ウルトラマン』(TBS系)もすでに放映されていたし、あの頃の男の子はみんな宇宙へ飛び出すことに憧れていました。日本のバンドはほとんど聴いてなかったけど、唯一の例外は「四人囃子」。歌詞がぶっ飛んでいて、素晴しかった。「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」は大好きな曲で、同じ趣味のROLLYと2人で「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」をカバーもした。だいたい日本のロックの歌詞って、乱暴で頭が悪そうなのばっかりだったでしょ。そういうのはやりたくなかった。GSのザ・スパイダースとかはシャレた歌詞だったのに、70年代以降の日本のロックはすっごく嫌だった。それで洋楽の歌詞を読んで、「こんないい歌詞なんだ。日本語に置き換えてできないかなぁ」と考えるようになったんです。

──洋楽を聴き始めたきっかけは?

加藤 それはやっぱりビールトズです。14歳のときにビートルズを聴くようになって、日本語の歌詞カードを読むわけです。「レボリューション」の歌詞を読むと「世界を変えるのなら、まず自分を変えよう」とジョン・レノンは言うわけです。あぁ、なんていい歌詞なんだろうと(笑)。キンクスとかの歌詞もすごくよかったし、パンクやニューウェーヴもシャレが効いていたしね。

──バンド活動だけでなく、『ナック』(65年)や『茂みの中の欲望』(67年)といった知る人ぞ知る英国映画も日本に紹介してきました。

加藤 ピチカート・ファイヴの小西康陽くんも映画好きで、一緒に日本公開の後押しをしました。ビートルズが現われ、ブリティッシュ・インヴェイジョンとして英国のバンドは世界へと羽ばたいていったんだけど、その頃の英国映画はあまり評価されていなかったんです。人気バンドがサントラを手掛けたり、マンフレッド・マンのポール・ジョーンズが主演した『傷だらけのアイドル』(67年)とか、日本で劇場公開されてない面白い映画がまだまだいっぱいあるんです。せっかくなら、劇場で上映したいじゃないですか。80年代から90年代はライブハウスもそうだし、ミニシアターもいろいろあった。今はどんどん消えて、そういった映画を上映するのが難しくなっている。

──この32年間の時代の変化を加藤さんはどう感じていますか?

加藤 変わってなさそうで、ずいぶん変わったかな。でも、自分たちがやっていることはデビューの頃からほとんど変わっていない。32年のキャリアで、23枚のアルバムを出したってことは、ほぼほぼ毎年のようにアルバムをレコーディングしているってこと。自分たちが同じことをずっと繰り返していたら、いつの間にか浦島太郎みたいに世間のほうが変わってしまっていた。機材はアナログから最新のものに変わっていったけど、曲づくりしてライブするという自分たちまでは変わりようがないというか、変わった感を感じることができずにいる。ただ目に映るものだけが変わったように感じるんです。

──「新宿JAM」は取り壊されて姿を消しましたが、あの空間でライブをやっていた熱い想いはずっと消えずに加藤さんたちの心に残っているわけですね。

加藤 うん。でも、その想いもいつか忘れてしまう日が来ると思うんです。でも、似たようなシチュエーションに遭遇して、「あっ、これって新宿JAMで感じたのと同じ気持ちだ」と思う機会がまたあるかもしれない。それがなくなったら、バンドはもう止めたほうがいいよね。

──加藤さんの横にコータローさんがいつもギターを持って立っていることも大きい?

加藤 大きいですよ。自分ひとりでは決められないことも多いけれど、そんなときコータローは「それ、いいじゃん!」のひと言で済ませてくれる。そういう言葉を掛けてくれる存在は大切。俺はソロアーティストにはなれない。どのバンドも同じだと思う。ビートルズのビデオを観てたら、「ヘイ・ジュード」の歌詞をポール・マッカートニーが「オン・ユア・ショルダー」の部分は後で直すからって言っているんだけど、ジョン・レノンは「そこがいいんだよ」って。結局、ポールはそのままの歌詞で歌っているんです。そのビデオ観て、バンドってどこも同じなんだなぁと思った。

42歳のときにパニック障害になったことを打ち明ける加藤。苦節という言葉が似合わないバンドだが、その道程は決して平坦ではなかった。

■男の厄年がライフスタイルを見直すきっかけに

──映画の終盤、「新宿JAM」でのライブが終わった後、加藤さんは武道館ライブの打ち上げではお酒を呑まなかったことを明かしていましたが、そのことをお聞きしてもいいですか?

加藤 42歳の頃に、パニック障害になっちゃったんです。あぁ、男の厄年はこういう形で訪れるんだなって。2002年から2003年の頃。それで心療内科で薬をもらって、「お酒とは一緒に呑まないで」と言われていたこともあって、アルコールは口にしなくなったんです。酒を呑む元気もそのときはなかったしね。それまでは酒好きだったけど、アルコールを絶って、処方された薬をきちんと服用していたら、半年くらいで体調がよくなった。以前より声もよく出るようになった(笑)。

──ゼロ年代に、社会の息苦しさを感じていたクリエイターは多かったように思います。

加藤 今から振り返ると、2000年くらいから急激にCDが売れなくなってきたんだよね。音楽業界全体が混乱していた。パソコンの普及と関係しているのかもしれないけど、レコード会社や音楽出版社でもリストラが進み、事務所が次々と消えてしまった。すごく嫌な感じだった。要はCDが売れなくなったことに尽きるんだけど、そのことにプレッシャーを感じたミュージシャンもストレスを抱えていた。人間って、こんなふうに倒れるんだなって思ったよ。

──加藤さんは病気がきっかけで、それまでのライフスタイルを見直したわけですね。

加藤 病気のときは、本当つらかった。ライブハウスみたいな狭いところにいると、息苦しくなって、動悸がして、汗が出て……。それで、ライブが始まる20分前に精神安定剤呑んで、ライブが始まる直前まで、外に出て深呼吸して、「よし、行くか」とステージに上がって2時間騒ぎ、ライブを終えてまた外に出て深呼吸……とそんな感じでしたね。でも、俺は歌が歌えたから、まだ症状は軽いほうだった。重い人は人前に出れなくなるらしいからね。今でも地方ツアーのライブが終わったらホテルに直行し、すぐ寝るというストイックな生活を送っています。だいたいツアー中は、必ず喉が潰れるんです。耳鼻咽喉科に行くと「歌うよりもしゃべるほうがよくない」と言われて、ライブ後の打ち上げには行かないようになりました。地方都市だと数年に一度しかライブできないのに、打ち上げでしゃべりすぎて声が出ない状態でライブやったら、ファンに失礼だと思うようになった。1回1回のライブを大事にしていかないとね。

──そんなライブの積み重ねが、32年目のザ・コレクターズになったわけですね。最後に11月にリリースされたばかりのアルバム『YOUNG MAN ROCK』について、ひと言お願いします。

加藤 23枚目のアルバムです。品質保証はわたくし、ザ・コレクターズの加藤ひさしがしております。安心してお聴きください(笑)。

(取材・文=長野辰次、撮影=尾藤能暢)

『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』
製作・音楽/THE COLLECTORS
監督・編集・撮影/川口潤
主演/THE COLLECTORS(加藤ひさし、古市コータロー、山森“JEFF”正之、古沢“cozi”岳之 出演/會田茂一、岡村詩野、片寄明人、黒田マナブ、THE BAWDIES、真城めぐみ、峯田和伸、リリー・フランキー、The NUMBERS!ほか
配給/SPACE SHOWERS FILMS 11月23日(金)より新宿ピカデリーほかロードショー
C)2018 The Collectors Film Partners
http://thecollectors-film.com/

●加藤ひさし(かとう・ひさし)
1960年埼玉県生まれ。79年にモッズバンド「THE BIKE」を結成し、当時はボーカルとベースを担当。86年に「ザ・コレクターズ」を結成、ギターの古市コータローが参加。87年にアルバム『僕はコレクター』でメジャーデビュー。以降、ピチカート・ファイヴの小西康陽がプロデュースした『COLLECTORS NUMBER.5』、SALON MUSICの吉田仁がプロデュースした『UFO CLUV』、ロンドンでレコーディングした『Free』などのアルバムをコンスタントに発表してきた。ザ・コレクターズのほか、矢沢永吉ら多くのアーティストにも楽曲を提供している。2017年には日本武道館での初ライブを成功させた。18年11月7日に23枚目のアルバムとなる『YOUNG MAN ROCK』(日本コロムビア)がリリースされたばかり。

最終更新:2018/11/22 12:33
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