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日刊サイゾー トップ > 社会  > 「表現の不自由展」中止は「不測の事態」であるはずがない

「表現の不自由展」中止は「不測の事態」であるはずがない 美術館関係者が騒動を見て思うこと

この美術展で「表現の自由」が語られることが馬鹿らしい

――とはいえ、学芸員の資格を持たない人が、政治的なテーマをもったキュレーションをすること自体は、別に制限されないわけですよね。

Aさん:ええ。公共施設で税金を使って行うものについて、どこまで許容するかという問題は別として、基本的に自由です。政治的な批評性や挑発が絶対に許されないわけでもありません。そもそも、作者が意図していなかったとしても、現代において、政治的であることを完全に逃れられる表現などない、といえるかもしれません。

例えば会田誠さんには、ある層を意図的に挑発する作品がありますが、それらは彼の日本や日本美術、アートの世界へのアンビバレンツな感情をはらんだ、れっきとした芸術活動です。さまざまな意味合いを重層的に込めており、鑑賞者はいろんなレイヤーで作品を感じとることができる。だからこそ、会田さんは間違いなくアーチストなわけです。

しかし、そういった政治性と、党派的な政治活動では、意味合いが全く違います。「表現の不自由展・その後」に出ているものは、具体的な作品名は避けますが、党派的な政治的アピールの手段でしかないとしか感じられなかった。

――美術館のプロからすると、問題提起以前に作品の質を見極める眼が大事、ということですか。

Aさん:ぶっちゃけていうと、実際に見てみれば衝撃もほとんどないんですよ。ただ、作品が手段に成り下がっているから騒ぎになるだけで。ですから、日頃から「表現の自由」について頭を悩ませている者たちからすると、この美術展をもって「表現の自由」云々が語られていることが非常に馬鹿らしい状況にも見えるんです。

あいちトリエンナーレ後の美術展には、津田さんは関わっていないらしいですけど、“慰安婦像”を置くとか天皇の写真を焼くとか、そんなものが「表現の自由」の象徴のように扱われるのは、本当に陳腐なので勘弁してほしいんですよね。反対派の人たちも、爆竹を送るくらいなら徹底的に無視した方が彼らには効果がありますよ。

鴨川ひばり(ライター、編集者)

1967年生まれ。出版社、ネットメディアなどで編集者を歴任。現在はフリーランスで活動中。

Twitter:@hujiie

かもがわひばり

最終更新:2021/07/22 19:00
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