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週刊誌スクープ大賞

安倍首相、コロナ対策の失敗続き支持率最低で政権を放り出す… 9月には「辞任」がある!?

 話題の本、『武器としての「資本論」』を書いた政治学者の白井聡が、サン毎で、安倍政権批判をしている。

 人命より経済を優先する安倍政権への「根源的批判」である。書き出しは、

「安倍政権の新型コロナウィルス危機への対処が酷い。ただし、それは驚くには値しない。筆者は『この政権は最悪である』と発足当初から言い続けたが、予想通りになっているだけだ。

 憲政史上最低の政権が同時に最長の政権となったという事実に対する吟味は、重要な課題だ。この政権は戦後民主主義体制の劣化から生まれたが、それが長期間持続することによって、その劣化をさらに促進した。ゆえに、安倍政権期の世相に何が現れたのかをわれわれは十分に検討しなければならないだろう」

 日本を「世界で一番企業が活躍しやすい国」にすると何度も宣言しているから、政権の根本的なマインドは新自由主義であるとし、資本のやりたい放題できる環境を作り出してきたと白井は指摘する。

 その結果、植松聖や大久保愉一のような人間を輩出させたというのである。

「安倍時代の象徴と言えそうな津久井やまゆり園事件(16年7月)を起こした植松聖は、一見似ている宅間守(池田小事件)や加藤智大(秋葉原事件)といった大量殺人者とは自己の行為に対する認識において根本的に異なっていた。

 後者の面々は、自らの人生の敗北感・行き詰まりから凶行へと踏み出したが、自身の行為が社会的に容認されるべきものだという意識は微塵も感じられない。

 これに対して、植松は、衆議院議長に犯行を予告する手紙を書いているが、その内容は国家権力による犯行への支援を要請するものであり、植松の主観において障碍者虐殺は正義に適うものであったのだった」

 この同じ延長線上にあるのがALS嘱託殺人を起こした大久保愉一である。

「大久保愉一は、自身のツイッター上で老人を税金を食い荒らす存在として敵視する発言を繰り返していた。(中略)その正体は、生産性のためには自己犠牲も辞さないという資本主義の信仰である。生産性という神を崇拝する奴隷がここにいる。『魂の実質的包摂』はここまで来た」

 白井も、安倍政権は遠からず崩壊すると見ている。

「コロナ危機のジレンマは『経済か健康か』として現れ、防疫上最善の措置による経済的犠牲(犯罪や自死にまで至る深刻な犠牲)がどれほど昂進するか測り難いところにある。だが、パンデミック発生から半年余りが経過し、諸国の経験も蓄積された今、解決策の方向性はおおよそはっきりしてきたはずだ。PCR検査を中心的方法とした徹底的な検査により感染震源地を徹底的に把握して休業性等の手段も動員することで、虱潰し式に鎮圧するほかあるまい。

 その際、大規模な補償も必要となる。鎮圧に成功しない限り、本格的な社会活動の再開も不可能だ。『経済と防疫』のバランスを見いだし決断を下すのは政治の仕事であり、医療系専門家の仕事ではない。(中略)

 そうした中で、安倍晋三は国会開催の要求から逃げて自邸に引き籠っており、『アベノマスクを配る』と張り切っていた頃が懐かしく思われるほどだ。

 かくしてこの権力の崩壊の日が遠くないことは明瞭になってきた」

 小さなアベノマスクを普通のマスクに替えたのは、病状を隠すためだという情報もある。いつかかならず来る、その日が近付いていることは間違いない。

 ところで、テリー伊藤なる人物がいる。彼が、8月9日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS)に出て、爆弾発言をした。

 吉村洋文大阪府知事が、「ポンビドンヨードを含むうがい薬がコロナに効果がある」と発言をする1時間半前に、『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ)で、自分は知っていたというのである。

 テリーは「薬メーカーの株も買えるな」と一瞬思ったというのだ。事実、うがい薬のメーカーである塩野義製薬や明治ホールディングスの株は上がったそうだ。

『ミヤネ屋』の宮根誠司と吉村の仲がいいことは周知の事実で、その日も、同番組で会見を生中継している。

 もしこれが事実だったら、インサイダーの疑いが出て、吉村の知事としてのキャリアは途絶えることになる。当然、吉村はツイッターで、「テリー伊藤さん自身が、TVでの発言を撤回されています。インサイダー取引は犯罪です。そのような事実はありません。ネット上での吉村インサイダー疑惑なるものは、名誉毀損になりますので、ツイートやリツイートは削除されるようお願いします。一線を超えるものは、然るべき対応をとります」と、脅しともとれる呟きをしている。

 テリーは前言を本当に撤回したのか? 彼はジャーナリストではないが、単なるお笑い芸人でもない。テリーはなぜテレビで発言したのか。事実関係に間違いがあったのかを、スポーツ紙ではなく一般の新聞はなぜ追いかけないのか。

 事実であれば吉村の政治生命は終わるし、デマだったとすれば、テリーの経歴が終わる。

 現代は、イソジン吉村は、このところの発言で批判を浴び、このへんで挽回しようという焦りがあったとみている。

 もともとたいしたことのない人間を、ちょっとした思い付きのコロナ対策で、評価した人間も悪い。こんなもんなんだ吉村っていうのは。

 ポストでビートたけしが、こういっている。

「もしうがい薬が新型コロナに効くんなら、ピンサロやヘルスみたいなフーゾクは万々歳だと思うけどね。ああいう店じゃ、たいがいフロアにプーンと臭いが漂うくらい使ってるんでさ」

 吉村は、フーゾクへ行ったことがないのだろうか。

 映画俳優の渡哲也が亡くなった。享年78。

 渡といえば、映画(1966年)『愛と死の記録』で吉永小百合と共演したことが思い浮かぶ。

 それがきっかけで2人は愛し合うようになる。アサ芸で映画関係者がこう話している。

「渡は小百合のことを『うちのカミさん』と呼ぶようになったんですが、酔っ払うと『小百合はなんで俺のところに飛びこんできてくれないんだ!』と大荒れ。小百合に電話をして結婚を迫ったといいます」

 障害になったのは小百合の父親だった。父親は小百合に、「あんな男じゃ、お前が苦労するのは目に見えている」と猛反対したとアサ芸は書いているが、私は違う見方をしている。

 挫折を繰り返してきた父親にとって、小百合はカネを生む宝物だった。せっかくここまで育ててきたのに、男にとられるのが許せなかったのだ。

 松坂慶子と父親との関係もそうだった。カネのない男と結婚しようという娘を、父親は許せなかった。以来、長い間、泥沼の骨肉の争いが続いた。

 小百合が岡田なる年寄りと結婚したのも、父親への復讐であった。

 渡の弟の渡瀬恒彦は女優の大原麗子と結婚し、離婚している。

 渡も、小百合と結婚しても、同じような道を辿ったかもしれない。だが、私でなければ、渡と結婚してくれと、同世代のサユリストは思った。

 YouTubeで、石原プロの何周年かのお祝いの動画を見たことがある(まだ載っているのでは)。

 左側のピアノの前に小百合がいて、横に渡りが立っている。

 石原裕次郎が、2人に何か声を掛ける。渡が照れくさそうに苦笑いする。小百合はにこやかに下を向く。「おまえたち似合いだったのにな」とでもいったのか。

 渡のヒット曲、『くちなしの花』を、小百合がピアノを弾き、渡が歌う。2人の過去を知っている者にとっては、涙なくしては見られないお宝映像である。

 渡が結婚したのは29歳の時だった。ネットの女性自身(8月18日)で、ベテランの映画関係者がこう話している。

――「俊子さんは大手鉄鋼会社の役員の令嬢で、青山学院大学では渡さんの1年後輩。渡さんの一目ぼれだったそうです。しかし結婚にこぎつけるまでは何年もかかりました。当時の渡さんには大勢の女性ファンがいたため、なかなか公表することができなかったのです。ハワイで2人きりの結婚式を挙げたのは’71年3月、渡さんが29歳のときです」

渡さんと俊子さんの結婚生活は49年と5カ月。しかしその間に、渡さんは幾度も病魔に襲われた。48年前の’72年7月には、京都でテレビドラマ撮影中に高熱を出して病院に運ばれた。

「その後、俊子さんの伯父が院長を務めていた東京都内の病院に転院します。当時の俊子さんは妊娠中でしたが、病院食が苦手な渡さんのために、自宅で食事を作っては、運んでいたのです。肉体的・精神的負担が大きかったためか、俊子さんは何度も流産の危機に襲われました」(前出・映画関係者)

 ’74年に放映されたNHK大河ドラマ『勝海舟』では主演だった渡さんだが、肋膜炎のため途中で降板。さらに’91年には、直腸がんに襲われる。

 その大手術後、渡さんは妻・俊子さんへの感謝の気持ちを雑誌のインタビューで語っている。

《女房にも助けられました。(6月)二十日に手術して二十八日抜糸があったんですが、直腸をとっていますから猛烈に痛むのです。看護というのは患者と一緒に痛がっていたら絶対にできないんですね。私が痛がっていることは当然わかっている。その上で、一つ次元の高いところで、ある意味では冷静に患者を見なければいけない》(『文藝春秋』’92年2月号)

 実は俊子さんは、渡さんの入院中に看護法を看護師から直接指導してもらっていたという――

 渡の人生はまさに病魔との闘いの日々でもあった。

 深作欣二の名作『仁義なき戦い』も、当初は渡が主演だった。だが体調不良を理由に断ったといわれる。

 決してうまい俳優ではなかった。渡の代表作である『仁義の墓場』は病み上がりだったために、「その異様な迫力が、高い評価を得ることとなる」(アサ芸)のだが、公開後には膠原病で入院することになる。

 スクリーンやテレビドラマの上ではカッコいい俳優が、実は多くの病を抱えているということはよくある。だが渡は半端ではなかった。

 尊敬する裕次郎に先立たれ、石原プロを守り、病と闘い、カッコイイ男を演じた。

 お疲れ様というしかない。

 吉永小百合は追悼メッセージを14日に発表した。

「夏の海が大好きだった渡さんは、泳いで泳いで恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか。大きな病気を何度も乗り越えてこられたのに残念です。ご冥福を心からお祈りいたします」

 どんな思いで、この文章を小百合は書いたのだろう。

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