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渋沢栄一の洋装は合理的な判断!?  財政問題に悩まされた徳川昭武一行の欧州巡遊

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

渋沢栄一の洋装は合理的な判断!?  財政問題に悩まされた徳川昭武一行の欧州巡遊の画像1
洋装になった渋沢栄一(吉沢亮)

 『青天を衝け』、先週の第22回から「パリ編」が始まりました。想像以上にフランス・パリでのシーンが多く、新鮮でした。次回以降は、渋沢栄一たちがついにマゲを落とし、洋服も着るようになっていくようですが、これも徳川昭武一行を悩ませていた財政問題が深く影響していました。異国の地で和装を貫くより、洋装に切り替えるほうがむしろ格安だったからですね。

 また、ドラマ内では徳川昭武たちは超一流ホテル「グランドホテル(仏語の発音ではグランドテル)」を早々と引き払い、賃貸物件に移住することになりました。

 史実の昭武が実際に暮らしたのは、ロシア貴族がパリに所有していた地上6階建て、屋上庭園つきのお屋敷で、家賃はなんと年額4万フラン。1万フラン≒現在の数千万円に相当するので、1カ月あたり1000万円かそれ以上もした計算です。しかし、驚いてはいけません。例の「グランドホテル」で一行は2カ月過ごしただけなのに、その宿泊代は総額7万フランを超えていましたから。会計係の渋沢が、いかに昭武が外国の王侯貴族たちから見くびられないように心がけていたかは、そのお金の使い方からもわかりますが、いささか張り切りすぎた印象はありますね。

 徳川昭武がナポレオン三世とウジェニー皇后と面会した宮殿は、たしかに豪華で美しいものでした。ああいう高い生活水準に対して、遠い日本からの客人で、フランスでは稼ぐ手段を持っていない昭武が肩を並べることは難しかったはずです。それでも、現代人には浪費と思えるような、実に荒い金遣いを会計係の渋沢がしてしまった背景には、「昭武を見劣りさせたくない」という願い、ひいては「日本をバカにされたくない」という彼なりの意地があったのではないでしょうか。

 ちなみに渋沢たち臣下の一部が移り住んだパリの“シェアハウス”ですが、史実では凱旋門の近くという一等地の一軒家でした。しかし家賃は1カ月500フラン。15万~20万円くらいで、良心的な価格だったといえるかもしれません。

 昭武とナポレオン三世夫妻の面会シーンも、ネットでは話題となりました。史実では、パリ中心部にあるルーヴル宮殿に隣接していたテュイルリー宮殿で謁見式は行われたのですが、ドラマで使われたのはフォンテーヌブロー宮殿の映像と、日本のスタジオで撮影された人物の映像の合成だったようですね。

 テュイルリー宮殿は、ナポレオン三世の失脚時に暴徒によって放火され、燃え落ちてしまっています。一方、フォンテーヌブロー宮殿は、パリから南へ車で1時間くらいのところに位置し、フランスで現存する中では最大規模の宮殿です。

 現在のフォンテーヌブロー宮殿の建物構造の基本部分は16世紀、フランソワ一世によって作られました。フランス革命前の王家だったブルボン家の面々が、毎年秋に長期滞在する城館として知られていましたし、19世紀中盤に第二帝政を敷き、フランスの君主となったナポレオン三世もフォンテーヌブロー宮殿を愛した一人です。ナポレオン三世は内装のリノベーションに熱心だったことでも知られています。

 昭武との面会に使われたテュイルリー宮殿は残念ながら現存しないわけですが、代わりに第二帝政の栄光が感じられるフォンテーヌブロー宮殿を『青天~』で使ったのは、よいチョイスだったといえるでしょう。

 ナポレオン三世は宮殿などの建築物、ひいては都市そのものに高い関心を持つタイプの君主でした。ドラマでは、栄一がガタガタいうエレベーターに乗って万博のパビリオンの屋上に登り、ナポレオン三世によって全面大改造されたパリの中心部を見つめ、「参った!」と嘆息するシーンが出てきましたよね。あの壮麗な眺めこそが、ナポレオン三世の業績のひとつなのです。

 ナポレオン三世は大の女好きで、書斎で全裸の女性とよろしくやっているところをウジェニー皇后に目撃され、イギリスへと家出されてしまうなど、実はよくない逸話の宝庫のような人物ではあります。しかし、パリの街を名実ともに「花の都」と呼ぶにふさわしい壮麗な都に再生させたことでは、高く評価されるべき人物だといえるでしょう(ちなみに、“マーガリン”が生まれるもとになった食品コンペを主催したことでも有名)。

 栄一をも驚かせた石作りのパリの街は、「皇帝」ナポレオン三世の強大な権力を背景に、オスマン男爵の手でリノベートされたものでした。17世紀くらいから宮廷はパリの南西にあるヴェルサイユ宮殿に置かれていたこともあり、パリの中心部は荒れ果てていた時期がありました。人口が多いので建物は建て増しされてどんどん高くなる一方で、大通りから一歩入ると狭い汚れた路地が迷路のように広がるといった、非常に環境の悪い都市になっていたのです。それを改善させたのがナポレオン三世でした。

 ドラマでは、栄一がシャンゼリゼ通り近くの凱旋門の上からも街を眺めていましたが、人目につく大通りの建物の表面は、ナポレオン三世の命令で「すべて」同じ産地の白色石灰岩で統一されて飾られていたのです。その石灰岩はパリの地下に豊かな石脈があったので、コストはそこまではかかりませんでした。

 こうした皇帝主導の大規模な都市整備もあり、1855年に開催された第1回は失敗気味だったパリ万博はその12年後、第2回目にして大成功を収め、フランスという文化国家のイメージを世界中に轟かすことができたわけですね。

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