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妻の怨念と夫の観念を描くマンガ『妻が口をきいてくれません』圧巻の“胸クソ”読後感

文=稲田豊史(いなだ・とよし)

──サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が原作を務めるマンガ『ぼくたちの離婚』(集英社)が、3月18日に刊行される。これを記念して「月刊誌サイゾー」で連載中の「稲田豊史のオトメゴコロ乱読修行」から、「結婚・離婚」にまつわるテーマを選りすぐって無料公開します!

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『妻が口をきいてくれません』(著:野原広子/集英社)

「胸糞が悪い」。コミックエッセイ『妻が口をきいてくれません』(集英社)の感想を一言で言うと、こうなる。単行本の帯キャッチは「離婚よりも、生き地獄」。なお、こちとら離婚経験のある40代男性だ(多くは語るまい)。

 本作は、夫視点の章→妻視点の章→事の顛末章の順に、三部構成で展開する。

 夫視点では、専業主婦の妻・美咲が突然口をきいてくれなくなって困惑する夫・誠の日々が綴られる。いくら理由を聞いても答えてくれず、コミュニケーションは2人の子どもを通してのみ。どんなに機嫌をとっても無視され、顔を見てもくれない。そのまま5年以上が経過し、限界に達した誠が離婚を切り出すところで、夫視点が終わる。

 続く妻視点は、種明かしの章。子どもが生まれて以降の誠の言動が、無神経・無自覚に美咲の尊厳を傷つけていたことが、美咲の鬼気迫る独白によって細かく述懐される。その内容は、巷のツイッター専業主婦アカウントが日々告発している夫の無神経発言、ほぼそのまま。「いったい今日なにしてたの? 一日家にいるんだからいろいろできるでしょ」「ただ段取りが悪いだけだと思うよ」──。そういう夫たちの胸の内は決まって、「俺が働いて養ってるんだから、それより“ずっと簡単な”家のことぐらい、ちゃんとやれよ」だ。

 美咲にしてみれば、精いっぱい主婦業を頑張っているのに、誠からは労いどころか批判とダメ出ししかこない。殺意にも近い恨みと失望が蓄積されてゆくが、離婚したところで子どもを育てる経済力はない。だから美咲は、子どもたちが成長して養う必要がなくなる“その日”まで、「無」になって役割をこなそうと決意する。

 美咲は独白する。「“その日”のために準備もしている。新しい服も買わずにお金も貯めてる」と。

 こうなったら、男が原因に気づいて「これから態度を改めるからごめん」と妻に謝罪したところで無駄だ。女にとっては、目の前でしゃあしゃあと宣言された清々しい決意表明など、「このクソ男が今まで私にどんな酷い仕打ちを自分にしてきたか」の記憶によって、簡単にかき消されてしまう。

 女は「私があなたの言動で嫌だった」ことを、どんなに些末なことでも正確に記憶している。何年も、何十年も。そして、ある怒りが沸き起こった瞬間、過去に同種の怒りが生じたエピソードを一瞬で思い出し、当時の感情が無劣化で脳内再生される。夫婦喧嘩において、揉めている案件とはまったく無関係の過去エピソードを妻が突然持ち出して夫が責められるのは、そういうわけだ。

 と、この程度は巷の「男女脳」本によく書いてある。問題は、顛末章の結末だ(作者の野原広子が女性であることは、くれぐれも念頭に置くべし)。

 誠は「美咲がずっと離婚を切り出さなかったのは、子どもたちが美咲に離婚しないでと懇願したためであり、愛は5年前時点でとっくに冷めていた」と知って激しく絶望。泥酔し、「オレを捨てないでくれよぉ」と情けなく泣き叫ぶ。そして美咲の体に下僕のようにすがりつき、「ごめんよお オレが悪かったよぉ 愛してるよお… だからオレを… 捨てないでくれよぉーーーーー」と惨めに嗚咽し、それを娘や近所の人たちに見られる。

 すると美咲は、醜態を晒す誠に鬼の形相で怒りながらも、「私もごめん」と返し、翌日から平穏な日々が戻ってくるのだ。

 なぜ美咲は態度を軟化させたのか? それは、美咲が「誠が自分と同じ程度の苦痛を長く味わった」ことを誠の醜態から判断し、溜飲を下げたからだ。誠が「これから態度を改める」と約束したからではない。

 女が男に対する怒りを収めることがあるとすれば、男が「自分と同程度に何かを失った」と目視確認できたときだけだ。共働き夫婦が子どもを作る際、妻だけが会社を辞めることが夫婦納得ずくの結論だったとしても、妻の夫への憎しみは一生残る。なぜなら、夫は「何も失っていない」からだ。

 妻が夫に育休をとってほしいのは、自分の育児負担比率を下げたいからではない。夫にも自分と同じように「やりたい仕事が思うようにできない」不自由さを味わい、辛酸をなめてほしいからだ。だからこそ、夫の「俺が金を払って家事代行に頼めば済む話でしょ?」の提案に、妻は怒り狂う。

 女は、パートナーの男も自分と同じように傷つくことで、自分に共感してほしい。自分と同じように何かを損なってほしい。なぜって? 女は生まれた瞬間からずっと、身体的にも(月経による体調変動という不自由)、社会的にも(男女賃金格差の理不尽)、デフォルトで「損なわされて」いるからだ。女が男に対し、まるで息をするように「補償」を求め続けるのは仕方がない。

 ただし、男が土下座して女が溜飲を下げたからといって、夫婦の関係が元に戻るわけではない。喩えるなら、「最愛の彼を殺した殺人犯が、両手足を切り落とされる拷問刑に処されれば、彼女の溜飲は下がるかもしれないが、殺人犯の罪が消えるわけでも、恋人が生き返るわけでもない」。

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