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『ラップスタア誕生』唯一の女性ファイナリストが吐露した壮絶な人生とラッパーとしてのアイデンティティ

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以下、写真/cherry chill will.

 日本で一番ホットな若手ラッパーを選抜するオーディション番組『ラップスタア誕生』にて、ひときわセンセーショナルなスポットライトを浴びていたのが、この麻凛亜女だ。女性の挑戦者がファイナリストとして選ばれることが番組にとっても初めてであり、それに加えて、彼女がシングルマザーであることも手伝って、麻凛亜女というラッパーはよりドラマチックなストーリーとともに紹介された。ただ、そのバックグラウンドはテレビ用に味付けされたものではなく、彼女は実際に壮絶な生い立ちを経験している。

麻凛亜女 母親がフィリピン人なんですけど、親戚に不幸があってたまたまフィリピンに滞在していたときに、ちょうど(私が)生まれちゃって。そのあと、母親だけ日本に帰って、産まれてすぐにネグレクトされちゃったんです。もちろん、私はまだしゃべることができないくらいの月齢だったんですけど、「銀行に行ってくるね」って言って、家から去っていった母親の様子をはっきり覚えている。そのあと、1歳になるかならないかくらいのときに、父親が「娘を返せ」ってフィリピンまで迎えに来たんです。

 日本での生活が始まるも、父親のDVが原因で両親は離婚。母親とともに茅ヶ崎へと住居を移した麻凛亜女が居場所を見つけたのは、ヒップホップ・ミュージックだった。

麻凛亜女 J-POPの歌詞には何も共感できなかったんです。「ハッピーで元気にやっていこう」みたいな曲を聴いても、「そんな世界、どこにあんの?」と思っていて。逆に、ヒップホップのリリックでは「お父さんが出ていった」とか「母親が殴られた」とか、自分に近い世界観を歌っているなと思って。「自分と同じ経験をしてきた人がいるんだ!」と勇気をもらいましたね。

 離婚した父親とは週末にだけ会う関係だったが、ストイックな父親は、麻凛亜女を男の子のように育てたという。「スポーツ・ブランドしか着ることができなくて、ピンクは着ちゃダメ。父親と会うときだけ、気を遣って髪を切っていたこともあった」と語る彼女は、当時、「自分がどうしたいのかわからなくなった」と話す。そこで、彼女は叔母のいるカリフォルニアへと住まいを移す。中学へと進学したばかりの時期だった。

麻凛亜女 アメリカの学校にはドレッドヘアの子もいるし、タトゥーが入っている先生もいる。誰もがみんな、そのことを否定しないんです。日本にいると、生きているだけで否定されていて、それがすごく嫌だった。

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 高校生になる頃、麻凛亜女は帰国。アメリカでの滞在を経て「自由を持って帰ってこれた」と語る彼女は、だんだんと横浜の石川町や伊勢崎町を拠点にDJ活動を始めるのだった。そんな中、彼女は若くして母親になる。

麻凛亜女 21歳くらいのときに出産して……そこらへんの記憶は曖昧なんです。当時は、人生どん底ぐらいの日々を送っていました。

 息子の父親である男性について、「当時は警察にお世話になるくらいのレベルの人だった。働かないし、シャブもやって暴力もふるう。何回も殺されかけてるし、彼は最終的に私と息子を殺そうとして捕まったんです」と麻凛亜女は思い返す。それが両親の不和を見て育った自分と同じ目に遭わせたくないという一心で、家を出る決意につながる。息子が1歳になる頃だった。

麻凛亜女 このまま家にいても、旦那に殺されるか自分が病んで自殺するか、どっちにしろ死ぬって思ったんです。息子には悪いと思ったけど、夫とは離れる選択をしました。

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