日刊サイゾー トップ > エンタメ  > 松村邦洋、ものまねレジェンドの半生

狂人・松村邦洋の天才性。ビートたけしものまねを“発見”レジェンドの半生

チーマーが自宅に会いに来た『電波少年』時代

 1992年、松村は『進め!電波少年』(日本テレビ系)のMCに抜擢された。芸歴4年目、25歳の頃だ。

 松村といえば、やはりこの番組である。『ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA』(日本テレビ系)のレギュラーだったウッチャンナンチャンが主演映画『七人のおたく』撮影に専念するため、『SHA.LA.LA』は半年間、放送を休止することに。その穴埋めとしてスタートしたのが、『電波少年』だった。

しかし、「牛のゲップを吸い切りたい」(牛のゲップから発生するメタンに温室効果があるため、松村が吸引器で吸い切ろうとする企画)や「ユン・ピョウは本当に強いのか」(香港のアクション俳優ユン・ピョウに松村がアポなしでハリセンで襲い掛かる)といった過激企画が世に大反響を巻き起こした『電波少年』は、そのまま継続が決まった。

 同番組初期の名物企画といえば、「渋谷のチーマーを更生させたい!」である。この企画以降、松村はよくチーマーに絡まれるようになり、“エアマックス狩り”ならぬ“松村狩り”という言葉が特に渋谷でまかり通るようになった。

 当時の状況について証言するのは、松村の戦友とも呼べる出川哲朗である。当時は“松村狩り”だけでなく“出川狩り”という言葉も存在した。さらに、『電波少年』の海外ロケで、出川はシドニーのゲイにお尻を掘られるという憂き目にも遭っている。だから、松村にとって出川は戦友だ。

「本当に、可哀想なくらい(松村は)悲惨でしたよね。だって毎日、家にチーマーの人たちが来ちゃうから。松っちゃんの家の入り口に、トマトケチャップで『ファッションヘルス松村』とか書かれたり」

「中野坂上に住んでたんですけど、中野坂上の寿司屋に行ってメニューを開くと、松村の電話番号とかマンション名と部屋番号が書いてあったり(苦笑)」(出川)

 松村自身も、この時代を振り返っている。

「家に(チーマーが来るの)も日常茶飯事でしたね。会いに来てくださるみたいですね。下(マンションの1階)が寿司屋なんですよ。食後に皆さん、来られて(苦笑)」(松村)

 まさに、“会いに行ける”の元祖だ。ロケだけならまだ仕事と割り切れるが、チーマーとの軋轢がプライベートにまで及ぶのだから、気の休まる時間はまるでない。この頃、松村と出川はお互いを鼓舞し合っていた。

「松っちゃんと僕がいつも言ってたのは、僕の座右の銘なんですけど、『一生懸命頑張っていれば、誰かが見ててくれる』っていうのが。これは、松っちゃんといつも言い合ってましたね」(出川)

「出川さんとは『電波少年』のときからお互いやってたんですけど、出川さんが僕に『松っちゃん、今回のロケどうだった?』、『いやあ、出川さん。キツかったですよ』、『“キツかった”って言葉が出てたら、このロケうまくいってるよ。キツいって大事なんだよ、松っちゃん』って」(松村)

 出川のメンタルは、やっぱりすごい。こうして両者は励まし合っていた。やっぱり、2人は戦友である。

12345
ページ上部へ戻る

配給映画

トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • twitter
  • feed
特集

【4月開始の春ドラマ】放送日、視聴率・裏事情・忖度なしレビュー!

月9、日曜劇場、木曜劇場…スタート日一覧、最新情報公開中!
写真
インタビュー

『マツコの知らない世界』出演裏話

1月23日放送の『マツコの知らない世界』(T...…
写真
人気連載

水原解雇に間に合わなかった週刊誌スクープ

今週の注目記事・1「水原一平“賭博解雇”『疑...…
写真
イチオシ記事

さや香、今年の『M-1』への出場を示唆

 21日、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)で「賞レース2本目やっちまった芸人」の完結編が放送された。この企画は、『M-1グランプリ』(同)、『キ...…
写真