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高須クリニックも煽った手術ブームは厳しく追及すべき! 日本の男が恥ずかしがる「包茎」の社会学

高須クリニックも煽った手術ブームは厳しく追及すべき! 日本の男が恥ずかしがる「包茎」の社会学の画像1
上野クリニックのホームページ

 かつて、「ひとつウエノ男」というフレーズで知られる上野クリニックをはじめ、包茎手術を勧める広告が、男性向け雑誌には定番のものとして大量に掲載されていた。

 しかし、仮性包茎は日本人男性の過半数を占めている。つまり、「多数派なのに恥ずかしい」という奇妙な感覚がある――。ここに注目し、包茎をめぐる江戸後期から今日に至るまでの語りの歴史を総括した『日本の包茎 男の体の200年史』(筑摩書房)という本が刊行された。

 江戸時代から包茎は恥ずかしいという感覚があったことが文献からは確認できるが、仮性包茎の手術が推奨されるようになるのは戦後から1960年代にかけてだ。そして、必要とされる理由として当初の「病気になりやすい」に加え、「ペニスが短小・早漏になりやすい」「精神的不調になりやすい」といったものに比重が置かれるようになり、80年代には仮性包茎の恥の感覚は「他者にバカにされる恐怖」とイコールとなる。

 その背景には何があったのか。著者の澁谷知美氏(東京経済大学准教授)に訊いた。

高須クリニックも煽った手術ブームは厳しく追及すべき! 日本の男が恥ずかしがる「包茎」の社会学の画像2
澁谷知美著『日本の包茎 男の体の200年史』(筑摩書房)

日本人男性の“陰茎ナショナリズム”

――澁谷先生の『日本の包茎』では、江戸時代の文献でも包茎への偏見が見られ、1890年代には「かわかぶり」は恥になっていたことを指摘して、こうした感覚を「土着の恥ずかしさ」と命名しています。その「土着の恥ずかしさ」は何に起因するとお考えですか?

澁谷 男たちの間で連綿と伝承されている感覚、という以上のことはわかりませんでした。というのも、知識階層を除いて、1940年代以前に農村に生まれて農村で一生を終えるような市井の人々の感情は文字にされにくかったからです。民俗学者が書きとめるのでもない限り、文献に残ることはほぼありません。ただ、解剖学者・足立文太郎が医学調査に基づいて書いた1899年の論文では、多くの男性がわざと皮をたくし上げて包茎でないように見せていたことが指摘されています。それは、男たちの間に「とにかく包茎は恥ずかしい」という認識があったからでしょう。

――子どものときは完全に皮をかぶっていて、大人になると剥けてきますよね。「子どもみたい」という感覚が「恥ずかしい」につながっていると思っていたんですが、そういう議論はないですか?

澁谷 いくつかは「子どもみたいだから恥を感じるのであろう」という記述がありましたが、わずかです。医学論文などでは、恥の感覚の存在が指摘されているだけで、なぜ恥とされるのか、それ以上の深掘りはあまりされていません。たとえ「子どもみたいだから包茎は恥ずかしい」という指摘が多くあったとして、それは包茎の恥ずかしさを十分に説明したことにはならないと考えます。「では、なぜ『子どもみたい』だと恥ずかしいのか」と、問いがさかのぼっていくだけだからです。なのでこの本では、恥ずかしさの中身を問うよりは、その恥ずかしさがどのように作りあげられていったのか、という視点から歴史をたどっています。。

――海外での包茎の扱いと比べると、日本人は仮性包茎を気にしている点、さらに戦後になると仮性包茎の手術がメディア上でさかんに推奨された点で非常に独特だという指摘もありました。

澁谷 そうですね。そもそも海外の医学辞典には「仮性包茎」に相当する状態は記載されていません。宗教的にはともかく、医学的に問題になるのはあくまで「真性包茎」だけです。

 ヨーロッパとアメリカを例に考えてみましょう。アメリカは新生児の包皮切除がさかんな国です。新生児が病院で生まれたら、病院を出る前に手術をするケースが多い。しかし、70年代頃から疑問が投げかけられ、その後、否定的な意見が目立つようになって、近年は新生児の包皮切除は減少傾向にあります。

 ヨーロッパではイギリスを除き、新生児の包皮切除の習慣は根づきませんでした。そのイギリスも、かつては新生児の包皮切除が保険適用の対象でしたが、50年に適用外になっています。現在のヨーロッパでは基本的に「ナチュラルなペニスのほうがいい」という考えが主流と見てよいでしょう。

――日本人男性は突出して仮性包茎を気にしていると。近代日本では「包茎の度合いが文明の度合いを示す」という議論が登場し、日本と中国の成人男性の包茎率を比べて「中国は遅れている」と結論づけたり、戦後になるとアメリカ人と比較して劣等感を抱きながらも「膨張率や堅さでは勝っている」という“陰茎ナショナリズム”が見られる、という指摘が著書にありました。

澁谷 韓国は日本とはまた別の事情で包茎手術を受ける人が多いので、「日本人男性だけが仮性包茎を気にしている」と断言してしまうと語弊があるのですが、日本人の間に“陰茎ナショナリズム”があるのはその通りです。外国人のペニスと比較しながら、日本人のペニスになんとか優位性を見いだそうとする医師や知識人の発言がありました。

「医者」が扇動した仮性包茎手術ビズ

――『日本の包茎』を読むと、日本人男性がペニスにナショナル・アイデンティティを見いだしているだけでなく、個人のアイデンティティにも暗い影を落としていることが印象的でした。包茎をみじめに感じたり、手術の結果が思ったようにいかなかったときにとんでもなく落ち込んでいたりする人がこんなにもいたのか、と。

澁谷 研究を始めてからも「仮性包茎は多数派だし、男性たちはそれほど気にしていないんじゃないか? 雑誌の言うことなんか真に受けていないんじゃないか?」と思っていたんですが、違いました。それがわかったのが、「童貞」と「包茎」に対する反応の違いです。

 研究者は「何を研究してますか?」とよく訊かれます。以前、『日本の童貞』という本を書いているときは「童貞です」と答えていました。すると、相手が中年以上の男性の場合、彼らの少なからずが「僕も童貞です」とヘラヘラ笑いながら返してきました。「またまた冗談を」などとツッこんでもらえることを期待していたのでしょう。彼らが童貞を「面白いもの」と見なしていることがわかりました。ところが、「包茎の研究をしています」と答えるようになると、男性はみんな下を向いた。それで「あ、『面白いもの』にできないくらい気にしているんだ」と理解しました。

――包茎の議論と童貞の議論では、何が違いますか?

澁谷 決定的に違うのは、包茎の議論のほうが医者の存在感がずっと大きいことです。確かに童貞に関する雑誌記事にも、「20歳までにセックスしないと身体に良くない」などとエセ医学めいたことが書かれていました。が、包茎の記事には、その比でないくらい頻繁に美容整形外科医が登場し、「中立的な医学知識」に見えることをレクチャーしています。彼らは、「皮をかぶっていると垢が溜まりやすいので、手術をしたほうがよい」などと言います。皮をかぶっていると不潔になりがちなのは事実ですが、包皮をむいて洗えば問題ないことが泌尿器科医によって指摘されています。が、そうした知識がないまま、美容整形外科医のセリフを読んだら、それはそちらを信じてしまうだろうと。

――仮性包茎に手術を勧める言説は戦前まではほぼなかったのが、60年代には性器整形ブームがあり、80年代になると高須クリニックをはじめとする美容整形医院がデートマニュアルを提供していた男性情報誌「ホットドッグ・プレス」(講談社)やアダルト雑誌「スコラ」(スコラ)などに大量に記事広告を作らせて、手術ビジネスが拡大していったと。

澁谷 こうしたタイアップ記事で包茎手術をアピールしていた医師は、ほぼ美容整形外科医でした。医学的に本当に必要な手術であれば、保険が適用されます。が、美容整形外科医は、手術が不要な状態までも手術が必要であるかのように見せ、自由診療の名のもとで患者から高額なお金をとっていました。

 当時の読者も、冷静に考えれば、美容整形外科医の語りは服やクルマの広告と同じで、広告主が「ウチの商品、買ってね」と言っているだけだとわかったはずです。でも、記事はそうは見抜けない構造になっています。90年代の「スコラ」の記事は、包茎をディスる女性たちの座談会、男性による「包茎のせいで悲惨な目にあった」という失敗談、手術をすすめる美容整形外科医のインタビューの3要素で構成されていることが多かった。座談会や失敗談で読者を不安にさせた上で、「包茎を治すならコチラ」と救いの手を差しのべる構造です。普通の記事にしか見えないので、広告だと理解するのは至難のわざです。

「女のコが好きなチンチンはこれだ!」

――美容整形業界が「儲かるから」という理由で煽っていた媒体は、デートマニュアルを提供していた「ホットドッグ・プレス」など、読者に対する「教える」ポジションを取っていたものですよね。80~90年代に消費や恋愛至上主義を焚きつけ、「こうじゃないとモテない」と読者に劣等感を植えつけ、「こうすれば脱出できる」というソリューションとしてファッションや包茎手術という商品をセットで売りつけていた。

澁谷 「クリスマスには彼女と過ごそう」みたいな特集がはやったのと同じ時期ですよね。「セット売りだった」という指摘はその通りで、それは誌面づくりからわかります。当時の記事には、「女のコが好きなファッションはこれだ!」「好きなデートはこれだ!」などのテーマで、多数の女性の顔写真を並べて彼女たちのコメントを紹介するものがあります。それとまったく同じ手法で「女のコが好きなチンチンはこれだ!」というテーマのもと、「こんなチンチンが好き」「包茎はきらい」などと女性たちに言わせている記事がありました。

――(笑)。「フィクションとしての女性の目」(社会学者・須長史生)を使った手法ですね。

澁谷 洋服を売るのと同じ感覚で手術も売られていたんだろう、と。ただ、洋服は取り替えが利くけど、手術は人体に関わることですから、そうした商売の仕方をしていたことについては厳しく追及しないといけない。

――記事広告を出す側は医者にしても編集部にしても誰も本気で「手術が必要だ」とは思っておらず、ただ「儲かるから」やっていただけなのに、多くの少年・青年が踊らされて、中には人生を思い悩むレベルで深刻に受けとめる人まで出てしまいました。

澁谷 ナチスみたいですよね。「個々人が上の命令に従って淡々と目の前の仕事をこなしていたことが、ホロコーストを引き起こした」といわれています。おそらく包茎手術を勧める記事を作っていた編集者やライターも、上の命令に従って淡々と作業していたのかもしれません。だからといってまったく容認できるものではないですが、個人が日常業務をこなしたあげく、いつの間にか陰惨な事件に加担していた点では似ていると思っています。

高須院長が「過去の商品になった」と語る

――擬似科学的な理屈やコンプレックスを植えつけるやり方で仮性包茎の手術をさんざん煽ってきた美容整形業界は、90年代になると徐々に「心の包茎」から卒業するために手術するのだという、本当は医学的には必要のない手術を勧めるためのロジックまで持ち出すようになった、と著書にありました。そのように行くところまで行った感があるものが台頭してくるという指摘も興味深かったです。

澁谷 ごまかしきれなかったんだと思います。時代が下ると、徐々に「本当に手術は必要なのか?」という声が出てきていましたから。手術を勧める記事も、注意深く読めば、「仮性包茎も絶対に手術を」と断言しているわけではないことに気づきます。断言すると医学的に問題があるので。その代わり、「必ずしも必要ないけど、手術をしないとこういうデメリットがある」と細かく書き連ねて手術に誘導しています。が、その手法も通用しなくなってきた。それで、「手術をしなくても肉体的には問題ない。心の手術だ」と言うしかなくなったのだと見ています。

――そして、2000年代以降は包茎手術ビジネスに否定的な言説が増え、同時に包茎手術が下火になっていくと。この背景には、記事広告を使った悪質な商法が問題視された以外に何か理由がありますか?

澁谷 単に産業としての力が落ちていったのではないでしょうか。80年代初めから90年代半ばまでのブームが落ち着き、悪徳商法の告発が始まって、集客が難しくなってきた。90年代半ば以降、目に見えてタイアップ記事が雑誌に出稿されなくなっています。広告を出す場所がネットに移ったのかもしれませんが、99年時点ではまだネットの利用率は2割程度なので、それだけが理由とも思えません。

 13年には「包茎(手術)は過去の商品になってしまったな」と高須克弥氏が言っています。その頃には儲からなくなっていたのでしょう。

母親に丸投げされた幼児包茎の問題

――子どもの包茎の問題を扱う本を別途、準備されていると「あとがき」にありました。

澁谷 少しずつ進めています。いったん「母たちの包茎戦争」というタイトルで論文にまとめました。

 青少年以上の包茎の問題が男性の自意識とセックスメディアの話だったのに対して、小児包茎の問題は母親役割と育児メディアの話です。母親に丸投げされている育児業のひとつに「男児の包茎のケア」がありますが、母親はペニスを持ったことがないから、どうしていいかわからない。それで、育児メディアに頼るのですが、てんでバラバラなことが書かれている。育児雑誌の「ひよこクラブ」(ベネッセコーポレーション)の93年の創刊号から16年の号までを調査しましたが、子どものオチンチンについて「皮をむいて洗いましょう」と書いた記事が出た数カ月後に、「皮をむいてまで洗う必要はありません」という記事が出ている。困って夫に相談すると、「そんなの、ほっとけば大丈夫」としか言われない。そうしてますます母親は悩んでいく。

 小児包茎をめぐる父親の態度にせよ、統一した見解を示せない医学界にせよ、ベースには男性の体に対する男性自身の無関心がある気がしてなりません。無関心だから、きちんとしたアドバイスができず、研究も進まない。青少年以上の包茎も同じです。美容整形外科医につけこまれる程度には、それに対抗しうる正確な情報を発信する医師が少ない。年齢問わず、ペニスの悩みを持つ男性は多いのだから、真面目な医師には積極的にメッセージを発信してほしい。本書から、そうした問題意識も読み取っていただければと思います。

●プロフィール
澁谷知美(しぶや・ともみ)
1972年、大阪市生まれ。東京大学大学院教育学研究科で教育社会学を専攻。現在、東京経済大学全学共通教育センター准教授。ジェンダーと男性のセクシュアリティの歴史を研究している。著書に『日本の童貞』(河出文庫)、『平成オトコ塾 悩める男子のための全6章』(筑摩書房)、『立身出世と下半身 男子学生の性的身体の管理の歴史』(洛北出版)など。

●ライターのプロフィール
飯田一史(いいだ・いちし)
マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャーや出版産業、子どもの本について取材&調査して解説・分析。単著に『いま、子どもの本が売れる理由』(筑摩選書)、『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの?』(星海社新書)、『ウェブ小説の衝撃』(筑摩書房)など。「Yahoo!個人」「リアルサウンドブック」「現代ビジネス」「新文化」などに寄稿。単行本の聞き書き構成やコンサル業も。

マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャーや出版産業、子どもの本について取材&調査して解説・分析。単著『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの?』(星海社新書)、『ウェブ小説の衝撃』(筑摩書房)など。「Yahoo!個人」「リアルサウンドブック」「現代ビジネス」「新文化」などに寄稿。単行本の聞き書き構成やコンサル業も。

いいだいちし

最終更新:2021/03/11 18:00
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