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大河ドラマの「西郷隆盛」は虚像だらけ? 薩摩弁、ファッション、人間性…史実とフィクションのギャップを紐解く

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

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西郷隆盛を演じる、博多華丸(@nhk_seitenより)

『青天を衝け』、次回の放送から西郷隆盛が登場するようですね。その西郷を演じるのが、博多弁がトレードマークの博多華丸さんですから、「(華丸さんが)薩摩弁をしゃべってる!」と、ネットでは話題となりました。

 ちなみに……、大河ドラマふくむ時代劇において、薩摩武士の薩摩弁をどの程度認めたらよいかには、本当に色々な意見があると思います。

 史実では薩摩藩第八代藩主・島津重豪(1745-1833)が定めた方針で、薩摩武士にはすでに「薩摩弁の使用禁止」が言い渡されているんですね。「方言使用禁止!」とはびっくりするかもしれませんが、江戸に仕事で出たとき、方言ではコミュニケーションが取れない可能性が本当にあったし、そういう田舎から出てきた武士を江戸の民衆は影で笑ったものです。方言問題の改善は、薩摩武士の沽券に関わる大問題だったのでした。

 なお、薩摩藩は日本の他地域とは異なり、人口の4分の1もの層が武士か、その関係者だったのです。ちなみにこの武士が人口に占める多さは、全国平均の約5倍でした。ですから、島津重豪の指す薩摩武士も、藩で重職を勤め、江戸と薩摩を行き来する役職つきの上流武士くらいの意味なのでしょうけれど……。

 ということで、武士階級の最底辺に生まれた西郷隆盛は、史実でいえば当初は薩摩弁、江戸でも仕事をこなすようになってからは江戸弁で、ときどきアクセントに方言っぽいのが混じるくらいだったのではないかなぁ……などと筆者は考えています。また、島津久光も、薩摩で生まれ、育った人ではあったでしょうが、どこでも薩摩弁を喋るということは史実ではなかったと思われます。

 しかし、久光は良いにしても、時代モノの創作物における西郷のキャラは確実に仕上がってしまっていて、標準語で話す西郷隆盛なんて絶対に視聴者が受け入れてくれないのですよね。西郷隆盛はいつの間にか作られてしまった、ウソ設定が実像を覆い隠すほどになってしまっている、文字通り“伝説の男”なのでした。

 たとえば、本作『青天~』での西郷は、庶民的なカスリの着物の上に羽織を着ているというビジュアルです。これは我々が西郷に抱きがちな「ざっくばらんな庶民的なルックス」のイメージを満たすわけですが、史実ではまるで逆。

 勝海舟が、明治になってから作家の徳富蘇峰に語った言葉によると、西郷の着こなしは「まるで大藩の御家老と云うような感じ」だったと評されているのですね。

「其の容貌(=西郷のルックス)、態度は実に立派なもので、押し出しもよく、着物などもちゃんと着」ていた。江戸生まれ江戸育ちで旗本出身の勝海舟の目に、「大藩の御家老」に見えたというのですから、只者ではありません。

 ご存知のとおり、西郷のもとの身分は武士としては最底辺の生まれです。才能はありましたが、上流階級と交わっていくには不十分なレベルの教養しかなかった西郷を、彼のかつての主君・島津斉彬は惜しみ、西郷に篤姫の輿入れの準備を担当させ、働きながら学ぶということをさせました。その結果が西郷の「御家老」にも見えるような身のこなし、衣服選びのセンス、そして贅沢ごのみという嗜好に結実していったのです。

 また、勝海舟が語ったような、高貴なルックスの西郷というのも、われわれの中の庶民的な彼のイメージとはずいぶん異なると思います。しかし、これも史実でいうと、若い頃の西郷の身長は180センチほどあり、痩せてスマートなモデルのような風采だったようですね。

 西郷隆盛は写真ぎらいですから、肖像写真の類は1枚もなく、肖像画も没後、想像で描かれたものばかり。それでも若き日の西郷が自分の外見に自信があったことは事実のようです。

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西郷隆盛像(上野恩賜公園、東京都台東区)

 そう聞くと驚くのは、上野公園の西郷隆盛像で見る、犬を連れた田舎っぽい太めのおじさんのイメージが現在ではあまりに強いからでしょう。あの像の除幕式は明治31年12月18日のこと。鹿児島から東京まで式に呼ばれてやってきた西郷未亡人・糸子は、像が幕の下から現れた瞬間、「うちの人はあんな風ではなかった」、つまり「似ていない」と失望の声を漏らしました。糸子いわく、西郷は歌舞伎俳優の中村雁治郎(初代)似だったとか。

 それが事実なら、なぜまったく似ていない西郷像が作られたのでしょう。「西南戦争を起こした西郷に対する明治政府の“報復”」という噂もありますが、これはさすがに話を盛りすぎです。世間が望む“西郷どん”のキャラが、ワガママなナルシストではなく、身も心も丸い、包容力のある優しいおじさんであって欲しかった、という願望の反映だと筆者には思われます。

 史実の西郷がナルシスト? と混乱する人もいるでしょうが、彼は他罰的なパーソナリティの持ち主で、島流しのせいで肥満してしまった! 自分の美貌が台無しになった!と不満を漏らす手紙を書いていますね。

 不幸にして西郷最愛の主君・島津斉彬が早死し、あとを継いだ(斉彬の弟)久光との折り合いが悪く、西郷は2回も島流しの刑にあいました。最初の流刑地は大島というところだったのですが、ここから西郷が万延元年(1860年)2月28日付で大久保利通ら四人の“同志”に向けておくった手紙には興味深い一節が含まれます。

 西郷はなんと自分を「豚」呼ばわりして卑下しているのです。

「此の一カ年の間、豚同様にて罷り在り候故、何卒姿を替え走り出でたく」……つまり、流刑になってからここ1年の間、なにもすることがないので食っちゃ寝して豚みたいに過ごしていたら、本当に豚のように肥え太ってしまったので、なんとか豚は卒業して流刑地の島から逃げ出したい、などと意訳できると思います。ちなみに西郷はこの後、島を出ますが、ダイエットに成功することは生涯、ありませんでした。

 さらにもう一度、島津久光の怒りを買い、今度は沖永良部島に流刑になりますが、周囲のとりなしで政治の世界に復帰することができました。もともとは、島津久光を対面で「地ゴロ(薩摩弁で、田舎者と卑しんでいう言葉)」呼ばわりするほどの“問題人物”だった西郷もようやく、カドが取れ、見た目も中身も丸くなってきたかな……というあたりが、『青天~』に登場する西郷隆盛の“前説”なのです。

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